第168話 トーヤ 対 イオ② +???
正直に言ってしまうと、退屈な試合であった。
決してこの対戦相手が弱いという事では無いのだが、比較する対象が存在する以上、どうしても評価は下がってしまう。
「せやっ!」
薙ぎ払うように放たれた爪撃を、冷静に身を退いて躱す。
今の一撃も悪くない。いや、兵士としてはかなり優秀な部類と言ってもいいだろう。
(若い戦士だが、その割には洗練された攻め方をするな…)
大した有望株だと思うが、覚えがないという事は私が荒神を離れた後に入軍したのだろうか?
普段であれば、手ほどきの一つもしてやろうという気持ちになっていたかもしれない。
しかし、今は…
意識を観客席に向ける。
私の試合を見ているのは、荒神にいた頃から懐いている一般兵達や、何故か私を慕う一部の者達だけであった。
観客の視線はほとんどが隣、トーヤ殿とイオの試合に釘付け状態であった。
気持ちは分からないでもない。
立場が違えば、きっと私もそうしていたのだから。
トーヤ殿から伝わってくる、この胸を熱くさせる感覚が、私の集中を乱す。
二人は、どれ程の闘いを繰り広げているのだろうか?
「こらー! リンカちゃん! 集中しなさい!」
「っ!?」
急にかかった声に思わず足が止まる。
不味い、と思ったが、脚を止めたのは私だけではなかった。
「…やはり、隣が気になりますか?」
「そ、それは…」
言葉はそこで止まってしまう。
否定する材料は無い。しかし、肯定するのはどうしても憚られてしまう。
「見てる私でも気づくのだから、戦っているその子が気づかないわけないでしょう?」
「フソウ、様…」
先程の声の主は第二王妃、私の義母にあたるフソウ様であった。
フソウ様が、何故私の試合なんかを…?
「なんで? って顔してるけど、リンカちゃんは私の娘でもあるんだから気になるのは当然です。まあ、あの人はそんな事気にもせず、あっちの試合に熱中してますがね…」
「……」
まあ、父様のことだから、それは当然とも言える。
フソウ様だって本当であればきっと、あちらの試合を見たかったに違いない。
「まあ、あの人のことはいいです。問題は貴方です。リンカちゃん、試合に集中しないのは、対戦相手に失礼ですよ? 貴方らしくもない…」
全くだ…
もし私が試合を見る側であれば、怒鳴りつけていたかもしれない。
「隣が気になるのは仕方ないけど、まずは目の前のことに集中することです。どうしても気になるのであれば、きっちりと片を付けてからになさい?」
フソウ様は暗にさっさと倒してからにしろと言う。
正直この台詞も、十分に礼を欠いたものだと思うが…
しかし、対戦相手であるジンという若者は、その言葉に憤ることもなく、深く頷いてみせた。
「…リンカ様、どうか気にせず私を倒して下さい。リンカ様をその気にさせることが出来なかったのは、全て自分の未熟故…。まだまだ精進が足らなかったということです。…ですが、このまま生殺しのような事をせず、どうか全力で私と戦って下さいますでしょうか?」
若者、ジンは真剣な表情でこちらに訴えかけて来る。
ああ、この若者は本当に真摯で、真っ直ぐだな…
まだまだ未熟なれど、その心内は既に立派な戦士と言えよう。
…これでは、どちらが年長かわからないではないか。
「…すまなかった、ジン殿。礼を欠いた振る舞い、どうか許して欲しい。詫び、というわけでは無いが、貴殿の望み通り、私の全力でお相手をしよう」
「有り難きお言葉です。私はこれを糧に自らを鍛え上げます。そして次の機会があれば、今度は自身の力で、リンカ様の全力を引き出してみせましょう」
「…期待しよう。では、行くぞ」
◇
『こ、これは…、先程までの目まぐるしい攻防とは打って変わり、緩やかな立ち回りに見えますが…。いえ、しかし…』
『ええ、派手さこそありませんが、これは先程までよりも高度な戦闘です』
イオの剣が、舞うように襲い来る。
その剣は先程までの速度に任せた豪剣では無く、柳枝の如くしなやかに、木の葉のように舞う柔らかな軌道を描いた。
その複雑な軌道は見切ることが困難であり、目視での対処は至難の業だ。
闘仙流の基礎となる魔力の流れを読む技術があれば、対処出来ないものでは無いが、この軌道は…
イオの剣閃が頬を掠める。
捌ききれなかったのである。
(これが、亜神流剣術か…)
まるで刃を交えさせるのを嫌うような太刀筋。
この複雑な軌道は、たとえ来るのがわかっていても対処に手を焼く。
しかも、西洋のサーベルを思わせるような軌道を描いたと思えば、今度は燕返しのように切り返しに派生したりと、実に多様な攻撃パターンを有しており、こちらに的を絞らせない。
まさか、こんな多彩な太刀筋をイオが見せるとは思わなかった。
グラが少し手ほどきしたと言っていたが、それだけでここまで変わるとは…
やはりイオのセンスは凄まじいものがある。
…それにしても、この剣術はどうにも違和感がある。
亜人達の闘い方らしくないというか、どうにも人間臭い気がする。
これはもしかすると…、ってそんな事を考えている余裕はなかった!
「ぐっ…」
再び剣閃が肌を掠める。
…出し惜しみはしないと決めたのだ。俺は迷わず、奥義である<無想>を発動させた。
この技は、魔力の膜を形成することで自身の感覚を広げ、より高速な反射を可能とする技である。
セシアはこの技を使用し、見えない速度の攻撃に対処した。
俺の狙いも、イオの視認困難な斬撃を反射で防ぐ事にあるが、それだけでは足りない。
直線的でないイオの斬撃を反射だけ防ぐのは、精度的に無理があるのだ。
「ほう…? これは器用な…」
イオの複雑な斬撃を、今度は完全に捌き切る。
斬撃で流れた体目掛けて蹴りを放つが、これは飛び退いて躱されてしまった。
「一度、臥毘達が使うのを見たことがあります。貴方は本当に何でも吸収しますね、トーヤ」
「別に、これは臥毘達のを真似たわけじゃないさ。れっきとした技術だよ」
散眼、左右の眼球を別々に動かす技術である。
カメレオンから参考にした技術らしいが、実際はあのようにギョロギョロと動かす必要はない。
要所要所で左右の視野を広げたり、下への警戒を強めたりと状況に応じて使い分けるのが基本だ。
ただ、偉そうに技術だなどと言っては見たものの、これは純粋に俺が習得した技術ではない。
俺は武術の達人でもなければ、修行僧でもないのだから当然である。
こういった技術は全て、精霊による身体制御頼りに再現しているに過ぎないのだ。
俺はただ、それを可能とする知識と発想を持っていただけだ。
「面白い…。ではその技術とやら、全てを引き出してみせましょう!」
◇
「ああ…、彼は本当に素晴らしいですね、博士…」
『ああ、やはり、彼を解き放ったのは正解だったようだ』
目まぐるしく繰り広げられるトーヤと名乗る青年と、ハーフトロールの女戦士イオ。
トーヤが操る技術は、どれも人の技術に、魔界の技術を加えて昇華させたものだ。
それは彼だけでなく、彼の周りの亜人達にも浸透し、徐々に広がり始めている。
あのイオというハーフトロールが操る剣術もまた、古来人族より伝わった技術から成り立っているものだ。
魔界ではあまり馴染まず、徐々に廃れていった剣術。
それに彼女が興味を示したのも、トーヤの影響が大きいだろう。
今二人は、その技術をぶつけ合い、さらなる進化を遂げようとしている。
「恐らく、この試合を観て、多くの亜人達が彼に興味を持つでしょうね」
『人の芽は、彼を中心に広がりつつある、か…』
「ええ、きっと、彼なら上手くやってくれるでしょう。どうやら、この世界の事も気に入ってくれているようですしね」
『…そうか。では、いよいよ彼には事実を伝えなくてはならないだろうね』
そう。彼に託すと決めた以上、彼には全てを知ってもらう必要がある。
この世界と、彼の存在の秘密を。
『では、ヤソヤ君…、いや、今はファルナとして動いているのだったね。ファルナ君、彼を、私の場所へ招待してくれ』
「畏まりました博士。…でも、少し味見をしてからで宜しいですか?」
『…やれやれ、止めても無駄なのだろう? くれぐれも注意して扱ってくれよ?』
「ええ、もちろんです。彼は私達の希望ですから」
彼の身の安全はもちろん保証しますよ。
でも、私だってこれまで我慢してきたんです。
人間同士、色々と積もる話もありますからね…