第118話 アンナの才能
ここの所の日課となりつつある、レイフでの組手。
初めは鈍った体を動かす良い機会程度にしか思っていなかったが、今は少し楽しんでいる事を自覚していた。
遡る事数日前、トーヤ殿を送り出した朝の事だ。
トーヤ殿を見送る際、彼はふと何を思ったのか荷馬車を漁り始める。
一体何をしているのかと思ったが、彼はその中から一人の少女を引っ張りだしたのだ。
正直、驚いた。何故ならば、彼女の存在に私はまるで気づかなかったからだ。
それを発見したトーヤ殿も見事ではあるが、それ以上に私はその年端もいかぬ少女に興味がわいた。
素晴らしい才能だと、一目見て思ったのだ。
恐らく隠形の技術で言えば私に匹敵する可能性がある。
それは数人いる自分の弟子達を、既に越えている事を意味していた。
トーヤ殿が発った後、目に見えて落ち込んでいる彼女に私は声をかけた。
彼の横に並べるよう、実力をつけてみないか、と。
彼女は二つ返事でのってきた。
流麗。彼女の攻撃はその一言に尽きた。
恐らくは師の教えを全うし、更に自らの身体能力に適合するよう昇華したのであろう。
自身の非力さを考慮した、急所を的確に狙う正確さもさることながら、随所に見られる魔力運用も見事と言わざるを得ない。
この年齢にしてここまでの領域に達するのは、才能無くしてはあり得ない。
努力で到達できない領域とまでは言わないが、彼女は武術を学んで、まだひと月足らずだと言うのだ。それを才能と言わず、なんと言うのか。
「ハッ!」
呼気と共に突き出される掌打を触れさせずに躱す。
この一撃も、こちらの重心や魔力の流れを読んで放たれたものであり、普通の者であれば難なく捕えられていただろう。
しかし、私は魔王の近衛兵長だ。魔王を補佐する者として、こと戦闘に関しての実力は、荒神でも最高峰だという自負がある。
いくら才があるとはいえ、未熟な攻撃技術しか持たぬ者の攻撃に当たってやるわけにはいかなかった。
「狙いは良いです。しかし、当てるつもりであれば少し速度が足りません」
「っ!?」
打点をずらされても重心を崩さない身体運用は見事。しかし、それも活かせなければ宝の持ち腐れである。
彼女の掌打に合わせるように放った拳。彼女は反応しているが、防御方法を選んでいる余裕は無い。
結果として、彼女は剛体での防御を選ぶ。もちろんこれは悪手だ。
私はそのまま彼女の奥襟を掴み、巻き込むようにして地面に転がす。
「グッ…」
「これで私の50勝目ですね」
これで彼女、アンナとの組手は50戦目。
50戦50勝である。彼女の才能は間違いなく私を上回っているが、未だそれだけの差はあるのだ。
こちらとて、多くの師や強敵から学んできた身である。そう易々と追い付かれでは彼らにも申し訳が立たない。
「…私には、何が足りないでしょうか?」
「ふむ。足りないもの、という事であればいくらでも挙げられますよ? 私が指摘するまでもなく、貴方であれば気付いているのでしょう? まあ、何にせよ貴方はまだ若いし、戦闘経験も少ない。まずは経験を積むことが第一ですよ」
「………」
「貴方が何を思って力を求めるのか…、まあ分からなくも無いです。私も同じような時期がありましたしね。だからこそ、稽古に応じるよう唆したのですが…。しかし、気持ちは分かりますが、焦るのは良くありません。焦れば結果は逆に働きやすい。気持ちを制御するのも戦闘には重要な事です。努々忘れぬように。少なくとも、貴方の才能に関しては私が保証しますよ。あそこで呑気に気絶してる男よりも、余程見込みがあります」
そう言って彼女の後方で情けない姿を晒している同期の男、シュウを見る。
全く、あの男も才能だけはあるというのに、心構えという点では彼女に数段劣る。
このままではそう遠くない未来に、彼女の方が実力的に上になっているかもしれないというのに…
まあそれはそれで、シュウにとっては発破になるかもしれないし、良いのかもしれないが。
「…はい。わかりま…っ!?」
返事をしかけた彼女の表情が、突如驚愕に染まる。
「姉さん! 今のは!?」
共に稽古に参加していた彼女の妹、アンネも同じように動揺している。
なんだ? 周囲には別段何も起きていないように思う。少なくとも私が張り巡らせている感知網には何も反応が無かった。
「…ソウガ様。急用を思い出しました。今日の所はこれで失礼致します」
鬼気迫る表情でそう告げ、去ろうとする彼女。
「待ちなさい。どこにいくつもりですか?」
そんな状態の彼女を、そのまま行かせるはずも無い。
彼女がここまでの反応を示すという事は…
「…トーヤ様の所にです。一刻を争います。頼みますから、止めないで下さい…」
やはりか。彼女がここまで強い反応をするとしたら、それ以外考えられない。
しかし何故彼女…、いや彼女達姉妹はトーヤ殿の窮地を感じ取れたのかだろうか?
疑問は残るが、まずは彼女を止めるのが先だ。
「駄目です。ここは通しません。何があったかは知りませんが、この地を離れる事は、ここの責任者代理を務める私が許しません」
「…許さない、というのであれば」
彼女は俯き、棒立ちのままだ。
しかし、私は身構える。彼女の気迫は間違いなく…
「殺してでも、通らせて頂きます」
瞬間、彼女の姿が掻き消える。
直後、背に感じた気配を頼りに、加減無しで肘を入れる。
「…がっ!?」
鳩尾に突き刺さる肘に呻く彼女。
その彼女の額を指でつつくと、彼女はそのまま前のめりに倒れた。
「姉さん!?」
「…気絶させただけです。腹部の打撃も、問題は無いでしょう」
正直な所、肝を冷やした。手加減する余裕が、無かった…
鳩尾への打撃は狙ったものではない。偶々、当たり所が良かっただけである。
最悪、彼女の命を奪う危険性すらあったのだ。
今彼女が見せた動きは、一部の魔族が使用する神速の移動術だ。
それを何故彼女が、とも思ったが、ルーベルト辺りが見せたのを覚えたのかもしれない。本当に恐ろしい才能だ。
「ひとまず彼女を部屋へ運びます。それから、何があったかお聞かせ願えますか?」
「………」
「言いにくい事であれば詳細は語らなくても結構です。ただ何があったのか、それだけを教えて頂ければ構いません」
それだけ告げ、倒れたアンナを抱えて訓練場を出る。
アンネは無言だったが、そのまま私の後に付いてきた。