第164話 実力
里を出たのは正解だった。
ゴウの奴は邪悪な存在であったが、この事ばかりは感謝しなくてはならない。
「おおぉぉぉぉっ!」
気合とともに振り下ろした岩の大剣を、目の前の男は片手で難なく受け止める。
俺はそれに構わず攻撃を続けるが、その尽くを男は造作もなく受け止めてみせた。
攻撃が一切効かない絶望的な状況だと言うのに、俺は自然と笑みを浮かべていた。
魔界は広い。
このような男が、まだまだ存在するのだと思うとゾクゾクしてくる。
里にいた頃は、ゴウこそがこの魔界における最強の存在であると、疑いもしなかった。
例え魔王であろうとも、ゴウには敵わない。
里の誰もがそんな認識を持っていた。
そして、それに付き従う俺達もまた、魔界屈指の戦士であるという自負があったのだ。
しかし里を出てみれば、それが幻想でしか無かった事を、すぐに思い知る事になった。
最強だと思っていたゴウは、獣人の術士相手に思わぬ苦戦を強いられ、辿り着いた森では弱小とされる種族達に敗れ去った。
そして俺もまた、最弱とまで言われるゴブリンの戦士を前に、ほとんど何も出来ずに敗北した…
「ふむ…、これだけ防がれて、何故笑う?」
男は俺の表情を不思議に思ったのか、攻撃を防ぎながら尋ねてくる。
「決まっている! 貴殿が強いからだ!」
「…理解しがたい、と言いたいところだが、残念ながら俺もその口でな。俺もお前のような戦士と戦えて嬉しいよ」
「ハッハッ! 貴殿こそ俺の攻撃を容易く防いでおきながら、言うではないか!」
「別に世辞で言っているのではないぞ? 嘘偽り無く本心だ。予選で当たったハーフトロールの若者といい、レイフには粋の良い戦士が多くて羨ましい限りだ」
俺は嘘を見破れるような器用さを持ってはいないが、なんとなくこの男が嘘をついていないことは理解できた。
「…そうか。しかし、それは買い被りだ。俺はただ、貴殿や、隣で闘っているライのような強者と戦える事が楽しいだけの、ただの大馬鹿者だ」
「結構な事じゃないか。一つのことに馬鹿になれるのもまた、才能の一つだ」
「ハッハッ! 評価してくれるのは有り難い! だが、出来れば言葉よりも行動で示して欲しいものだ!」
岩の大剣を全力で叩きつける。
男は、今度はそれを受け止めることさえしなかった。
「いいだろう! 俺の拳の味を覚えさせてやろう!」
◇
何合か交えて、この男が十分な手練だということは理解できた。
しかし、上が気にするような存在とは到底思えない。
それが正直な感想であった。
少し落胆していると、相手の攻撃が止まる。
「?」
「…全力を出さないのは、僕の力を推し量る為、かな?」
「っ!?」
気づかれたか!
少しばかり手を抜きすぎたか…
ゴブリンは、身体能力ではオークにも劣る種族である。
強く攻撃すれば容易く壊れてしまう為、可能な限り手数を減らしていたのだが、そこから悟られてしまったらしい。
しかし、今の数合でそれを見抜いたという事は、俺の予想よりも優秀な戦士なのかもしれない。
これは少し評価を上げなければならないな…
「…その通りだ。俺は上の命令でアンタを推し量るように命じられている」
「そんなにあっさり肯定しちゃって良いの?」
「問題ない。そもそも、アンタは俺よりも上の立場なんだ。それどころか、俺に命じた上司よりも、な。だから、聞かれればなんでも答えるぜ? 拒否権は無いからな」
上司が聞いていたら血相を変えそうである。
しかし、元々気に入らないヤツであったので、どうなろうとも知ったことではない。
こんな茶番につきあわせたのだ。腹いせの一つもしないと割に合わない。
「…まあ、僕も君の上司には興味ないし、聞く気はないよ」
「そりゃどうも」
「でも、出来れば全力で闘って欲しいな」
全力で闘って欲しい、と来たか。
「僕と年齢は近いみたいだけど、かなりの手練だって事はわかるよ。だからこそ、全力の君を相手にしたいと思うんだけど…」
いいや、アンタは何もわかっていないよ。
かなりの手練? そりゃそうさ、俺はこれでも副将軍だからな。
それも正真正銘、実力で勝ち取った地位である。
正直、舐められたものだと思った。
キバ様に攻撃を当てたというだけでその地位に付けただけの若造が、俺に全力を出して欲しい?
流石の俺も、今のはカチンと来てしまった。
試したことはないが、キバ様に攻撃を当てるなんてのは、将軍クラスなら出来て当たり前の事である。
その程度のことで、どこまで有頂天になっているのだろうか。
確かに、このライという男はそれなりに優秀な戦士であるようだが、あくまでそれなりにである。
残念ながら、優秀とは言っても所詮はゴブリンであり、身体能力で上を行く獣人には敵うはずもないのだ。
先程トロールと闘ったゾノというゴブリンは、トロールの性質を利用し上手く立ち回っていたが、俺であれば秒殺だっただろう。
このライもゾノと同様、優秀な棒術の使い手なのは間違いないが、この程度では日が暮れても俺に当てることは不可能だ。
それすらも理解出来ていない男が、全力を出せ? 笑わせるな!
「…そうしたいのは山々なんだがな。こっちも一応任務なんで、じっくりやらせてもらいますよ」
俺はズタズタにしてやりたい、という衝動を押さえ込み、冷静に返す。
感情に身を任せるのは簡単だ。
しかし、それをしては逆効果であることを、俺は経験から学んでいる。
伊達に副将軍の地位まで上ったわけではないのだ。
こういう手合には、軽くあしらう程度の態度が丁度いい。
その効果は、かつて自分がされたことで実証済である。
この男も、この機会にそれを学べばいいさ。
「う~ん。そうなってしまうか…」
ライはため息をつき、棍を構え直す。
「じゃあ、もし次の機会があれば、全力でお願いするよ」
ああ、アンタが次もやりたいと思えば、いつでも相手をしてやるさ。
やりたいと思えば、な。
「じゃ、時間も無いし再開しま…?」
…あ?
…なんだ?
急に、あの男が大きく…?
…いや、これは、俺が………………
◇
『な、何が起きたのでしょう!? ザイ選手が急に崩れ落ちました!!!!』
『…見事です。正直私も、これ程のモノとは思いませんでした』
『ソ、ソウガ様は今のが見えていたんですか!?』
『ええ…、ただ、見えていたというより、理解できた、という方が正しいですがね…』
『一体どういうことでしょうか!?』
『…ライ選手が行ったのは、突きですよ。それがザイ選手の顎先を打ち抜いたのです。恐らく、ザイ選手はもう立てないでしょう』
会場に動揺や驚きが走る。
しかし、その驚きには実のところ二種類が存在していた。
ソウガの発言を聞いて驚きを隠せないと言う者と、ライが何をしたのか理解した者である。
『突き、ですか…? 正直、私には何も見えませんでしたが、そんな突き技って存在するんですか?』
『当然、存在しますよ。何と言ってもアレは、我々にも馴染み深い技ですからね』
『馴染み深い!? ということは私も知っている技ということですか!?』
『ええ、もちろん。ライ選手が使ったあの突きは、我々軍属の者が学ぶ初歩の初歩、ただの直突きなのですから…』




