第176話 トーヤの行方
――――荒神城・玉座の間
現在この玉座の間には、所狭しと多くの者達が集まっている。
その中には普段なら戦線に居座り、中々呼び戻せないような将軍や兵士の顔も確認できる。
この玉座の間にこれだけの人数が揃ったのは、恐らく数十年ぶりの事だ。
事態が事態だけに当然とも言えるかもしれないが、これだけの人数が集まった最大の理由は、武闘大会の直後だったからだろう。
「…皆、集まったみたいだな」
珍しく厳粛そうな顔つきで口を開くキバ様。
事情を知らぬ者も、そのらしからぬキバ様を見て、事の重大さを理解したようだ。
「既に聞いている者も居ると思うが、先日、ウチの左大将が、何者かに攫われた」
ざわざわと動揺が走る。
荒神の幹部が攫われる、この荒神においてはそれは、前代未聞の大事件であった。
「なっ!? トーヤ様が!?」
声を張り上げたのは、先程戦場から戻ってきたばかりのトウジ将軍である。
事の大きさから、召集を伝える使者には情報を与えていなかった為、今初めて知ったのだろう。
同じように召集された他の将軍達も、トウジ将軍と同様に驚きを隠せない様子であった。
「…ああ」
「…なんで、トーヤ様が。…一体どこで?」
「場所は、この城の中だ」
玉座の間にさらなる動揺が走る。
何が起きたか知っている者はいるが、それがどこで起きたか知る者はほとんどいなかったのだ。
「城内でだと!? 警備の奴らは何をしていたんだ!」
トウジ将軍だけでなく、他の幹部達からも次々と声が上がる。
各々が疑問をぶつけ合い、玉座の間が一瞬にして騒々しくなる。しかし…
「「「「っ!?」」」」
皆、キバ様が一睨みしただけで凍りつくように黙り込んでしまった。
中には怯えるように身を縮めている者すらいるようだ。
正直情けない姿ではあるが、こればかりは無理も無いことである。
なにせ今のキバ様の眼光は、歴戦の将軍達ですら怯むものなのだから。
「…ソウガ、説明を頼めるか?」
「…畏まりました」
それを自覚してか、キバ様は目を瞑り、私に説明を促す。
今まさに自分から割り込もうと思っていたところだったので、丁度良かった。
いや、キバ様の事だ、恐らくはそれも見越した上で私に促したのだろうな。
キバ様は普段お調子者のように振る舞っているが、頭が悪いワケではないのだ。
「それでは、説明させて頂きます。まず、トーヤ様を攫った賊についてですが、こちらを御覧ください」
私は部下に指示し、予め用意させておいた紙を開示させる。
「アイツは…、大会で見たぞ!?」
紙に描かれたのは賊、つまりあの女の似顔絵である。
軍の中にはこういった絵が得意な者が存在し、その者に情報を伝えて作成してもらったのだ。
再現度は中々のものであり、何人かは絵を見てすぐに気づいたようであった。
「見覚えのある方も多いと思いますが、賊は先日の大会に参加していたこの女です。さて、この中でこの女と手合わせした者はおりますか?」
私が質問を投げかけると、何人かの兵士が名乗りをあげる。
「では確認しますが、この女はどのような戦い方をしていたでしょうか?」
「そ、それが、特に何もなくて…。何というか、手応えが無かったとしか…」
「手応えがなかった…、ですか。しかし、貴方はこの者に負けたのでしょう?」
「そ、そうですが! 本当に手応えが無かったんです! …でも、気づいたら負けてしました」
他の者達からも確認をするが、どの者も似たり寄ったりの回答であった。
最後に、私はゾノ殿を見る。
「ゾノ殿、貴方はこの女と戦い勝利しました。しかし、結果としてはこの女の棄権でしたね? あの時、貴方はこの女に何か言われたようですが、一体何を言われたのでしょうか?」
「…あの女は、確かに不可解だった。魔力も脅威性も感じないのに、こちらの攻撃は一切通る気がしなかった…。そして、最後のあの言葉…、やはりあれは、トーヤ殿の事を指していたのか…?」
先日の戦いを思い出し、悔しそうに唇を噛むゾノ殿。
恐らく、自分の主を攫った相手と対峙していたというのに、何もできなかったという気持ちが強いのだろう。
気持ちは十分にわかるが、今はそれを気遣っていられない。
「やはり、何かを言われたのですね?」
「ああ…。あの女は俺に、これからも彼の助けになってあげなさい、とだけ言ったんだ。あの時は何を言われているのかわからなかったが…」
彼、か…。恐らく、彼とはトーヤ様の事で間違いないはずだ。
対外的な情報としては、ゾノ殿とライ殿が友人の関係にあることはわからない筈だし、大会で戦ったダオ殿を指しているとも考え辛い。となれば、やはりレイフの長であるトーヤ様を指している可能性が一番高いだろう。
…しかし、であればこそ不可解な点はある。
あの女は何故、助けになれと言っておきながら、トーヤ様を攫ったのであろうか?
………駄目だな。正体を掴むにはまだまだ情報が足りない。
「…ありがとうございます。さて、現在この女について分かっていることは3つあります。1つ目はあの女が以前からトーヤ様を知っていたという事、そして2つ目は何らかの方法で魔力を隠す術を持っている事、そして3つ目、恐ろしい程の実力者という事です」
そう、現在のところ確定している情報はこの3つのみである。
1つ目に関しては、我々が見聞きしたものとゾノ殿の聞いた内容から、まず間違いないはずである。
偽る為にそう振る舞ったという可能性も無いわけでは無いが、利点も目的も見出だせない以上その可能性はかなり低い。
「魔力を隠す術…、それは隠形とは違うのですか?」
「違います。確かに魔力は隠形で感知され難くする事は可能ですが、完全に消すことは不可能です。しかし、あの女はそれを行っていた。まあ、これはあくまで実際に戦ったゾノ殿や、私、それに感知能力に優れたアンナさんの所感に過ぎませんがね」
「た、戦った!? ソウガ殿がか!? それに、アンナって、あの…」
皆の視線が私とアンナさんの間を行き来する。
私は兎も角、アンナさんに視線が行くのは、彼女がこの城で既に有名人になりつつあるからだ。
本人は居心地悪そうにしているが、こればかりは自業自得なので仕方がない。
彼女があんなに暴れたりしなければ、ここまで注目される事などなかったのだから。
「ええ、アンナさんとトーヤ様は、大会の際に少し接触があったようです。挨拶程度のものだったらしいですがね」
トーヤ様が攫われたと聞いた時、アンナさんは真っ先に城を飛び出していこうとした。
当然そんな事が許されるはずもなく、すぐに兵士が止めに入ったのだが、誰一人として彼女を捕まえることができなかったのだ。
その報を聞き私が駆けつけた時には、既に一部隊近い人数の兵士が、彼女一人に倒されているという状況だった。
「…あの女は危険です。すぐにでも、助けに行くべきだと思います」
彼女の顔は酷く青ざめていた。
多くの視線を浴びて居心地が悪いせいもあるだろうが、それ以上にトーヤ様が心配なのだろう。
私が止めなければ、きっと彼女は全ての制止を振り切り、飛び出していったに違いない。
…しかし、あの状態ではまず間違いなく道半ばで倒れていた筈だ。
「あの女の危険性は百も承知ですよ。私も月光様も、タイガ様ですらも、手も足も出なかったのですからね…」
いつ倒れてもおかしくない彼女に助け舟を出すわけでは無いが、彼女に向けられていた視線をこちらに引き戻す。
「なっ!!!! タイガ様までが!!!?」
視線を引き戻すことには成功したが、どうやら刺激が強すぎたようだ。
玉座の間で、これまで以上の動揺が走る。
無理も無い話だ。なにせタイガ様は、この国の武の象徴と言ってもいい存在になりつつあるのだから。
正直、この事は伏せるべきではと打診したのだが、タイガ様は頑なにこれを否定した。
「狼狽えるな!」
その動揺をかき消すように、タイガ様が吠える。
しかし、事が事だけに動揺を完全に消すことは出来なかった。
「確かに俺は遅れを取った! しかし、あの賊は脅威であったが、俺の見立てでは我らが王には遠く及ばん! つまり、この国の脅威足りえる存在ではないという事だ! 諸君らが動揺する理由は何も無い!」
一息でそこまで言い終え、タイガ様は強く拳を床に打ち付ける。
「っ!?」
その震動が300名近くが集う玉座の間を揺らす。
この玉座の間は、王が暴れても壊れぬほど頑丈に設計されており、本来であれば揺れるなどあり得ないことであった。
しかし、タイガ様の一撃は確かにこの玉座の間全体を揺らした。
それはつまり、今の一撃が王の攻撃に匹敵するという事を意味する。
「そして…、俺ももう負けるつもりは無い。あの賊は俺が必ず捕らえ、葬ってみせる。だから、皆も恐れず俺を、王を信じてくれ」
正直な所、大雑把なやり方だなと感じた。
しかし、そのやり方は中々に効果があったらしく、多くの兵士が動揺から解放されたようであった。
獣人は良く言えば純粋で、悪く言えば単純な者が多い。特に若者は今ので奮い立ってくれた者も多いようだ。
流石に幹部連中には通じていないようだが、意図は受け取ったようであり、目立った反発は無かった。
しかし、問題はレイフの者達である。
「それで、ソウガ様。トーヤ様の奪還はどうするおつもりですか? 荒神の手を借りられないのであれば、我々だけでも…」
「落ち着いて下さいザルア殿。それをこれから決めるのですよ」
「ふむ…」
レイフの森からは、代表として筆頭術士のザルア殿に出向いてもらっている。
他にも、軍属の者を中心にレイフの森出身者が集っているが、皆一様に暗い顔をしている。
それ程にトーヤ様の存在は大きかったのだろう。
「しかしソウガ殿、このまま時間をかけるくらいであれば、我々だけでも先行させて頂きたいのですが?」
「貴様! ソウガ様に向かってなんて口を!」
ソク殿の発言に対し、部下が食ってかかろうとするのを手で制す。
「良いのです。ソク殿も、お気持ちは察しますがどうか落ち着いて頂きたい。多人数で向かえば、魔族達に侵攻と捉えられる可能性があります。そうなれば、レイフの森にとっても不利益となるかもしれませんよ?」
「むぅ…」
少しずるい言い方だが、こうでも言わないと彼らは強行的に向かいかねない。
オーク達にとって、トーヤ様は救世主に等しい存在だ。自らの危険など恐らくは顧みはしないだろう。
「魔族…? トーヤ様の行方がわかっているのですか?」
サイカ将軍が、先程の会話から魔族という単語を拾い、反応してくる。
「…どうやらトーヤ様は魔族領の方角に連れ去られたようです。トーヤ様と縁深いものには、今現在のトーヤ様が居られる方角が朧気ながらわかるのだとか。恐らくはトーヤ殿の持つ能力によるものだと思いますが…」
アンナさんやリンカ様に話を聞いた限りだと、トーヤ様は現在、魔族領の方面にいるらしい。
ただ、厳密な距離などはわからないらしく、実際には魔族領にいるかすらも定かではないのだ。
下手をすれば龍族領、空族領や海族領の可能性もあり、そうなってくると捜索は困難を極めることになる。
「あの、宜しいでしょうか?」
「なんでしょうか、紅姫様」
トーヤ殿の行方について考えを巡らせていると、それまでずっと黙っていた紅姫様から声がかかる。
「もし、荒神が軍を出せないというのであれば、我が羅刹が軍を出しましょう。トーヤ様は、我々にとっても失うことの出来ない存在です。あの方を救うためであれば、我が軍は全力でレイフの森を支援させて頂くつもりですよ」
「…紅姫様」
これは不味い事になった。
紅姫様の表情は伺えないが、その言葉が本気であることくらい容易に理解できる。
言葉通り、羅刹はレイフの森に対し、全力で支援を行うだろう。
下手をすれば、全軍で魔族領に突入しかねない程の雰囲気である。
どう答えるべきか…。
恐らく、半端な回答では、羅刹の動きを抑えることは出来ない。
しかし、納得の行く回答をこの場で用意する事は…
「ちょ、ちょっと君達!? ここは入っては…」
その時、盛大に音をたてて玉座の間の扉が開け放たれる。
同時に、玉座の間に入り込んで来たのは、セシア達レイフの子供達であった。
「どうしたんだお前たち! さっき部屋で大人しくしていろ、と…!?」
慌てて駆けつけたゾノ殿が言葉を切らす。
一体何が…?
ここからでは状況がわからないため、私もすぐに後方へ向かう。
ゾノ殿の視線の先には、ダークエルフの少女、エステルが立っていた。
そして、その手には…
「翡翠ちゃんが、帰ってきました!」




