第167話 トーヤ 対 イオ①
開始を告げる鐘が鳴った瞬間、イオの姿が掻き消える。
俺はそれとほぼ同時に振り返り、繰り出された斬撃を受け止める事に成功した。
「いきなり、飛ばし過ぎじゃないか?」
「貴方に時間を与えるのは愚策ですからね」
このまま押し切ると言わんばかりに力が込められる。
膂力で劣る俺にとって、この状況はあまり良いものではないが、これはこれで悪くもない。
今の俺であれば、押し切られることはないからだ。
「ふむ、押しきれませんか。腕を上げましたね、トーヤ」
嬉しそうに笑みを浮かべながら言うイオ。
「そっちも、な…」
こちらにはイオ程余裕は無かったが、それでも自然と笑みが浮かんでしまう。
何故ならこの構図は、かつてイオと出会った際、彼女に斬りかかられた時の再現であったからだ。
あの時の俺は本当にギリギリだった。
しかし、今の俺は余裕こそ無いが、完全にイオの斬撃を受け止めることが出来ている。
そしてイオもまた、余裕を持って受けきれると思っていた俺の予測を、僅かながら超えてきていた。
お互い、あの頃とは違うという事だ。
「フッ!」
押しきれないのであれば、次の手に出る。
俺に時間を与える気が無いのであれば、当然の行動だ。
しかし、どんなに速く動こうとも俺にはそれが見えている。
「っ!」
俺は再度振り返り攻撃を防ぐが、今度は連撃である。
一撃で決められないのであれば、連撃を行う。相変わらず切り替えが早い。
『イオ選手! 凄まじい連撃だぁ!』
『ですが、トーヤ様もあれをしっかりと凌いでいます。お二人とも良い練度ですね。それにしても、彼女もあの移動術を使うのですか…。これは是非ともご教授願いたいものですねぇ…』
『そう言えば、あの移動術はエステル選手やトーヤ選手も使っていましたね? あれって一体どんな技なんでしょうか?』
『私にも仕組みはわかりませんが、あれは魔族の使う<朔>や、鬼族の<縮地>に近い技なのだと思います。鬼族の目から見てどうでしょうか? 紅姫様』
『…あれは、<縮地>とも若干異なる技ですね。速度、魔力消費、反動…、それらを全て効率化したもっと高度な技法のように思えます。あのような技術、一体どこで…?』
やはりか、とソウガは思った。
あの技は、エルフの少女、アンナも使用していた。
ソウガはある程度、<朔>や<縮地>の技術を理解していたが、だからこそアンナが使える理由がわからなかったのだ。
エステルという少女にアンナ。そしてトーヤ様。
三人には共通して、あの技を扱うには絶対的に身体強度が足りないのだ。
恐らくあの技には、その身体能力を補うカラクリが隠されている。
アンナからは結局、技のカラクリについては聞くことが出来なかったが、あの技の発案者がトーヤ様であることは察せられた。
…全く、本当に面白いお方ですね…
「まだまだ行きますよ!」
イオは再び加速し、俺の死角に入り込む。
どんな生物であっても、急激な速度で視界の外に出られた場合、その姿を目で追うことは不可能である。
死角のほぼ無い生物であればほぼ問題ないのだが、複眼も無く、視野も広くない人間に、イオの動きは消えたようにしか見えない。
しかし、魔力の流れを読む闘仙流であれば、動きを捉えること自体は可能だ。
「なんの!」
イオの攻撃を、今度は余裕を持って受け止めることに成功する。
相変わらず重い一撃だが、ハーフトロールであるイオは、通常のトロールに比べて体格も小さく、腕力も劣っている。
受ける準備が整っていれば、勢いを殺すことは自体はなんとか可能だ。
まあ、それでも並の獣人よりも威力は高いし、大変なことに変わりは無いんだがね…
イオの攻撃は更に続く。
しかし、一度正面に向き直りさえすれば捌く事自体は問題な…
「っ!?」
続きざまに繰り出される斬撃の流れを読み、再度レンリで受けようとした俺は、突如襲った違和感から受けるのを止め、瞬時にその場から離脱する。
(剣筋が、変わった…?)
「今のも躱しますか。やはりトーヤは面白い…。では、これはどうでしょう?」
今度は先程までとは異なり、真正面から突っ込んでくるイオ。
振り下ろされる一撃も、先程までと比べれば緩やかであり、これならば受ける必要すら無い。
俺は下がることで間合いを外し、その隙に攻撃を…
「なっ!?」
間合いを外し、踏み込もうとした俺は、それに見事に失敗する。
何故ならば、間合いを外したはずの斬り下ろしが、俺の肩口を捉えていたからである。
「クッ…」
傷は浅い。この程度であれば精霊による止血で事は足りるだろう。
しかし、当たる筈のない一撃を貰ったことは、俺に十分な動揺を与えた。
「驚きましたか? これは亜神流剣術<偽刃>と言うそうです。私もコレには一度騙されました」
…仕掛けはなんとなく理解した。
あれは恐らく、回避を誘う、言わば『釣り』の技なのだろう。
程よく加減された斬り下ろしは、相手にとっては隙を突く格好の餌だ。
そして見切った筈の間合いを、なんらかの方法で殺し、釣り上げる。
「柄のギリギリまで手を滑らして、間合いを伸ばしたのか…」
イオの握り手を見ると、普段よりも大分下方を掴んでいるのがわかる。
あれが間合いを伸ばしたカラクリの正体だ。
しかし、あれでは満足にダメージを与えることは不可能だろう。
それは小細工と言ってもいい。
何故、そんな真似を…?
「フフ…、そうです。これは所詮小細工に過ぎません、ですが…」
彼女はそう言って、愛剣であるアントニオを真横に構える。
すると、その刀身が、僅かながら伸び始めた。
「トーヤとレンリ程ではありませんが、私もアントニオを操る術を身につけました。貴方ならば私が何を言いたいか、理解できるでしょう?」
「…ああ」
イオは、その気になればあのような小細工をしなくとも、間合いを伸ばすことができた。
仮に出来なかったとしても、毒を塗るなりされていれば、俺はあの一撃で終わっていたと言うことだ。
「気を引き締めなさいトーヤ。これより先は、油断など許しませんよ?」
油断していたつもりも、気を緩めたつもりもない。
加減もしていない、全力でイオの攻撃を凌いでみせた。
…しかし、それだけでは足りないのだ。
俺は、全力でぶつかれば負けるのも仕方ないと考えていた。
だが、これが戦場であれば俺は死んでいたかもしれないのである。
何が勝ちに行くだ。負けても仕方ないなんて思ってる奴が、よくもまあ…
「…すまなかった。俺はそもそも、出し惜しみなんか出来る立場ではなかった」
「ええ、その通りです。まあトーヤはどこか浮世離れしていますので、こうなるとは予想していましたが」
先程の一撃は、俺に活を入れる為の指導の一撃である。
イオは、俺以上に、俺の事を理解していたのだ。
「一応言っておきますが、先程の攻撃はトーヤの為でなく、私の為に行ったのですよ? 折角やる気を見せたのに、油断してあっさり負けられてもつまりませんからね」
きっとこれは本心からの言葉だろう。
しかし、それだけでもない事くらい、『縁』無しでも理解できる。
俺に足りなかったのは敗北に対する覚悟、そして勝とうとする強い意志。
負けに理由をつけるのは、全てが終わってからでいい。
「全力で戦うだけじゃ足りません…。全力で、勝ちに来なさい! トーヤ!」
ああ、わかっている。
もう後先なんて考えない。
これが最後のつもりで、全てを出し切ってやる!