第147話 衛生部隊 カンナの告白
「君は…、キリル君、だったね?」
「は、はい! その、昨日は申し訳ありませんでした! まさか、左大将様だったなんて思わず、無礼な口を…」
「あ、ああ、いいんだ無礼だとかは全然気にしていないんで。それより、ファーガ君は大丈夫だったかな?」
先日の試合でイーナにより致命傷を受けた魔犬、ファーガ君。
彼の容体は結構気になっていた。
あの大会監視の女性が放った術は非常に優れたものだったが、それでも致命傷であったことは変わらないのだ。
最悪、障害が残る事もあり得る。
「ファーガなら問題ありません。魔獣は生命力が強いので、もう少し療養すれば完治すると思います」
確かに、普段から魔獣と良く遭遇するレイフの森に住む俺は、魔獣の生命力に関しては十分に思い知らされていた。
何はともあれ、これで少し安心だ。
「それは良かった。…さて、イーナ。約束通り、出来るよね?」
「…うん」
頷くのを確認し、そのままイーナを地面に下ろす。
まだ少し抵抗感はあるようだが、先日のような拒絶はもう無い筈だ。
「あの…、昨日は、その…、ごめんなさい」
そう言って深々とお辞儀をするイーナ。
お辞儀は魔界において、かなりポピュラーな謝辞を表わす行為だ。
どの種族相手でも大抵は通じる所作である。
「いや、気にしていない、とまでは言えないけど、俺も大いに反省する事が多かった…。怒りに任せて殺せと命じるなんて、恥ずべき行為だ…。その点は俺からも謝らせて貰う。だから、今回の事はその気持ちだけで十分だよ。頭を上げてくれ」
その返事に、少しだけ安心したような表情を見せるイーナ。
どれだけ罵られようとも覚悟するつもりだったようだが、やはり緊張はしていたらしい。
しかし、このキリル君、中々にしっかり者だな。年齢的にはヘンリクと同じくらいだと思うが、随分と落ち着いた雰囲気をしている。
「俺からも謝らせて貰うよ。イーナの保護者として、もう少し気を使うべきだった。すまない」
イーナに倣うように、俺もしっかりと頭を下げる。
「ト、トーヤ様は悪くなんて!」
「そ、そうですよ! 左大将がそんな、やめて下さい!」
俺がお辞儀をしただけで周囲もざわざわとし始める。
むぅ…、公共の場で簡単にお辞儀も出来ないのか…。身分って本当に厄介だよな…
やれやれと思いながら顔を上げると、曲がり角の影に見覚えのある兎耳が目に映る。
「丁度いいから、彼女にもお礼を言わせて貰おうか。おーい! そこの大会監視の人!」
俺が声をかけると、兎耳がビクリと反応する。
そのまま少し反応を待つと、彼女はそろりと顔を出した。
俺が手招きすると、彼女は恐る恐ると言った感じで近付いてきた。
「確かカンナさん、でしたよね? 昨日は本当にありがとうございました」
このカンナさんが居なければ、事態はもっと酷い事になっていただろう。
彼女には感謝してもしきれない。
「わ、私は職務を全うしただけで…、ってトーヤ様、何故私の名を…?」
「スイセンから聞いていました。大変優秀な治癒術士だと、まるで自分の事のように自慢していましたよ?」
大会監視には、とびきり優秀な治癒術士の友人に依頼したと言っていたスイセン。
スイセンがそれ程評価するとは、一体どれ程のものかと思っていたが、実際にその手腕を目にして、その評価が一切誇張の無いものだと良く分かった。
「あの娘ったら…。恐縮です…」
その言葉通り、恐縮しているように見えるカンナさん。
ふむ…、スイセンから聞いた話では、もっと大雑把というか、色々と無頓着な性格だと聞いていたんだがな…
まあ、俺の左大将という肩書に、少し気圧されているという可能性もあるか?
「ほら、イーナもしっかりとお礼を」
想像していた反応との食い違いに少し違和感を感じたが、気にしない事にする。
俺に促されたイーナは、先程と同じように深々とお辞儀をする。
「昨日は本当にごめんなさい! それから、助けてくれてありがとうございました!」
「お、俺も! ファーガを助けてくれてありがとうございました!」
二人に頭を下げられて、カンナさんは急にあたふたとし始める。
「い、いーのいーの、気にしないでね? 一応お仕事だったんで」
「でも、俺はそんな人に対して食い殺せだなんて…」
「だからいーってば! お姉さん、過ぎた事は気にしない性質なの! だから二人とも気にしないで良し! この話はおしまいね!」
閉め閉めとばかりに手を叩くカンナさん。
先程とは打って変わって、実にさばさばとした態度である。
この彼女であれば、確かにイメージ通りなのだが…
「そ、それよりも、トーヤ様?」
「な、なんでしょうか?」
そして俺の方に向き直った彼女は、再びモジモジとしだす。
一体どうしてだろうか? やはり、俺の肩書が問題なのか…?
「えーっと、その、先日は守って頂いて、ありがとうございました」
「いえいえ、私も当たり前の事をしただけですので…。こちらこそ改めてお礼を言わせてください。イーナを守って頂き、本当にありがとうございました」
お辞儀をお辞儀で返す。なんだか日本人的なやり取りだなぁ…
しかし、正直な所、お礼を言われるような事は本当に無かったりする。
何故ならば、俺はあの時、何よりもイーナを守る事を優先していたのだ。
結果としてカンナさんを守る事にもなったのだが、意識的にやった行いではない。
「それで…、その…」
何かを言いかけるも、はっきりとしないカンナさん。
黙って見ていると、腰をクイクイ、というかグイグイと引かれる。
「アンナ…?」
「トーヤ様、一刻も早くここを離れましょう。不穏な空気が漂っています…」
アンナは酷く深刻そうな表情で言う。
俺にはそんな空気など感じ取れないが、アンナには何か感じ取れているのだろうか?
少し警戒して周囲を見渡す。アンナとの『縁』で俺の感覚はかなり増している筈だが、やはり悪意のある空気は感じ取れない。
周囲の感情を色として捉えるアンナの共感覚であれば、悪意を見抜けぬワケは無いと思うのだが…
正直、悪意どころか、むしろ浮かれているというか、ピンク色の情念というかを目の前から感じる。
ん…? 目の前、から?
「ト、トーヤ様!!!」
「ハイ!!!」
カンナさんが急に発した大声に、思わず背筋をピンと立てて返事をしてしまう。
ついつい反射でやってしまったが、上に立つ者がする反応ではない。
「わ、私を、妾にして頂けないでしょうか!!!」
………………は???