第116話 油断
捕虜を解放した後、俺達はキバ様の元へ案内された。
キバ様は何かの獣の毛皮を布団代わりにして、寝かされていた。
「父様!」
「おお、リンカか! よく来てくれた!」
慌てたように駆け寄るリンカを、キバ様が寝たままの状態で抱きとめる。
体こそ起こせないようだが、返答自体はしっかりしており、元気そうなキバ様に少しだけホッとする。
まさか、9大魔王の1人である獣王グラントゥースの、こんな姿を拝む事になるとは思ってもみなかったのだ。
心のどこかで、なんだかんだでピンピンしていそう、などと思っていた為、結構ショッキングだったりする。
それはリンカも同じだったらしく、今まで見た事も無いキバ様の姿に大いに取り乱していた。
「トーヤも、済まなかったな。色々と忙しいだろうに呼びつけちまったみたいで…、ってそういやレイフの森の平定が終わったそうじゃねぇか! 流石俺が見込んだ男だぜ!」
腰をバシバシと叩かれる。
しかし、それにはいつもの破壊力は無い。
「…いえ、平定自体はまだ完全には。それよりも本当に大丈夫なのですか?」
「ん? あーエルフの里の事なら気にしなくていいぞ? あれはあれで防衛線として機能してるし、俺らにゃ害は無いしな。体については…、ホレ」
キバ様が指をさした先は下半身である。
そこにはコンモリと盛り上がったテントが出来ていた。
「んな!?」
思わず声を上げた俺に反応し、リンカも目をやってしまう。
「と、父様っ!?」
「いやぁ、すまねぇ…、我が娘ながら良いカラダしてんなぁとか思ったらこの通りよ…」
こ、この親父…、娘相手におっ勃てやがったのか…
ドン引きである。これには俺だけでなく、周りも引いているようだ。
当のリンカは目の焦点が定まっておらず、今にも倒れそうになっていた。
ガス!
「うぎゃっ!」
タイガ殿が見かねてキバ様の顔面に拳を振り下ろす。
普段のキバ様なら全く効きそうにない一撃だったが、今の弱体化した状態であればしっかりダメージは入るらしい。
「…この通り、中身は元気だし、命に別状も無い。どうやら結界の影響は、単純に魔力や力を減衰させるものらしい」
「ってぇぞぉ、タイガぁ…、後で覚えてろよ…」
「それはこっちのセリフだ親父殿…。結界の効果範囲だって、単純に忘れていただけだろうが…。それさえなきゃ、こんな事態には…。後でたっぷり反省して貰うからな…」
いつもの落ち着いたような雰囲気が崩れるタイガ殿。
こちらが素なのだろうが、それが表に出るほどにはご立腹らしい。
「ぐっ…、い、今のは勘弁してやるから、なるべくお手柔らかにだなぁ?」
「駄目だ」
クソーッ! と背を向けながら不貞寝を開始するキバ様。
子供かアンタ…
「さて、何はともあれ、駆け付けてくれた事には本当に感謝しているぞトーヤ殿。貴殿らが間に合わなければ、本当に危うかったかもしれん」
深く頭を下げるタイガ殿。
地位的には横並びとは言えど、タイガ殿の方が実力も実績も圧倒的に上回っており、このような態度を取られると恐縮してしまう。
しかし、タイガ殿達の表情を見る限り、本当に切羽詰まっていたのだろう。ここは素直に感謝を受け取っておくことにしようか…。
「長旅に加えての連戦で、さぞ疲れただろう。今夜はゆっくりと休んでくれ。あまり羽目を外し過ぎなければ、トウジ将軍辺りと騒いでくれても構わない」
「あ、それは大丈夫です! 休ませて貰いますんで! あ~っと、ただ、少し確認なんですが、この辺で人気のない静かな場所ってありますかね?」
冗談ではない。トウジ将軍と同じペースで騒ぐと間違いなく潰されるよ…
それに、少しやりたい事もあるからね。なるべく出くわさないように気を付けないとな。
「人気のない、か。在るには在るが、何をする気だ?」
「えっとですね…」
◇
「ふぅ…、こんな所か…」
「お疲れ様です。ご主人様」
そう言って乾いた布を渡してくるヒナゲシ。
いつの間にこんな物用意したんだ? と思ったが、助かるので深く追及はしないでおく。
魔界で生活を始めてから、まともに風邪を引いた記憶が無いのだが、絶対に引かないとは言い切れない。
気温も低いのだし、流した汗は手早く拭いた方が良い。
「キュ」
「お、翡翠もありがとう」
子龍の翡翠も、気を使ってくれたのか、水の入った瓢箪を持ってきてくれる。
それを受け取って口を付けると、呷るようにして一気に飲み干してしまう。どうやら、思った以上に水分を欲していたらしい。
俺が何をしていたかというと、今回の戦で命を落とした仲間達を弔っていたのである。
皆、頑張って戦ってくれていたが、流石に犠牲を0にすることは出来なかった。
今日の相手は獣人族が中心であり、種族的に身体能力の劣るゴブリン、オークの中には何名か命を落とした者がいるのだ。
特に、最近部隊に加わった面子に関しては、練度が低かった事も少なからず関係しているだろう。
戦の性質上、犠牲についてはある程度仕方がない事だと、頭では理解しているのだが、無理をさせてしまった事に関しては、どうしても負い目を感じてしまう。
そんな後ろ暗い気持ちを感じながら、俺は両手を合わせる。
本当は遺体を持ち帰りたい所だが、残念ながらその余裕は無い。
不死者化する恐れもある以上、戦が終わるまで放置しておくことも出来ず、亡骸は全てこの地に埋葬する決まりとなっているのだ。
それらの作業は、タイガ殿の部下が全て引き受けてくれることになっていたのだが、無理を言って自分の部下だけ運び出す許可を貰っている。
せめて、自らの手で遺品を回収し、埋葬してやりたいと…
これはあくまで俺の我儘なので、部下達の手を借りるつもりは無く、一人こっそりと野営地の外れで作業していた。
しかし、どうやってかこの場所を嗅ぎつけたヒナゲシと翡翠に見つかり、結局手伝って貰う事になったのだ。
自分で言い出しておいてなんだが、正直かなり助かったのは間違いない。
俺の力ではオークの体を運ぶのは中々骨が折れるのだが、ヒナゲシであれば軽々と運ぶことが出来るからね。
俺だけであれば、この倍は時間がかかったろうな…
「ふぅ、助かったよ。えっと、この布はどうすればいい?」
「こちらで回収しますわ」
言われるがままに布を手渡す。
トス
(……ん? なんの、音…? あれ? なんだ、コレ…?)
何かが突き立つような音。
それは前方、そして、自分の腹部から聞こえてきた。
見れば、俺の腹には、月に照らされ赤く光る刃が突き立っていた。
それを目線で追うと、その刃はヒナゲシの胸元から生えていた。
刃が引き抜かれる。
ぐらりと倒れるヒナゲシの背後には、般若面を被った女の姿があった。