第119話 翡翠(前編)
子龍を頭から引き裂くよう振り下ろされた一刀は、それが到達する前に目の前の男により阻まれる。
文字通り、身を挺して子龍のことを庇った男の背に、深々と刻まれる刀傷。斬った感触からして、間違いなく致命傷だろう。
本来であれば、この子龍を葬った後に達せられる目的は、男の行動により労せずに達せられた。
任務完了だ…。
しかし、本来感じられるはずの達成感は、何故だか感じることができなかった。
恐らくは、私の中で初めから感じていた違和感が原因なのだと思う。
――数日前、我々隠密部隊に暗殺任務が与えられた。
それは、羅刹の都を侵略せんとする魔王の軍、その援軍としてこちらに向かっている部隊の隊長格を殺せ、というものだ。
暗殺、という行為自体は何度か経験があるが、相手が軍の戦闘部隊というのは初めてである。
これまでの暗殺対象は皆、組織の頭脳や文官といった者達ばかりであり、戦闘に秀でている者はほとんどいなかった。
暗殺対象がそういった武力を持たない者達に限定されていたのは、隠密部隊が戦闘に特化した部隊ではないからである。
どの種族においても、戦闘に特化した者達は勘や感知力が優れていることが多い。
そういった者達を対象にした暗殺は非常に困難であり、多くが失敗に終わる。
昔はそれでも致し方なく対象とすることもあったそうだが、あまりにもリスクが高く、自然と対象から外されるようになったようだ。
より戦闘力のある人材を隠密部隊に所属させる、という手も考えられたが、それも残念ながら難しかった。何故ならば操られる可能性があるからである。
これはかつて実例があり、その際羅刹は大きな痛手を被ったらしい。
手塩にかけて育てた隠形の使い手を失なうだけでも痛いのに、機密情報の漏洩に加え、敵の尖兵になる可能性まであるとは笑えない話だ。
そういった背景から、今の隠密部隊は裏方の仕事を専門に請け負う部隊となっていた。
もちろん、隊長である私や、部下数名はそれなりに戦闘技術は身につけてはいるが、四鬼神を代表とする戦闘特化の者達とは比べるべくもない。戦闘はあくまで本職に任せるという考えだ。
それでも今回の暗殺任務が出されたのは、それだけ今の状況が逼迫しているということでもある。
私は、部隊の中でも選りすぐりの戦力を揃え、この任務に臨んだ。
結果は散々たるものとなった。
私を含めた5人の部隊は、悉く返り討ちに遭ってしまったのだ。
私だけがなんとか逃げ延びることに成功したが、貴重な戦力を4人も失ったのは大きな痛手である。
任務の達成も絶望的であった。何せ隠形、戦闘共に部隊で最高の5名でこのザマなのだ。残った者達では到底達成できるとは思えない。
しかし、このまま逃げ帰っては部隊の存続に関わる失態となる。
隊長各の暗殺は最早叶わぬが、せめて情報くらいは集めねば話にならない。
特にあの得体の知れない、トーヤと呼ばれていた男に付いては徹底的に調べる必要がある。
情報は順調に集めることができた。
戦闘を避け、隠密部隊本来の持ち味を活かせば、いくら相手が優れた感知網を持っていたとしてもやり様はある。
私達は、部隊の構成や人数、感知されにくい場所や武器の種類など、様々な情報を得ることに成功する。
トーヤという男の情報もすぐに集まった。というか、隠す様子がまるで無かったので、隠す必要自体が無かったのかもしれない。
だからなのかは不明だが、得られた情報で重要そうなのは、あの男が荒神における最高幹部の1人だということくらいであった。
あとは、部下に信頼される好人物である、といったところか…
トーヤだけでは無い、その部下達も全て、侵略者などとはとても思えない好人物が多いように感じた。
そう感じたのは私だけでなく、同じように調査にあたった部下達もほとんどが同じ印象を受けたようである。
そのことが今回の任務、いや、戦自体の違和感となって私の中で残っているのである。
子龍に対し、逃げるように伝えると、トーヤはそのままばたりと倒れ伏した。
最後の最後まで愚かで、甘い男である。
この男が侵略者? こんな侵略者がいるものか……。そんな思いがこみ上げてくる。
こんな話、酒の席で聞けば間違いなく笑い飛ばすだろう。
「キュ!? キュウ!!!」
子龍が倒れ伏すトーヤに縋りつく。
悲痛な鳴き声に、チクリと刺すような痛みを胸に感じた。
(これは、罪悪感か…? 私が…?)
何故今更、と思う。
暗殺任務自体は、これまでに何度も経験がある。
子を持つ親を殺したことも一度ではないし、その亡骸に縋る子供の姿を見たことだってある。
その時ですら、これ程感情を揺さぶられることは無かったと言うのに…
私は噛み殺すように感情を押さえつける。
私がどんなに違和感を感じようとも、現実に彼らは友軍を退け、今にも羅刹の都に迫ろうとしている侵略者なのだ。
その最高幹部であるこの男は、ここで確実に葬り去る必要がある。
「…退け、子龍。最早猶予は無い。退かねば諸共に貫く」
先程子龍が吹いた火で、未だ地面が赤く燻ぶっている。
死角になっているとはいえ、勘の良い獣人なら気づいてもおかしくない。
「……」
子龍が退く様子は無い。
ならば仕方あるまい…
脇差を構える。同時に、子龍がこちらに振り返る。
火炎吐息か? だがこの距離であれば、たとえ火を吹こうとしてもこちらの攻撃が先に到達する。
子龍が口を開く。
「…退かない」
火炎吐息を予測して身構えた体がビクリと反応する。
炎は放たれなかった。
代わりに放たれたのは、間違いなく、人と同じ言語であった……
長いのでここで分割。残りも書き終わり次第アップします。