第120話 翡翠(後編)
「全く、こんなことになるのなら、初めから意地を張らずに『縁』を結んでおくんだった…」
子龍は倒れ伏す男、トーヤの傷を撫でながら呟く。
慈しむような、労わるようなその仕草は、まるで人のようであった。
(…やはり、聞いたことのない響きだが、意味が伝わってくる以上言葉であることは間違いない…)
精霊を介して言葉の意味が分かるということは、鳴き声などではなく、間違いなく言葉を発しているという証拠である。私はその事実に戦慄を覚えた。
何故ならば、それはこの子龍が、伝説級の存在である可能性を示しているからだ。
龍や魔獣の中には、優れた知能を持つ個体も多いが、言葉を発する個体はほとんどいない。
いくら精霊でも、言葉という体系が整っていない種族では、伝える言葉自体が存在しない為だ。
例外として、言葉を持たない種族と意思を交わすことのできる魔獣使いやドルイドがいるが、希少な存在であり、少なくとも私にそんな技能はない。
その私が子龍の言葉を理解できたということは、私の技能とは関係なく、この子龍自らが意思を持った言葉を発したということを意味する。
「…良かった。このくらいなら何とかなりそうだ」
「!?」
子龍から凄まじい程の魔力が噴き出す。
魔力は本来目に見えるものでは無いが、子龍から噴き出す魔力は異常な程に濃密で、空気が歪むようであった。
同時に、目も開けていられない程の輝きが子龍から放たれる。
「クッ…」
戦闘中に目を逸らすなど自殺に等しい行為だが、直視しては目をやられかねない。
目を庇いながら後退すると、程なくして魔力の嵐と発光現象が収まる。
トーヤの側に子龍の姿はなくなっていた。
代わりにそこには、一糸まとわぬ少女の姿があった。
「この姿になるのも久しぶりだな…」
少女は体の動きを確かめるかのように、腕を回したり跳ねたりする。
その度に美しい金髪が乱れ、未発達な乳房が僅かに揺れるが、本人は気にした様子が無い。
エルフのように整った容姿は、まだ幼さを感じさせるが、月明かりに照らされた純白の肢体からはどことなく色気を感じさせる。
「さて、そこの女…、影華だったかな? 呆けてないで続きをしようじゃないか」
一通りの動きが確認できたのか、少女がその金色の瞳をこちらに向ける。
「お前は…、先程の子龍なのか…?」
「そうだよ? 確認しなくてもわかるでしょ?」
確かに、この状況ではそうとしか思えないのだが、にわかには信じられなかった。
龍族…、なのか? いや、龍族は人化したとしても必ず鱗が残る筈。この少女には鱗のようなものは見当たらなかった。だとしたら、まさか…
「古龍族…、なのか?」
「正解」
「馬鹿な!? 古龍族は遥か昔に絶滅した筈だ!」
「らしいね。僕も後で聞いた話だから余りピンとこないけど」
古龍族、1000年以上前に絶滅したと言われる種族である。
彼らは、文献にも詳しい情報が残されていない謎の多い種族なのだが、一つだけ有名なエピソードが残されていた。
それ故に、私は少女の種族に予想がついたのだが……
「それより、早くしないと人が集まってくるよ? 僕は構わないけど」
「っ!?」
しまった。あまりの衝撃に意識を割かれ、時間をかけ過ぎた。
流石に今となっては、あの男に止めを刺すことは不可能に近い。
「言っておくけど、トーヤは殺させないよ。それに、君を逃がす気も無い。僕の伴侶を傷付けた罪は重いよ」
即座に撤退を選択しようとした私を、少女の眼光が射すくめる。
恐怖など修行の過程で克服したと思っていたが、まさかただの眼光で射竦められるとは。
……いや、これは射竦められるというような生半可なものでは、ない。
(ば、馬鹿、な…、動けん…!?)
「たっぷりと仕置きを…、ってヒナゲシもお目覚めか。どうしようか?」
「なっ!?」
背後に感じる気配にゾワリと寒気を感じる。
「…私に、譲ってくれませんか? 翡翠様。我が身を主に対する目隠しに利用するなど、許しがたい蛮行です…。八つ裂きにしても足りない…」
そこに立っていたのは、間違いなく致命傷だった筈のもう一人の少女。
ヒナゲシと呼ばれたその少女は、先程まで間違いなく死にかけだった。
それどころか、既に死んでいてもおかしくない状態だった筈なのだ。
それが今、何事も無かったかのように、平然と立ち上がり、ゆらゆらとこちらに向かってくる。
(馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿な!)
少なくともヒナゲシという少女はただの獣人だった筈。
それが何故…!?
頭に渦巻く疑問は、次の瞬間弾けるように吹き飛ぶ。
霞む視界に見えたのは、右腕を突き出している古龍族の少女。
「気持ちはわかるけど、僕の気持ちも収まらない。だから二人でいたぶるとしようか」
何かをされたのだろうが、何をされたかわからない。
「…仕方ありません。では失礼して」
「カハッ!?」
吹き飛び、地面に打ち付けられた私の腹部に、ヒナゲシという少女の踏み蹴りが突き刺さる。
尋常じゃない威力に、胃の中の物が全て吐き出される。
「簡単に殺しちゃ駄目だよ? 後悔を感じるように、念入りに痛めつけなきゃ」
そして再び私の体が跳ねる。
ああ、すみません姫様…
どうやら、私は、ここまでのようです…
仕事の関係で2分割せざるを得なかったので、ややボリューム不足です。
前編と併せて1話と思って頂くと良いかもしれません…




