第141話 衛生部隊 カンナの憂鬱
この大会が始まり、私は思った。面倒な事になった、と…
私は荒神軍 衛生部隊所属 カンナ。研究者である。
軍属とはいえ、私の専門はあくまで研究であり、戦や武術になどまるで興味は無かった。
そんな私が大会監視など行っているのには、当然ながら理由がある。
一つは、武闘大会への参加が免除される事。
荒神の軍属者は二年に一回は、武闘大会に参加しなければならないが、大会監視者はこれが免除されるのだ。
当然と言えば当然なのだが、私にとっては大変ありがたい制度である。
まあ、時と場合によっては、参加した上でさっさと負けた方が楽な場合もあるのだが、今年に限ってそれは当てはまらない。
というのも、今年はいつにも増して外部参加者が多いのである。
聞いた話によると、新たに同盟国となった羅刹からは何名かが派遣されてくるらしいし、平定が終わったレイフの森からも多くの者が参加する事が確定しているとか。
なんとも面倒な話である。
参加者が荒神所属の者ばかりであれば、交渉の機会もあるのだが、外部の者相手にそうはいかないからな…
理由はもう一つあるが、こちらは私にとって大した理由ではない。
たんに友人から宜しくお願いします、と頼まれたというだけである。
スイセンとは、なんだかんだと十年来の付き合いだったりする。
あの不屈と根性論の塊のような娘と、偏屈で現実主義な私は、どういうわけだか相性が良かったのだ。
あの娘も研究者気質がある為、それが要因だとは思うのだが、まあそれはどうでもいい。
重要なのはあの滅多に人を頼らないスイセンが、わざわざ私に直接大会監視をお願いしに来たことである。
――――五日前
大会前の準備という事で、荒神に戻って来ていたスイセンが我が家を訪ねてきた。
彼女が荒神を離れてから、初めての事である。
私は彼女を快く迎い入れた。久しぶりに美味い酒が飲めそうだ。
「カンナ、今年の大会監視は、貴方が担当するの?」
「…まだ決めてないけど、どうして?」
食事をしながら、ふとスイセンがそんな事を尋ねてきた。
「…去年は貴方、大会監視をしていなかったじゃない? その、貴方には申し訳ないんだけど、今年はやってくれないかしら」
私は思わす怪訝な顔をしてしまう。
スイセンとは長年付き合っているが、こんなお願いをされたのは初めてであった。
いくら私がスイセンを信用しているからといって、大会前にこんな事を言われては流石に少し疑いを持ってしまう。
スイセンは真面目で努力家だが、残念ながら戦闘の才能はからっきしだった。
武闘大会も常に予選敗退であり、本戦に出場できたことは今まで一度も無いのだ。私の予想では今年も同じ結果になると思っている。
しかし、そんな彼女だが、最近になって左大将の近衛兵になるという出世を果たしている。
風の噂でその話を聞いた時は、正直耳を疑ったものだ。正式な辞令と知っている今でも現実味が無い。
地竜を倒した功績などと言われているが、それを信じている者はこの荒神にほとんどいないだろう。それ程に彼女の弱さは有名なのだから。
まあ、どういう経緯があったかは後で聞けばいいだろう。問題は彼女が一端の立場を得ている、という事である。
上の立場に立つという事は、責任も発生するし、周囲に弱みを見せにくい存在になったという事でもある。
それが本来の実力で勝ち取った立場であるのならば問題は無いのだが、スイセンの場合はどうだろうか?
もし本当に地竜を倒すほどの実力を持っているのであれば問題無い。しかし、言っては悪いがそれは無いと私は思っている。
荒神を離れてからの彼女の戦闘を、直接見たわけでは無いが、たかが数か月の事で何が変わると言うのだろうか。
つまり、戦闘面での採用はありえない。私の予想では、リンカ様の近衛を任された時と同様に真面目さを買われたか、容姿で買われたかのどちらかだと思う。
それが武闘大会など出てしまえば、どうなるか?
実力が白日の下に曝され、彼女はきっと不名誉かつ下卑た噂の的にされるだろう。
だから、彼女は、自分の立場を守る為、私に不正を持ち掛けようと…
「…カンナ?」
「…無いわね」
「な、無いって? やっぱり駄目かしら?」
「いや、色々考えたんだけど、やっぱアンタに限ってそれは無いなー、とね。アンタは多分どんな噂をされようと真っ直ぐ生きるだろうからね、今まで通り…」
我ながら無駄な思考をした…
どうにも色々考察してしまうのは悪い癖だ…
「? よ、よくわからないけど、大会監視の話は…」
「別に構わないわよ。元々今年は引き受ける予定だったし。でも、なんで今年に限ってそんな事言い出したの?」
「えーっと、今年はウチから何人か子供が参加するの。みんな優秀なんだけど、怪我したりさせたりはやっぱり怖いじゃない? それで、カンナが監視をしてくれるなら、安心できるかなって」
「ああ、そっちか。何? もしかしてアンタの子供?」
「ち、違うよ!? 私とトーヤ様の間にはまだ子供なんて!?」
おお? この反応はもしかして、この娘にも春が来た!?
長年付き合っていても、この手の反応は見た事が無かった。これは良い酒のつまみを得たかもしれない。
ひょっとして、左大将が容姿で買ったというのもあながち間違いじゃないのか? やるなぁ、左大将…
「へー、へー、トーヤ様ねぇ? まあ、私の事を買ってくれるのは嬉しいけどさぁ? でも、お姉さんとしてはソッチの話の方が気になるなぁ?」
「な、何よお姉さんて! ほ、本当に違うんだからね!?」
なんてな事があった。
まあ、重要という程でも無いのだが、あの娘のお願いなんてものが珍しかったのと、良い酒の肴を提供してくれたという事も加味し、それなりに真面目にやってやろうとは思っていたのだ。
しかし、これは聞いていなかった。一体何なのだ? 今年の子供達は?
一試合目のオークの少女、彼女がレイフの森からの出場者だと聞いた時は呆れたものだ。正気なのかと。
そして対戦相手のハイオークを見た時はギョッとした。あんなもの、勝てるわけが無い!
しかし、結果はどうだ? あの少女はハイオークに勝ってしまった。それもあっさりと…
私は試合中、ハイオークの少年が攻撃するたび、何度も止めに入ろうとしたのだが、その都度華麗に攻撃を躱す少女を見て呆気に取られてしまった。
結局、最後の最後まで少女は攻撃を躱しきり、ハイオークの少年を倒してしまう。その間、私は終始あたふたとするだけで何も出来なかった。
スイセンはこれをわかった上で私に依頼したのだろうか?
いや、間違いなくそうなのだろうが、とんだ面倒事を持ち込んでくれたものだ…
だって、私はもちろん、スイセンより強いんじゃない? この子ら? 私の事を買ってくれているのかもしれないが、ここまで来ると買い被り過ぎである。
四試合目も酷かった。あのライカという少年は素晴らしい戦闘力だったが、どうも加減が苦手なのか、相手のハンジ君は結構危なかった。
殺意に反応する精霊石から反応が無かったことから、恐らくはワザとでは無い筈だが、私が治癒をかけていなければハンジ君は間違いなく死んでいただろう。
本当に厄介続きで胃に穴が開きそうである。
極めつけは目の前で今まさに開始されようとしている、五試合目だ。
魔獣使いは魔獣を使役する術を使用する、つまり、この戦いは魔獣を使っての戦闘になるのだが、一つ大きな問題がある。
試合場のあちこちに埋め込まれている精霊石は、亜人に対する殺意にしか反応しないのだ…
大会の決まり事では、魔獣使いの使役する魔獣は、使役者の代わりに戦闘を行う事もあり、殺してはいけない決まりになっている。
しかし、前述したとおり、精霊石は魔獣に対する殺意に反応しない。つまり、魔獣への致命的な攻撃は、監視者が判断するしかないのである。
こんな阿呆な決まり事を作ったのは、間違いなくあの魔王なのだと思うが、他に誰も気づかなかったのだろうか?
いや、気付いていないわけが無いか…。大方、魔獣使い自体希少な存在であることから、あまり細かく指摘をしなかったのかもしれないな…
まあ、いきなり本気で魔獣を殺そうなんて思う者はほぼいないだろうから、平気だとは思うけど…。はあ…、本当に面倒くさい事になった…
『それでは、イーナ選手 対 キリル選手! 始めて下さい!』
大型の獣人が鐘を鳴らす。
私は陰鬱とした思いを抱えつつも、イーナ選手と魔獣達の一挙手一投足を見逃さぬよう、刮目するのであった。
病み上がりで絶不調ですが、なんとか更新…