第161話 ゾノ 対 ダオ
試合開始の合図と共に、真っ直ぐゾノに向かって突っ込むダオ。
トロールの体格は、亜人の中でも大きい部類に入る。
2メートルを超す身長の筋肉の塊が突進してくる姿は、中々に迫力があった。
しかし、その凄まじい迫力に怯むこと無く、ゾノは冷静に棍を突き出して間合いを取る。
『凄まじい連撃! ゾノ選手の洗練された棒捌きの前に、ダオ選手は突進を止められてしまったぁ!!!』
予想外の光景に観客からどよめきが上がる。
170センチメートル有るか無いかといった身長のゾノが、あの巨体の突進を阻んだのが余程意外だったらしい。
しかし、こんなものは何も驚くに値しない事である。
それは突進を阻まれたダオ自身ですら承知の筈だ。
「相変わらず見事な棒術! しかも、今日の獲物はいつもと違うな!?」
ゾノは答えない。いや、恐らく答える余裕がないのかも…
ゾノらしいと言えばゾノらしいが、予定通りなのだからもう少し余裕を持ってもらいたいものだ…
ダオの言うとおり、今日ゾノが扱っている棍棒は、普段から使っているものではなかった。
今日のために準備をしておいた特注品。俺やライの使用するモノと同様、レイフに仕立ててもらった一品なのである。
しかも、対トロール戦を視野に入れ、その全長は3メートル近くで調整していた。
いくらトロールの体格が優れているといっても、これだけ射程が違えば攻撃を当てることは出来ない。
ゴウのような異常な体格であれば話は別だが、ダオはトロールの中でも標準のサイズであり、間合い埋めるだけのリーチは無かった。
『素晴らしい練度です。ウチの兵にも見習って欲しいくらいですね…』
『おっと! ソウガ様から素晴らしいという発言が! やはりゾノ選手の棒術はかなりのモノなようです!』
ゾノの棒術―、いや杖術の腕は、レイフにおいてライに次ぐ実力だ。
本人は否定するが、単純の杖術であれば俺も敵いはしない。
しかし…
『ですが、いくら腕が有ろうとも、それだけではトロールに勝つ事はできません』
ソウガがそう言ったのと同時に、ダオは強引に前に踏み込む。
ゾノの攻撃など、知ったことかと言うばかりに。
「そらぁ!!!」
ゾノはそれでも攻撃の手を緩めなかったが、ダオがそのまま岩の大剣を振り下ろしたため、堪らず後退する。
『そう、まさにあのような形で、強引に間合いを潰されてしまうのですよ。これがトロールの厄介な所です』
本来、射程の勝る武器を相手にした時、間合いを制された時点で勝負は決まったと言っても良い状態となる。
ゾノの立ち回りは完璧であり、間合いの有利もしっかりと取っていた。
しかし、それは種族の違い…、身体能力の差に脆くも崩れ去ってしまった。
「相変わらず…、だね。彼らと戦うと、時折自分の努力が無駄だったんじゃと思わされるよ」
隣で一緒に観戦しているライが、やれやれと首を振る。
努力が無駄だという事は決して無いのだが、ライの気持ちも分からなくはない。
剣道三倍段という言葉がある。
これは、無手の武道家が剣を持った相手に勝つには、三倍の実力が必要、という意味で使われるが、実際は少し違う。
この言葉は、間合いが異なる全ての武術において適用される言葉なのだ。
元々、剣道三倍段という言葉は、槍術と剣術の比較する際に用いられた言葉であり、その本質は攻撃の有効間合いが広い武器を相手にする場合、三倍の技量が必要という指針のようなものであった。
しかし、技量だけではどうにもならない事もある。
それが種族の違い、元々持つ身体能力の差なのであった。
『この会場は屋内なので、本来の性能を出せているとは言い難いですが、それでもトロールの優れた肉体であれば、多少の回復力があれば十分なのです。剛体の反動で多少の動きは制限できますが、元々の膂力の差があると、あのように強引に押し切られてしまいます。普通の攻撃で、彼らにダメージを与えるのは不可能でしょう』
ソウガの言うとおり、ゾノの攻撃はダオに対してダメージを与えられていない。
人間が棒きれを持っても、熊などの大型の猛獣には敵わないように、ほとんどの種族は自分より体躯の優れる種族には基本的に敵わないものである。そんな事は魔界の住人であれば誰もが知っていることであり、理解しているからこそ、観客達はゾノに勝ち目など無いと判断したのだ。
実際、トロールを相手にまともに近接戦闘ができる種族は、この亜人領には獣人くらいしかいないと思われる。
獣人にしても、戦闘向けのものでなくては厳しいだろう。
観客達の判断は、決して間違ったものでは無いのである。
「シッ!」
それでもゾノは愚直に突きを連打する。
近付かれれば、その圧倒的な膂力から繰り出される一撃を防ぐことは不可能に近い。
「ハッハッハ! 本当に愚直であるなゾノ殿! しかし! それでは俺に勝つことは出来んぞ!」
再び強引に近づくダオ。
反動で押し返されるゾノも、再び同じように後退しようとするが、次にダオの取った行動に、慌てて棒を引き防御の姿勢を取る。
「グッ…」
ダオの放ったのは下段からの切り払い。
しかし、それはゾノに対して向けられたのでは無く、地面を抉るために放たれたものであった。
ゴウが放った大地を抉り放たれる飛礫。それと全く同じ攻撃がダオにより放たれる。
飛ばされたのは基本的には土だが、細かい小石でも、あの威力で放たれれば少なからずダメージが入る。
剛体を使えない者にとっては看過できないものだ。
ゾノは土術で対抗するも、この一瞬では薄い膜程度の壁しか生成は出来ない。
それを貫く大小の小石については、棒で受けざるを得ない為、ゾノは棒を引き戻したのだが、その間をダオは逃さなかった。
強引な斬り払い。脚を止めたゾノにそれを躱すことは出来ない。
しかし…
「ヌゥ!?」
ゾノはその一撃を安々と掻い潜り、一気に間合いを詰める。
狙いはダオの心臓付近。そこに触れることさえ出来れば、ゾノの勝利である。
「オオォォォっ!」
呼気と共に放たれる掌打。
闘仙流『破震』は、体内に直接ダメージを与える技である。
魔力同調による振動波は、直接体内に叩き込まれる為、剛体での防御は不能だ。
心臓部付近で受ければ心臓震盪を引き起こす為、中々に危険な技であったのだが、加減については研究済であり、無力化をする技として確立していた。
(よし、作戦通り!)
斬り払いにより開いた胸部にゾノの掌底が触れる。
否。その直前で割り込まれた腕に遮られ、『破震』は不発に終わる。
「フン!!!」
直後に放たれた蹴り上げが、ゾノの腹部に突き刺さる。
ゾノはそのまま凄まじい勢いで吹き飛び、観客席付近の壁に激突した。
『す、凄まじい威力の蹴りに、ゾノ選手はまるで蹴鞠の様に吹き飛んでしまいました! これは致命傷か!?』
蹴り上げの体勢からゆっくりと脚を下ろすダオ。
その表情には笑みが浮かんでいた。
「今の感触、剛体で防いだのだろうゾノ殿! さっさと立ち上がって来られよ! 続きをやろうではないか!」
その台詞に、再び観客にどよめきが走る。
間違いなく今ので終わったと、誰もが思ったのだろう。
しかし、うつ伏せに倒れていたゾノは、特によろめく様子もなく、あっさりと立ち上がった。
大きなダメージを受けた様子も無く、その姿が逆に観客の困惑を誘う。
「全く、あの姿勢からこれだけの攻撃をしておいて、無茶を言ってくれる…。防げたとはいえ、完全には衝撃を殺せてはいないというのに…」
「フフン、そんなタマでは無かろう。大体に無茶は今更だろう? あんなを罠を張っておいて言う台詞ではないぞ!」
「…読まれていたか」
「いや? しかし、剛体で防げるはずの飛礫を、わざわざ脚を止めて防いだので、少し怪しくは思った」
「…そう言うことか。あの一瞬でそこまで判断されるとはな」
「甘く見てくれるなよ? これでも、普段からゾノ殿やトーヤ殿の稽古は見ているのだぞ? そのくらいの警戒はして当然だ」
…少し甘く見ていたか。
侮っていたつもりは無いが、出来ればこれで楽に仕留めたいと考えていたのは事実である。
剛体を使わず、あえて多少のダメージを覚悟で攻撃を捌き、攻撃を誘う。
その状況であれば、ダオは高確率で切り払いを行うと読んでいた。
これはダオに限らず、トロール特有の考え方の癖のようなものである。
脚を止めた相手には、最小の動きで防がれる縦や点の攻撃よりも、横の攻撃を優先する。
理由は、かすりさえすれば十分に有効打となるし、防御されたとしてもダメージを通す自信があるから、という事らしい。
来る攻撃がわかれば躱すことは簡単だ。
攻撃範囲、威力ともに優秀な岩の大剣だが、攻撃速度に関してはどうしても普通の武器に劣る面がある。
それを躱し、致命打となる『破震』を叩き込む、というのが俺達が昨夜立てた作戦であった。
しかし、残念ながらそれは通じなかった。
やはり、ガウを筆頭に、トロール達はかなりの難敵である。
熊や魔獣と比べては失礼だったかもしれない。
彼らはその見た目や性格からは想像し難いが、しっかりと物事を考え、冷静に立ち回るだけの知性をもっている。
怒りや本能のままに攻撃を行う獣とは違うのだ。
それこそが、トロールが数多くの種族の中でも脅威とされる所以なのであった。
「…当然の警戒、か。ふ…、トロールがゴブリンを警戒するなんて、普通は誰も思わないと思うがな?」
「普通なら、そうかも知れんな。しかし、あの森ではそんな常識が通用しないことなど分かりきっているだろう? それはゾノ殿が一番良くわかっているのではないか?」
「…そうかもしれんな。こうして、ダオ殿のような戦士と相対している事自体、以前なら想像もしなかった事だ」
「そうだ。誇っても良いことだと思うぞ? ゴブリン族が、我々を前にして怖じける事もなく立っているというだけでも、故郷の者は恐らく誰も信じない筈だ。ましてや、我々を打倒しうる術を持つなどとは、俺だって想像していなかった」
そう言ってダオは左腕を擦る。
「この痺れこそが、それを現実だと知らしめる。普通のダメージではこうはならん。…さあ、続けるぞゾノ殿! 俺にゾノ殿の全てをぶつけてみろ!!!」
会場を震撼させるほどの雄叫びを上げ、ダオが突進をする。
それに対し、ゾノは土術を放ち牽制を試みる。
が、当然だがそんなものには塵ほどの効果も無い。
クソテングダケを使ったとしても、嗅覚を殺せるトロールにはさして意味を成さない。
せいぜい視界を奪うのを期待するしか無いが、それも期待するだけ無駄だろう。
少しでも万全の体勢を整える。そんな僅かな時間を稼げればという苦肉の一手。
その効果があったかは、正直ゾノ自身にもわからないに違いない。
しかし、やれることは全てやるという意思が、そこには込められていた。
ゾノはしっかりと腰を据え、迫り来る暴威に向かって棍を突き出す。
しかし、それを無視して突き進むダオに対し、それはほとんど意味を成さない。
むしろ、その衝撃に攻撃したはずのゾノが押し戻され、再び壁へと追いこまれていく。
「さあ! もう逃げ場は無いぞ!」
その言葉の通り、ゾノの背は既に壁につけられた状態であった。
一定の距離を維持しながら、警戒をされている状態では、先程のように懐に飛び込む余裕も無い。
万事休す。今度こそ無理だと、観客の誰もが思っただろう。
しかし、ゾノは決して諦めていなかった。
相対しているダオにも、それが良くわかっている筈だ。
ダオはこの状況を心底楽しむように笑みを深め、上段から岩の大剣を振り下ろす。
普通であれば確実な死をもたらす一撃を、ダオは迷わず放った。
それはゾノであれば少なくとも死ぬような事は無いという、信頼から放たれたものだ。
しかし、殺意が無くとも、その光景は大いに監視者達を慌てさせた。
ゾノはその振り下ろしを、ギリギリで躱すことに成功する。
しかし、懐に入るほどの余裕もまた、ゾノには無い。
故に放たれるのは、もう何度も見た棍による突き。
一度として通じなかったその突きを、ダオは防ぐつもりはなかった。
しかし、その突きが体の中心に触れる一瞬手前で、ダオは咄嗟に岩の大剣を手放し、強引に棍を掴みに行く。
ねじり込むように放たれた突きを、ダオはギリギリの所で止めることに成功した。
「魔王との戦闘で、ライが見せたあの突きか…。まさか使えるとは思っていなかったぞ」
ダオの手からは摩擦で発生した熱により、煙のようなものが発生している。
剛体の上からでもダメージを与えられるよう編み出された突き、『螺旋』。
それは、予想通り、防がれた。
「…俺も、ここまでトーヤの言うとおりに、事が進むとは思っていなかった」
「? なん…!!!!!???」
瞬間、ダオの体がビクリと痙攣する。
「これ…は、まさ…か…」
「ああ、『破震』だよ、ダオ殿」
「ふ…、は…、見事…!」
その言葉を最後に、ダオは白目を向いて地に沈んだ。
静まり返る会場。
その状況で、ソウガだけは冷静に状況を把握していた。
『ダオ殿は、どうやら気絶しているようですね。この勝負は、ゾノ殿の勝ちでしょう』
『…はっ!? あ、あまりの状況に少し固まっておりました! 窮地に陥ったと思われたゾノ選手ですが! 返しの一手でダオ選手を倒してしまったようです! 私も状況がつかめておりませんが…、おっと、監視者によりダオ選手の気絶が確認されたようです! よって、この勝負、ゾノ選手の勝利となります!!!!』
ヤマブキさんがゾノの勝利を告げると、観客席からは盛大に歓声が巻き起こった。
始まる前はゾノの実力を下に見ていた者たちも、一緒になった騒いでいる様子である。
こういった所が、獣人族の良い所だと思う。
「ゾノ…、本当に、強くなったね…」
ライは歓声の中にいるゾノを見て、心底嬉しそうに笑った。
ゾノと最も親しい友人は、幼馴染であるライだ。
ライにとってゾノは家族のようなものだ。その家族が活躍する姿は、やはり胸に来るものがあるのだろう。
「…俺達も負けていられないな、ライ」
「うん。トーヤも頑張ってね、きっと、僕よりも大変だと思うしね」
「そうだな…」
ライの返答に、自分から言っておきながら、やや少し気が沈んでしまう。
そう。俺の相手はダオよりも厄介な相手なのである。
俺の方こそ、しっかりと気を引き締めるべきだろう…
…でも、ゾノが幸先の良いスタートを切ってくれたのだ。
不安はあるが、それ以上に俺はやる気が俺には満ち溢れていた。
「隣の対戦も終わったみたいだ…。どうやらギイが勝ったみたいだね」
隣の試合上でも勝者が決まったらしい。
向こうは向こうで暑苦しい肉弾戦を繰り広げ、それなりに盛り上がっていたようだが、ソウガもヤマブキさんもこっちばかり見ていたようで、情報がまるで入ってこなかった。良いのだろうか、これで…
「じゃ、僕は行ってくるよ。決勝でやれるといいね、トーヤ」
そう言って拳を突き出してくるライ。
俺はそれに応えるように、ライと拳を付き合わせる。
「ああ、負けるなよ、ライ」
二回戦はライ、そしてタイガとテオの試合だ。
どちらも気になると言えば気になるが、勝負の結果は見えているような気がした。