第169話 トーヤ 対 イオ③
ああ、これだ、これこそが、私の求めていた戦いだ。
「ハァッ!」
呼気と共に振り下ろされた剣は、対象に触れること無く空振る。
初めのうちは効果的だった亜神流の剣筋も、慣れられてしまったのか完全に防がれる事が多くなった。
それどころか、今のように空振る事すらも増えてきている。
ならば…、
「っ!?」
私は瞬間的に加速を行い、トーヤの背後から攻撃を行う。
攻撃は防がれてしまったが、どうやらトーヤを驚かせる事くらいは出来たらしい。
つまり、この攻撃はある程度有効ということだ。
私は引き続き、亜神流剣術を駆使しつつ、時折速度任せの強引な攻めも取り入れ始めた。
「緩急をつけ始めたな!? これもグラの入れ知恵か!」
成る程、これがグラの言っていた緩急というものか。
かつての私であれば、より速く、より強い攻撃こそが最善手だと信じていた為、緩急をつけるなどという発想には至らなかった。
実際、そうやって勝ち、負けてきたし、今でもそれが全て間違っているとは思わない。
しかし、トーヤと出会い、少なくともそれが最善手で無かった事くらいは理解できるようになっていた。
トーヤは、はっきり言って弱い。否、弱かった。
ゴウを倒した手腕、その戦略には素直に敬意を抱いたが、実際手合わせすると、この男は本当に弱かったのである。
攻撃はお粗末だし、防御も下手くそ。術も遅いし、何より全く戦い慣れていなかったのである。
なんとなく期待していただけに、私は正直落胆を隠せなかった。
しかし、何度か手合わせしてみると、段々とトーヤは私の攻撃に対処するようになり始めた。
それどころか、私に対し、攻撃を当てられるようになるまで成長したのである。それもたった数度の手合わせでだ。
もちろん私は手加減をしていたのだが、容易く防がれるほど手緩くしたつもりも無かった。
少し…、ほんの少しだが、それが癇に障り、私は少し強めの一撃をトーヤに放ってしまった事がある。
放った直後、私はしまった、と思った。
剛体を使えるとは言え、トーヤの体は脆い。防御に失敗すれば待っているのは確実な死だ。
そしてその時のトーヤは、数度の組手で魔力が底を尽きかけていたのである。
防御は不可能…、の筈であった。しかしトーヤは、不格好ながらそれを完全に防いでみせた。
私は謝罪することも忘れ、思わず「何故、防げるのです?」と尋ねてしまった。
トーヤはそれに、「慣れと対策、かな?」と笑って答えた。
私は小刻みに加速を行い、さらに攻め手を増やす。
だというのに、攻撃はどんどん当たらなくなっていた。
きっと今も、トーヤは目を慣らし、常に対策を講じているのだろう。
相変わらずの不格好な防御…、しかし、あの頃よりは大分様になっている気がする。
まだ数ヶ月しか経っていないというのに、妙に懐かしい気分だ。
(っと、戦いの最中他の事を考えるなど私らしくもな…っ!?)
雑念を払おうとした刹那、トーヤの姿が掻き消える。
あのルーベルトから、トーヤが盗んだ加速術だ。
私は反射的に、自らも加速状態に入る。トーヤを視界に捉える為だ。
この加速術は確かに高速ではあるが、優れた動体視力を持つ獣人やトロールに見えないというレベルではない。
消えたように見えるのは、あくまでもその速度で死角へ移動したからである。
つまり、死角を消すように距離を取ってしまえば、視認することは可能なのだ。
しかし…
(馬鹿な!? 居ない!? 本当に消え…っ!?)
驚愕に一瞬身を固めた瞬間、悪寒が走る。
私は咄嗟に、腕とアントニオで正面背後の心臓部を守った。
トーヤの使う<破震>という技は、心臓部付近で放たなければ致命打になり得ないからだ。
そして、頭部への使用も恐らくはされない筈…
頭部は魔力の同調が難しい上、精霊の防衛反応が強いため有効打になり得ない、とトーヤ自身が言っていたからだ。
しかし、私の予想に反し、トーヤの攻撃は私の頭部に行われた。
パン、という軽い衝撃が右側頭部に走る。
反射的にそちらに剣を振るうが、手応えはない。
代わりに、先程まで視界から消えていたトーヤが目の前に立っていた。
「…右耳の聴こえが悪い。これも貴方の術ですか?」
「鼓膜を破った。いくらトロールであってもこの戦闘中には再生しないぞ」
鼓膜、という言葉には覚えがないが、恐らく耳の器官を破壊されたのだろう。
つまりは私の聴力を奪った、という事である。相手の戦力を削る、実にトーヤらしい戦法だ。
それに…
「五感を削る、貴方らしい戦法ですね。これで私は聴覚と、視覚を奪われた、という事ですね?」
「…気づいていたのか」
「ふふ…、耳の聴こえが悪くなったことで、理解できました。何をされているかを、ね」
私の視界から消えたトーヤ。
しかし、その存在が消えたわけでは決して無い。
僅かながらその存在を、私の耳は捉えていたのである。
「他人の視覚を盗む。貴方の闘仙流とやらはそんな真似まで出来るのですね…。少し興味が湧きました」
「たったこれだけでそこまで見抜くイオの方が凄いよ…。全く、俺の手の内がどんどんさらけ出されていくな…。出来れば、これで降参してくれると助かるんだが…」
トーヤにしては強気な発言である。
私にはこの技を対処出来ないと思っているのでしょう。
面白いではないですか…
「降参する理由がありません。それに、言ったでしょう? 全てを引き出してみせる、と。続けますよ、トーヤ」
私はそう言うと同時に、トーヤに対して一気に踏み込む。
トーヤはそれに応じるように、再び私の視界から消えて見せた。
違和感があるため、完全に聴覚を遮断した私には、先程までと違い、音で存在を察知することすら出来ない。
ですが…
「そこ!」
「っ!?」
今のは手応えがあった。当たった部位は不明だが、今日一番の手応えである。
同時に、トーヤの姿を捉えることも出来た。
外野で歓声が上ったようだが、聴覚を完全に切った私には聞こえない
ただ目の前の、トーヤにだけ集中する。
トーヤは距離を離そうとしているようだが、その動きが鈍い。どうやら私の一撃は脚部に当たったようである。
好機だ。ここで決めさせてもらいますよ、トーヤ!
「ハァァァッ!」
裂帛の気合と共に、トーヤの肩口目掛けて剣を振り下ろす。
刃は潰してあるが、十分な致命打である。今のトーヤの魔力では剛体で防ぐことも不可能だ。
必殺の一撃。しかし、それは残念ながら空振りに終わる。トーヤが再び視界から消えたのだ。
(馬鹿な!? あの脚で一体どうやっ…、!? 下か!?)
冷静に考えれば、あの脚で加速術が使えるわけが無いのだ。
トーヤは単純に、斬り降ろしの範囲外である最下段に沈み込んだだけであった。
それに気づいた時には既に遅く、私は顎に強烈な一撃を貰っていた。
「グッ…」
視界がブレる。
私は何を食らったのだろうか?
剛体が機能しなかったことから、剛体破りの技を食らったのだろうが、何をされたのか理解できなかった。
しかし、そんな事は今はどうでもいい。このままでは追撃を貰って、私は負ける。
定まらない視界でなんとかトーヤを捉えようとする。
しかし、意外なことにトーヤは目の前で蹲ったままであった。
何故か自分もダメージを受けているようである。
一度目の好機は逃したが、二度目の好機はすぐに転がり込んできた。
「トーヤァァァァァ!」
今度は逃さない。私は渾身の斬り払いを放った。
◇
『凄まじい速度で動き始めた両選手! しかし、これはどういう事でしょうか!? イオ選手の方はトーヤ選手を見失っているように思えます!』
『これは…、まさか…』
『ハッハ! トーヤの野郎ヤりやがるなぁ!』
『えぇぇ!? もしかして、お二方には何が起きているのか分かっているのですか!?』
トーヤ殿がやっている事、あれは一種の隠形である。
死角から死角へ、尾行をする際などに重宝される技術である。
しかし、それはあくまで見られていない事を前提にしたものであり、正面から見据えられしかも戦闘中にそれを行うなど、不可能に近い。もし、それが可能だとしたら…、いや、それ以外にはあり得ない。
『…トーヤ様は、恐らくですが高速で死角に逃げ続けているのでしょう』
『…私もそう予想しています。正直、信じられませんが…』
どうやら紅姫様もそう結論付けたようだが、納得できている感じではない。
戦闘中に相手の死角に入り続けることが、どれだけ困難なことか理解しているからであろう。
一瞬だけであれば、再現することは可能だろう。しかし、こちらを視認しようとする相手にその状態を維持する事は不可能と言える。そんな真似は、隠形を得意とする自分にすら出来ないのだから。
もし、それを可能とするのであれば、相手の視覚を盗み見るしか無い。
『トーヤの奴はイオの視界が見えてるんだろうな。俺も昔やられた経験があるからわかるぜ』
どうやら、自分の予想は当たっていたらしい。
しかし、そんな事が出来るのであれば、一体どう対処すれば良いのだろうか。
『キバ様はその相手に、どのように対処したのでしょうか? 』
『あん? 別にそんなの気にせず、まとめてふっ飛ばせばいいだけだしなぁ…。ただ、別に対処自体は出来ないこともないぞ? おっ! ほれ、今丁度イオがやってみせた感じだな!』
キバ様の言う通り、先程まで相手を翻弄としていたトーヤ様が、今度はイオ殿に返り討ちにあっていた。
『成る程…。自ら死角を作ることで、その位置にトーヤ様を誘導したのですか…』
考えてみれば、確かに単純ながら効果的な対策であった。
しかし、戦闘中にその答えを即座に導き出し、実践して見せたイオ殿もまた、凄まじい才能の持ち主である。
『いい才能持ってやがるぜ…。リンカもとんでもないライバル出来ちまったな! ガッハッハ!』
正直な所、全く笑い話では無い。
トーヤ様の周囲にはイオ殿だけでなく、アンナ、ライ、ザルアといった突出した才能の持ち主がどんどん集まっている。
トーヤ様の人柄は知っているし、国家転覆を狙うような野心を持つ輩でないことは十分に理解しているが、それでも脅威になり得る可能性は0ではないのだ。
リンカ様をトーヤ様のもとに贈ったのは、キバ様最大の功労と言える。
出来ればリンカ様には、このままトーヤ様の奥方になって貰いたいものだが…。
『な、なんと! 完全に決まったかと思われた一撃を躱し、トーヤ殿が強烈な頭突きを放ったーーーーっ! これには堪らずイオ選手もふらついている!』
まさに一進一退といえる戦況。今度はトーヤ様がイオ殿を返り討ちにする。
トーヤ様が選んだ反撃手段は頭突きだ。
<破震>を使わなかったのは、恐らく体勢の悪さと、トーヤ様自身状態の悪さが理由だろう。
それを考えれば、トーヤ様が頭突きを選んだのは悪い選択ではない。
剛体の範囲内で高威力の打撃を行うとすれば、0距離から上下の勢いをつけた打撃が最も効果的である。
攻撃部位に頭を選んだのは、体勢が不十分だったことと、頭蓋骨の強度故だろうか。
しかし、頭部は同時に自らの弱点でもある。
不十分な体勢からの頭突きは、トーヤ様にも少なからずダメージを与えたようであった。
『しかし! イオ選手はふらつきながらも反撃の体勢を整えたようだ! これは決まってしまうのか!?』
『いえ! トーヤ様も持ち直したようです! これならば…』
いや、紅姫様の言う通り、確かにトーヤ様も持ち直し、反撃の体勢に入っている。
しかし、僅かにイオ殿よりも遅い…
振りの速度が互角であっても、先に攻撃を開始したイオ殿の攻撃が先にトーヤ様に到達するだろう。
これは…、決まってしまうか…?
――しかし、次の瞬間皆が目撃した光景は…