第170話 トーヤ 対 イオ④ 決着
ここまで善戦できたことは、俺にとって想定外のことであった。
俺は全てを出し切るつもりであったが、それでも届かないと思っていたのだ。
しかし実際の所、俺はイオの攻撃を対処しきり、それどころか反撃まで出来るようになっていた。
戦いの中で成長したというと、なんだか都合の良い話に聞こえるが、まさか自分が体験することになるとは思わなかった。
恐らく、その要因はイオの戦い方にある。
イオは最初、直線的かつ、速度任せの攻めを重視していた。
俺はそれを防いでこそいたが、実際には結構厳しい状況だったのだ。
何故ならば、俺は少しタフになったとはいえ、所詮は人間なのである。
無尽蔵の体力を誇るイオにそのまま攻撃を続けられれば、俺はそのまま削り負けていただろう。
しかし、イオはそんな勝ち方を良しとしなかった。
イオは俺に、体力ではなく、技術で勝負を挑んできたのだ。
トロールと獣人のハーフであるイオは、見た目こそ通常のトロールに比べ華奢に見えるが、実際はそこまで劣ったものではない。
確かに、高密度で豊富な筋肉量を誇る通常のトロールと比較すれば、膂力に関しては劣ると言わざるを得ないだろう。
しかし、イオの柔軟で靭やかな筋肉は、決して華奢では無いし、瞬発力、持久力を兼ね備えた非常に優れた性質を持っているのだ。
トロールの中で育ったイオは、自分を低く見ているフシがあったが、それは断じて間違いである。
器用貧乏? そんなレベルでは無い。イオは間違いなく、両種族から良いとこ取りをした、サラブレットのような存在だ。
俺は一度、イオに対してそれを熱弁した事がある。
本人は納得行かなそうな顔をしていたが、悪い気はしていないようであった。
そして、イオ自身の戦い方の変化から見るに、徐々に自分の本質に気づき始めているようであった。
だからこそ、イオが技術で勝負を挑んできたことが意外だったのだが…
「ッ!」
イオの剣が、こちらの棍を逸らすような動きを見せる。
防御を抜く、剣術の技である。
もう間違いなかった。亜神流剣術を生み出したのは…、人族だ。
この剣術には獣神流に見られない、工夫や技巧が多く見られる。
強引に力勝負、速さ勝負をするのではなく、それを受け流し、すり抜ける技術が節々に見られた。
フェイントや、打たせて隙を作る動きなど、まさに人間が作り出した技術体系そのものである。
「なんの!」
はっきり言って、シュウやリンカの高速攻撃などよりも余程防ぎにくく、ガウ達の攻撃より躱しづらい。
しかし、何故だろうか…
厳しさや焦りの中で、俺は逆に落ち着いた気分になりつつあった。
イオの中に見る人の技術が、俺の中から色々なものを引き出していく。
今の俺は、一部のアスリートが体験するという「ゾーン」に近い状態である。
その極限とも言える集中力と、<無想>による反射加速、そして散眼を用いた視野拡張により、俺はイオの攻撃を尽く凌いでいた。
そのどれを除いても、今のイオの攻撃を捌き切るのは難しい。
故に、これが<無想>の完成形なのかもしれなかった。
イオの剣筋は複雑かつ多彩だったが、防いでいく内に癖のようなものは見えてくる。
それ故に、段々と受けずに躱す事も可能になってきていた。
(これならば…)
反撃、後の先を取ることが出来るかもしれない。
次の斬り下ろしを受け流すことが出来れば…
「っ!?」
そう考えた矢先、イオの姿が掻き消える。
(大丈夫だ、落ち着け。動きは見えているし、反応も間に合っている。しかし…)
イオの攻撃方法が再び変化する。
今度は亜神流剣術に加え、速度や力を増した強引な剣が混ざり始めた。
「緩急をつけ始めたな!? これもグラの入れ知恵か!」
これでは的が絞れない。
全く、どんどん厄介になるな…
イオがグラに教えを請うていたのは知っている。
まさか、俺に対する対策だとは露とも思わなかったが…
何故グラが亜神流剣術をあそこまで修めていたか、気にはなっていたのだが、思えばグラもハーフトロールである。
通常のトロールよりも劣る部分を、補うための選択が亜神流剣術だったのかもしれない。
そして、同じような境遇であるイオは、それに適正を示した。
最近妙に機嫌が良かったのは、自分の技を面白いほど吸収していくイオの成長を楽しんでいたのかもしれない。
グラには俺が留守の間の事務処理を任せているが、今頃それを想像してほくそ笑んでいるかもな…
しかし、そんな苦境に立たされながらも、俺はこの状況を少し楽しいと思い始めている。
次々と出される難題を解いていくのは、苦行ながらも面白いものなのだ。
幸いな事に、イオもこの戦い方に慣れてはいないのだろう。緩急の繋ぎに、若干ながら綻びがある。
これならば、見えないことも無い。それに…
(これは…、いや、間違いない。これは、イオの視界だ…!)
俺には段々と、イオの視界が見え始めていた。
体操選手などを始め、一部のアスリート達に存在すると言われる技能。
それが俺の中で芽吹きつつあった。
思い込み? 幻覚? 理論は正確には不明である。
しかし、対象を観察し続けると、ある時ふと見えるようになる、未知の技能の一つである。
常に相手を観察し続ける闘仙流だからこそ、この技術は発現したのかもしれない。
今の俺には、イオの視界、重心、力の流れすら見えつつあった。
それを実感した瞬間、俺は自然に加速状態に入っていた。
ルーベルトの技を参考に、俺が調整した加速術。
名はまだ付けていないが、ライカ君の加速法を見たことで、この技は完成に近づきつつあった。
それでも負担は大きいが、長時間の使用を避ければ、戦闘で十分に利用できる。
俺は加速を行い、イオの死角に入ることに成功する。
もちろん、イオもすぐに俺を捉えるよう動き始めるが、俺もそれに合わせて移動を行う。
イオの視界には間違いなく俺は映っていない。しかし、長く続ければ感知はされるだろう。
だからまず、俺はイオの耳を狙った。
「鼓膜を破った。いくらトロールであってもこの戦闘中には再生しないぞ」
空圧による鼓膜破り。
剛体で防げないことも、戦闘中の完治が難しいことも、既に調査済である。
そして、確かな効果を実感する。今のイオに、俺を捉えることは出来ないようであった。
「五感を削る、貴方らしい戦法ですね。これで私は聴覚と、視覚を奪われた、という事ですね?」
「…気づいていたのか」
「ふふ…、耳の聴こえが悪くなったことで、理解できました。何をされているかを、ね」
流石はイオである。
今の数合で、全てに気づいたらしい。
恐ろしい程の才能である。
「たったこれだけでそこまで見抜くイオの方が凄いよ…。全く、俺の手の内がどんどんさらけ出されていくな…。出来れば、これで降参してくれると助かるんだが…」
しかし、今の俺はイオの視界が見えていることで、全能感に近いものを感じていた。
それ故に、俺は少し奢っていたのかもしれない。
俺らしくもなく、勝利を匂わせる発言をしてしまった。
とはいえ、俺にもあまり長く戦っている余裕は無いのだ。
精霊の本能に任せ、いくらか負担を軽減していたとはいえ、散眼と極限の集中により、俺の脳にはかなりの負担を強いている。このまま戦い続けられる保証は全く無いのだ。
もし降参してくれるのであれば、それに越したことはない。
しかし、残念ながらイオは降参する気配がない。
当然といえば当然である。俺はイオの攻撃に合わせ、再び彼女の死角に入った。
「そこ!」
「っ!?」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
イオの視界に俺は入っていない、音も聞こえていない筈…。なのに何故俺は捉えられた!?
俺は著しく動揺するが、そんな余裕もなかった。
イオの視界に俺が捉えられている。不味い…。
恐らくだが、イオは俺を正確に捉えて剣を振ったのではない。死角目掛けて斬りつけたのだろう。
でなければ俺は今ので終わっていた筈だ。
自ら死角を作り、そこに誘導する。実に単純な話であった。俺はまんま餌場に誘われたのだ。とんだ間抜けである。
致命傷には至っていないが、決して浅くも無いダメージを負ってしまった。しかも脚部に。これでは距離を取ることも出来ない。
「ハァァァッ!」
駄目だ。躱しきれない。
俺の脳はそう判断した。しかし、俺の中の精霊はそう判断しなかったらしい。
体が勝手に前方最下方に沈み込む。俺が今入れる、唯一の死角である。
しかし、ここは完全な0距離である。しかも動揺し、魔力の乱れた今の俺では<破震>は使えない。
俺に残された技は無い…
俺の考えとは別に、再び体が動き出す。
一瞬これ以上何をとも思ったが、すぐに精霊が何をしようとしているか理解する。
精霊の動きは半ば本能や防衛反応に近い動きしか無く、自意識というものが希薄である。
故に、その動きは単純であり、これもまた、それ故に引き出された行動であった。
強烈な衝撃が頭に走る。
身構えていたとはいえ、鍛えられていない俺の首と頭への負担は相当なものであった。
「グッ…」
しかし、どうやらイオにダメージを与える事は成功したらしい。
身体能力の劣る俺でも、「ぶちかまし」であればダメージを与えることは出来るようだ。
「ぶちかまし」は鍛えれば1t近い威力を発揮するのだが、俺の雑な打ち方では本来の半分も威力は出ていないだろう。
それでも、剛体を抜けた0距離でまともに顎に喰らえば、トロールといえどもダメージは免れないという事だけはわかった。
「トーヤァァァァァ!」
しかし、やはりイオはトロールの血を引くだけあり、回復も早い。
今の俺にイオの攻撃を躱す機動力は無いし、剛体で防いでも後がない。
対抗するには、こちらも攻めるしか無かった。
俺はイオの攻撃に合わせるように、レンリを横に振りかぶった。
◇
会場が静寂に包まれていた。
誰もがその光景に目を疑ったようであった。
そして、その静寂を破るように、カラン、という音が試合場に響く。
「俺の、勝ちだ」
その音はイオの愛剣アントニオが、イオの手を離れ、地に落ちた音であった。
「…私の剣が先に届いていたはず。今のは一体?」
そう。確かにイオの剣の方が速く、俺を捉えていた筈であった。
もしそうなっていれば、俺は死んでいたかもしれない。
いや、冗談ではなくマジだ。はっきり言って、今のイオの一撃は加減がされていたと思えなかったからな…
「無刀取りの一種、と言ってもわからないか」
「ムトウドリ…」
やはり魔界には存在していない言葉のようであり、精霊による伝達も正確には行われていないようだ。
「無刀取り」と言えば柳生新陰流が有名だが、流派や格闘術によってその方法は様々である。
俺が行ったのは攻撃到達前の柄頭を打ち、武器を手から抜くタイプの「無刀取り」だ。
より効率的に攻撃を行う場合、徒手でも武器でも、攻撃到達前はほとんど力を入れない、というのが武術における基本だ。
だと言うのに、獣人やトロールの攻撃は、勢いや力任せの攻撃が多く、残念ながらその基本が通用しない。
しかし、イオの扱う亜神流剣術には、人の扱う武術の色が濃く出ていた。
故に俺は、それに狙いを絞り、「無刀取り」を決行したのだ。
「…成る程。トーヤは振り遅れたのでは無く、最初からレンリの柄でアントニオの柄頭を狙っていたのですね」
「…そうだ。相変わらず理解が早いな」
今の状況と体勢から、大体の予測を付けたのだろう。
これじゃあ、次は同じ手が通用しないな…
「ふむ…。中々理にかなったものだと思いましたが、こんな落とし穴があるとは」
「技術なんてそんなもんだよ。何かに特化すればその分何かが疎かになる。今のイオならそれが理解出来るだろ?」
「フフ…。そうですね。…さて、流石にこの形になってしまうと、私の負けでしょうね」
俺は今、イオの胸の中心辺りにレンリを突きつけている。
魔力の乱れもないし、同調も完了している。イオが回避行動に移る前に、俺は<破震>を放つ事が可能だ。
「ふぅ…、折角トーヤを私だけのモノに出来ると思ったのに、残念です…」
果たして、それが本音なのかどうか、俺には判断が出来なかった。
「敗北を認めます! 勝者宣言を!」
イオの声が響き、一斉に歓声が上がる!
『す、素晴らしい勝負でした! 勝者は左大将! トーヤ様に決定いたしました!!!』
宣言がされると同時に、俺は尻もちをつく。
正直、立っているのは限界であった。
はぁ…。なんとか勝てたか。
しかし、どっと疲れた…。こんな戦い、あと何戦も出来ないぞ…
弱音は吐かないつもりだったが、俺にとって今の戦いは決勝戦と言っても良い内容だった。
もう、帰って寝たいくらいなんだが…
『クッカッカッカ! 流石トーヤだ! 楽しましてもらったぜ…ってそーいやトーヤ! お前が勝ったらどうするか決めてなかったな!? どうすんだ』
ああ、そういえばそうだっけ。
そんなのどうでもいいよ…。強いて言うなら続きは明日にして欲しいとか、そんな感じである。
「いや、それはいいんで、早く休みた…」
「トーヤには自らの所有権を賭けて貰ったのです! 当然、その対価となるのは私自身でしょう!」
…ちょっとイオさん、何を言い出すんですか?
俺は信じられないモノを見たような目でイオを見る。
イオはそれにニンマリと、少し悪戯をしたような顔で微笑み返した。
「既に我が身はトーヤの剣です! ですから、私はここに、自らの心も差し出すことを誓いましょう!」
やられた…
イオは恐らく、結果がどうなろうとも、自分の理になるように仕組んでいたのだ。
つまり俺は終始、イオの手の中だったのだ…
試合場が歓声やらブーイングやらで、もの凄く騒々しい。
だというのに、俺にはそれが遠くの出来事のように思えていた。
「さあ、トーヤ。これで私は身も心も貴方のモノです。この命尽きるまで、私は貴女と共に生きましょう」
そんな中、イオの眩しい笑顔と、凛とした声だけが、俺に現実を感じさせるのであった。
多分ですが、あと五話以内に武闘大会編は終わる予定です…