第152話 セシア 対 ライカ④
『ライカ選手、なんとか立ち上がりました! しかし、膝に力が入っていません! やはりダメージは抜けきっていない様子!』
ヤマブキさんの言う通り、ライカ少年は立っているのもやっと、といった様子である。
故に、今こそが攻めの好機でもあるのだが、セシアは攻めあぐねていた。
その理由は、単純な技量の差から来るものだろう。
実際の所、攻めの技術だけで言えば、ライカ少年の実力はセシアを大幅に上回っていると言える。
それでも、その攻めを捌ききれるだけの防御力をセシアが持っていた為、この戦いは拮抗していたのだ。
しかし、セシアから攻めた場合、この拮抗は破られる可能性がある。
それはセシアの攻めが、ライカ少年の防御を破れない可能性がある為だ。
この試合において、セシアは自分から攻めるという事をしていない。
それはつまり、自分が攻める事に自信が無いと語っているようなものだ。
「やっちまえぇぇぇっーー! その獣人は虫の息だぞぉぉぉっ!」
攻めあぐねているセシアに対し、オークの応援陣から声が上がる。
これは野次などではなく、セシアに期待する思いから上がった声だろう。
セシアとしても、この膠着状態は望ましいものでは無い筈。
どちらにせよ、セシアには攻めるしか選択が無いのだ…
セシアが何かを決心したように、一歩踏み出す。
しかし、ライカ少年はそれを諫めるように剣を突き出した。
―――
「違う、君の最善は、そうじゃ、ないだろう? セシア…」
剣を突き出したとはいえ、セシアとの間には十歩近い距離がある。
それでもセシアが足を止めたのは、ライカ少年の問いと、気迫によるものだ。
「……」
「はは…、そんな顔を、しないでくれ。自分の不甲斐なさに情けなくなってくる…。でも、こんな下らない勝ち方は、僕としても不本意なんだよ…」
ライカ少年は一度剣を引き、杖にするようにして上体を起こす。
この期に及んで、ライカ少年が冗談を言うとも思えない。
つまり、セシアが攻めていれば、ライカ少年は確実に勝利する自信がある、という事だ。
「くっ…、分かって、いるさ。この戦いに、水を差しているのは、僕、自身だ。僕は全力を出し、君は全力で応えた。その結果、僕は敗れた。だから、潔く、追撃を受け入れるべき、だったんだがね…。体が、勝手に反応してしまったんだ」
ライカ少年はそこまで言い切った後、一度言葉を止め、深い息を吸い込んだ。
そしてそれを、音を伴う程の呼気で一気に絞り出す。
今のは、まさか空手で言う所の息吹か…?
獣神流の技にあるのだろうか?
確かに、武技については色々と調べたりもしたが、呼吸法や型についてはまだ調べが及んでいない。
その中には、今ライカ少年が見せたような、俺の居た世界に通じる技術が存在するのかもしれないな…
「…自分でも驚いているんだ。こんな無様を晒してまで、戦おうと思っている事にね。どうやら、僕は自分が思った以上に負けず嫌いのようだ」
そう言って、ライカ少年は外套を脱ぎ捨てる。
「っ!? いかん! ライカ! それは禁じたはずだぞ!!」
今までも十分にハラハラした様子だったサイカ将軍が、血相を変えて叫ぶ。
何をする気だ? この反応はただ事じゃないぞ?
「今僕が、全力で攻撃しても君に及ばない事はわかっている。しかし、僕が攻めねば、君は全力を出せないというのであれば、僕が今以上の力を出すしかあるまい」
ライカ少年が姿勢を下げる。
その姿は、獣が獲物に飛びつく姿勢に似ていた。
「行くぞ、セシア。…死ぬなよ?」
―――
ライカ少年の姿が再び掻き消えた。
かなりのダメージを負っている筈なのに、その速度は些かも衰えてはいない。
むしろ、先程よりもさらに速度を増しているようにすら思える。
実際は外套の脱いだことによる影響か、先程よりも速度は出ていないのだが、その分増した鋭さにより、それを感じさせないのだ。
「…あれは、部分獣化、ですか?」
ソウガの問いに、サイカ将軍は苦虫を噛み潰したような顔をして頷く。
「直接教えたのではありません…。ただ、一度だけアレを見せた事がありました。息子はそれだけで、不完全ながらも獣化を体現してしまったのです。ですが、アレを扱うには年齢、というより体が未熟故、使用は禁じていたのですが…」
恐ろしい事である。獣化といえば、ウチではシュウくらいしか出来ないレベルの代物だ。
それを、特定部位だけでもやってのけるライカ少年は、間違いなく天才と呼ばれる存在だろう。
ライカ少年の見た目で変化した点は脚部と腕部、そして目と耳である。
猫科と思しき鋭い瞳に、発達した爪、そして何より特徴的なのは耳の先にある長いふさ毛だ。
あの特徴は恐らくカラカルだろう。であればあの速度も納得である。
何故ならカラカルは、瞬発力だけならチーターを超えるとも言われている動物だからだ。
凄まじい速度で繰り出される爪撃、そして剣撃を、セシアはギリギリの所で捌いている。
反応出来る攻撃は剛体で流し、反応しきれないものは<無想>で対処する。
しかし、攻撃の要である<無想>の自動反撃は、ライカ少年の強化された反射神経により、ギリギリで防がれていた。
凄まじい攻防だ。その光景は最早、感動的ですらあった。
圧倒的に身体能力の劣るセシアが、技術をもって暴威に対抗する姿は、俺を含めた観衆の心に熱い何かを与える。
『ライカ選手の凄まじい猛攻!!! しかし、それを全て防いでいるセシア選手!!! こんな戦い、大人の部でもほとんど見られるものではありません! まさに名戦! 歴史に残る一戦と言っていいでしょう!!!!』
『やっぱりセシアちゃん、時折反応出来ていない…。それでも防いでる…。本当にすごいわ…』
ライカ少年が攻撃を開始して、時間にしてまだ一分と経っていないというのに、既に数百という攻防が繰り広げられている。
凄まじい速度ではあるが、連撃であるが故に先程までと違い、見失うという事は無い。
ほぼ全ての観客に、その光景は捉えられている。
会場にいる全員が、食い入るようにその攻防を見ていた。
止めるか否か迷っていた監視者達も、今はいつでも飛び出せるように構えつつ、真剣にセシア達の戦いを見守っていた。
そして、無限にも続くと思われたその攻防は、唐突に終わりを告げる。
ライカ少年の速度が、突如鈍ったのだ。
「しまっ…」
理由は簡単だ。部分獣化した箇所、それらが元の姿に戻っていた。
限界が来たのだろう。そして、その隙を逃さず、セシアはライカ少年の懐に飛び込んでいた。
セシアの掌底が、ライカ少年の胸に触れる。
「見事…!」
サイカ将軍は我が子の事にも関わらず、その瞬間、セシアへの賛辞を口にした。
しかし…
「セシア、よく、頑張ったな…」
「はい…」
握り込んだ俺の拳を、アンナの手が包み込む。
その手から伝わる感情は、悔しさであった。
「…? 何故…?」
真っ先に疑問を口にしたのは、ライカ少年であった。
セシアの掌底は、間違いなく彼の胸に触れている。
セシアが一回戦で見せた、ハイオークを一撃で倒した技。
ライカ少年が最大限に警戒していたであろうその一撃が、ついに決まったのだ。
だというのに…
「はは…、魔力、切れちゃった…」
そう言って、セシアはゆっくりと手を下ろす。
「すいません! この勝負、セシアの負けです!」
セシアは、この試合の審判でもある監視者にそう告げると、背を向けて出口に向かう。
告げられた監視者は、一瞬何を言われたか分からないようにキョトンとした顔をしている。
「ま、待てセシア! 僕は! 僕はこんな幕切れ認めないぞ!」
その声に歩みを止めるセシア。
振り返ったその表情には笑顔が浮かんでいる。
「ううん、セシアの負けだよ。ライカ君は強かったもん。それだけ! またね!」
セシアはそれだけ言って、今度は駆け足で出口へ向かう。
その姿が完全に見えなくなった辺りで、我を取り戻した監視者が、ライカ少年の勝利を宣言した。
『な、な、な、なんと! 無限に続くとも思われた攻防は、拍子抜けするほどあっさりと終わってしまったぁぁっ!! しかし、今の一戦が、歴史に残り得る名勝負であった事に疑いようはありません! 皆さん! どうか両選手に盛大に拍手を!!!」
その瞬間、会場に凄まじい拍手と声援が溢れかえる。
セシアの勝利を願って応援していたオーク達も、誰一人落胆する事無く、その声援に加わっていた。
俺はそれを見届け、すぐさまその場から退散した。
◇
「セシア!」
セシアは荒神城の2階、誰も居ない回廊で、一人外を眺めていた。
「パパ!?」
振り返ったセシアは、慌てたようにこちらに駆けてくる。
「なんでセシアの居る場所がわかったの?」
「俺がセシアを見失うわけないだろ?」
笑顔を作り、セシアの頭を撫でてやる。
セシアは嬉しそうにそれを受け入れて、笑顔を見せる。
「…パパ、セシア、負けちゃった」
「…ああ、ライカ君は強かったな」
「うん! エステルちゃんに勝つために覚えた技、全部使ったのに勝てなかった! ライカ君は凄く強かった!」
「そうだな。でもセシアも強かったよ。あんなに強くなっているとは思わなかった。…ずっと秘密にしてたんだろ?」
「うん! パパをびっくりさせたかったから!」
「ああ、びっくりしたとも。正直、心臓が飛び出るかと思ったよ?」
「えへへ…」
照れたように笑うセシア。
俺は少し腰を落として目線を合わせる。
「でも、負けちゃった。セシア、まだまだ弱いね…」
「そんな事は無いよ。会場のみんな、驚いてたぞ? あんなに強い女の子がいるのかってね」
「…本当?」
「ああ、本当だとも」
そう言うとセシアは嬉しそうに笑った。
それは今まで見た事が無いくらい、満面の笑みであった。
「…セシア、もっともっと強くなりたい。パパやお姉ちゃん達に負けないくらい! ねぇパパ…、セシア、強くなれるかな?」
「ああ、なれるとも! それなら、とっておきの方法があるんだ。聞くかい?」
「っ!? 教えてパパ!」
俺はよしよし、と頭を撫でながら、そっとセシアを抱き寄せる。
「パパ?」
「セシア、成長する最大の近道はね、素直になる事だよ」
「…素直?」
俺は少し距離を離し、まっすぐセシアの瞳を見る。
「ああ。楽しかったり嬉しかったら笑う、そして…、悔しかったり悲しかったりすれば泣く。それが一番だよ」
「っ!?」
「セシアは全力で戦ったろ? それで負けた。なあ、セシアは今、どんな気持ち?」
俺の問いで、セシアの表情にヒビが入る。
強くなりたいと思う気持ちが被らせた仮面。そんな物はセシアには必要ない。
子供は素直に、真っ直ぐ育つのが一番なのだから。
「うっ…、ひぐっ…、悔しかった…、悔しかったよぉ…、パパァ…」
決壊した涙腺から止めどなく涙が流れ落ちる。
俺の胸に飛び込んだセシアは、そのまま大きな声で泣き声を上げた。
(悔しかったよなぁ、セシア。俺も、悔しかったよ…。もっと、みんなの事をちゃんと見てやるべきだった…。イーナの事と言い、俺は本当に駄目な親だな…)
本当に情けない。
何が父と思ってくれていい、だ。
子供達の方が、ちゃんと前を見ているし、余程しっかりとしているじゃないか…
これ以上情けない姿を、子供達見せるわけにはいかない…
適当に流そうと思っていたこの大会も、真剣に挑もう。
俺はセシアを抱きしめながら、密かにそう誓った。