第100話 北との戦い⑲ 臥毘 対 トーヤ
改稿済みです。
◇リンカ
「ば、ばがな……。ご、ごのおでが、ごんな、ごむずめに……」
目の前の醜悪な豚。ドーラとやらは全身血まみれになりながらも、未だに立ち上がってこちらを睨みつけている。
文字通り八つ裂きにするつもりだったが、存外に硬く、獣爪では切断するまでには至らなかった。私もまだまだだな……
「……その状態でまだ口が利けるとは、大した頑丈さだ。一応はハイオーク共の長をしているだけのことはある。しかし、もう残されたのは貴様だけのようだぞ」
他のハイオーク達は、既に部下の手により全て倒されている。
隘路に詰まっている者達も、既に反撃の意思はないようだ。
私に言われて漸く状況を察したのか、ドーラは急に焦りの表情を浮かべた。
「……ぞ、ぞうだんがある! おでだぢは、もうおまえらにでをだざない! だがら、みのがしでぐれないが!?」
「……ほう? 先程私たちを毎日犯し続けると言ってた豚が言うセリフとは思えないな」
「ざ、ざっぎまでは、おまえらのぢがらをしらながっだからだ! おまえらはづよい! お、おではぐらだぢじゃなぐ、おまえらにづぐ!」
自分より上の者に対してはとことん下手にでる。
恐らく北でも、こうやって今の立場に落ち着いたのだろう。
……こういう者は、さぞ扱い易かったに違いない。
しかし、信用という面ではまるで話にならない。
今まさに自分の仲間を裏切ろうとしている者が、この先裏切らないという保証などまるでないからだ。
「残念だが、貴様のような汚物はトーヤ殿の配下には相応しくない。そして、ここでお前を見逃せば、いつか他の者達の災いになる可能性もある。潔く、ここで死ね」
「ぞ、ぞんなごどいわねぇで、どうが、だのむ!」
武器を捨て、頭を地面に擦り付け、懇願する。
仮にも一族を束ねる長だというのに、我が身可愛さにここまでするとは思わなかった。
これが一族や自分の家族のためというのであれば、わからなくもないのだが……
私は呆れて言葉も出なかった。
しかし、それを油断と捉えたのか、ドーラから殺気が漏れ出る。
どうやら、こちらの気を緩める策略だったらしい。
突如、周囲の土が捲れ上がり、私を覆うように迫る。
「ぐははっ! ぎをぬいだな! おではじゅづもづがえる!」
確かに、これは私の油断だ。
少なくとも、術を行使させるだけの猶予を与えてしまったのだから。
だが……
「遅い。ソク殿であれば今の間で私を捕えている」
「あ?」
言うと同時に、首を掻っ切る。
ドーラは自分の首から噴き出す大量の血を見て、それでも最後まで何が起きたか理解できないといった様子で、意識を失った。
「お見事です。正直、私でも今の間でリンカ様を捕えるのは無理だと思いますがね……」
「謙遜するなソク殿。ソク殿の腕は紛れもなく上級術士に匹敵する。今くらいの間があれば、間違いなく私は捕えられていたさ」
もっとも、捕えられたとしても脱出できないとは思わないが。
「……ありがとうございます。リンカ様のような方に評価していただけるのは光栄ですな」
……全く。このソク殿がドーラ達と同じオークだとは到底思えない。
元々、種族に対する偏見は嫌っていたが、ここに来てその気持ちは一層強くなった。
(さて、私の方は片付いた。トーヤ殿の方は上手くいっただろうか……?)
◇臥毘
「オラァ!」
全力で振り下ろした一撃を、トーヤは棍棒(杖?)を使って捌く。
同時に、受けた反動を利用するように飛んでくる打撃を、俺は盾で受けとめる。
数合ほど同じやり取りを繰り返しているが、未だお互いに致命打は出ていない。
(……それにしても、数回の打ち合いで切り裂けると踏んでいたが、恐ろしく頑丈な棍棒だな……)
こちらの得物は丸みを帯びた片手剣。一族の長に代々伝わる竜牙刀だ。
文字通り、竜の牙で鍛えられたこの剣は魔力を切り裂く。つまり、『剛体』では防げない。
馬鹿の一つ覚えのように『剛体』で防ごうとするトロールや獣人には打ってつけの武器なのだが、この男は早々にそれを見切ったのか、しっかりと武器で受けてきた。
しかし、武器といっても所詮木製の棍棒だ。仮にも剣である竜牙刀と打ち合えば、数手で断てると思ったのだが……
「……その剣、もしかして竜の爪……、いや、牙か?」
「!? まさか、気づいていなかったのか? 初めから武器で受けたので、気づいているものと思っていたが。……その通りだ。これは竜の牙を鍛えて作られた剣。竜牙刀だ」
「まあ、俺はそこまで『剛体』を信用していないんでな。それにしても牙か……。さぞ立派な竜だったんだろうな……」
「もう数百年も前の物らしい。だから俺も実物を見たわけではない。ただ、地竜の牙だとは伝えられている。しかし、貴様の武器も大したものだぞ。俺の竜牙刀は魔力で強化できないとはいえ、切れ味は普通の剣よりも勝っている。だというのに、それをここまで受けきられるとは、正直思わなんだ」
「この棍棒はレンリという。俺の自慢の相棒だよ」
そう言うと共鳴するように棍棒が震える。
まさか、精霊を宿しているのか?
だとすれば、何か特殊な力を備えていたとしても不思議ではない。
「……そうか。お互い自慢の得物というわけだ。ならば益々負けるわけにはいかんな!」
再び竜牙刀を振り下ろす。同じようにトーヤが受けようとする直前、ギリギリで剣を止め、斬り払いに切り替える。
それに反応して後ろに飛び退くトーヤに、溜めていた息を吹き付ける。
高温の蒸気。
火を吐けぬこの身でも十分な武器となる奥の手の一つだ。
「っと」
これも躱すか!?
上体目がけて放った蒸気を、身を逸らすようにして回避する。
俺のように蒸気が吹ける竜人族は少数だが存在しているが……、まさか予測していたのか?
しかし、こちらも避けられることを想定していなかったわけではない。
間髪入れず距離を詰め、蹴りを放つ。が、これは『剛体』で防がれる。
「ッラァ!」
反動で弾かれた先に、先んじての竜牙刀での斬り払い。これならば!
「なっ!?」
しかし、トーヤは棍棒に身を預けるようにし、打点を軸に回転するようにしてそれも躱す。
(今のまで避けられるとは……)
今まで幾度となく獣人と戦ってきたが、ここまで完全に対処されたことはなかった。
最早、この男が素晴らしい戦士であることは疑いようもない。
しかし、この優れた防御技術に対し、攻撃に関しては些か粗末な内容だ。
この程度であれば俺に傷はつけられない。
「……今のは結構危なかった。正直、力自慢の攻めを予想していたから、これだけ多彩な攻撃は想定していなかったよ」
「ふん、俺には危なげなく回避したようにしか見えなかったがな」
「そうでもないさ。どうせまだ引き出しは有るんだろ? このまま続けていたら不利になるのは俺の方だ。息切れを狙うつもりだったが、戦い方を変えさせてもらおう」
そう言うや否や、凄まじい速度での突進。
(速い!)
放たれたのは鋭い突きだ。
ただし、初動が見えなかったため、対処が僅かに遅れる。
「クッ……!」
額目がけて放たれた突きを、寸でのところで躱す。
こめかみの辺りを僅かにかするが、この程度であれば問題は無い。
だが、トーヤの攻撃はこれで終わらない。
瞬時に引き戻された棍棒が、同じ速度で胸目がけて突き入れられる。
それは竜牙刀で防ぐが、トーヤの攻撃はさらに続く。
素晴らしい練度。
奇をてらう動きもないことから、恐らく基本的な突き技なのは間違いないだろう。
しかし、初動、戻り、共に精密であり、動きに無駄がない。技の練度が如何に重要であるか、はっきりとわかる攻撃であった。
そして、初動が見えないということは、回避が非常に困難ということでもある。
特に、上下の打ち分けは動きにほとんど変化がないため、完全には防ぐことができない。
正中線は人体急所が集中しているため、まともに突きが当たれば致命傷になり得る。
俺は斜に構えることでそれを隠すように立ち回るが、側面にも急所は複数存在するため、防御を疎かにすることはできない。
かと言って攻撃を完全に防ぐことはできないため、ある程度は体で受ける必要があった。
幸い、トーヤの突きは速いが威力は大したことがない。
急所以外に攻撃が通っても、戦闘に支障が出ることはないだろう。
しかし、徐々に傷は増えていくため、いつまでも受け続けるワケにはいかない。
となれば、覚悟を決める必要がある……
「!?」
鎖骨への一撃。これを無視して受ける。
恐らく折れた。しかし、同時に放たれた俺の攻撃も躱せないハズ。
「そろそろだと思っていた!」
が、それも予測されていたらしい。
突き手を戻す動作が、俺の斬り上げをそのまま受ける動作に変化する。
俺の膂力を抑えきれずトーヤの体が浮くが、その高さを利用し大上段から俺の頭上目がけて棍棒を振り下ろしてきた。
竜牙刀は振り切っているため、防御はできない。
しかし……、狙っていたのは俺も同じだ!
「んなっ!?」
俺の脳天に振り下ろされた棍棒が、弾かれるようにして宙に舞う。
『剛体』。
通常、竜人族は『剛体』を使えないとされている。
実際、俺以外に一族で『剛体』を使える者はいない
しかし、俺は獣人達との戦闘経験から、独自に技術を盗んでいた。
正真正銘の、奥の手として。
「かかったな!」
空中で無防備になったトーヤに対し、肩から体当たりをしかける。
「グッ……」
当然、それは『剛体』で防がれる。
しかし、地に足がついていない状態では反動を殺すことができないため、そのまま吹き飛び木に激突した。
トーヤの棍棒は未だ落ちてこない。
それだけの力が込められた振り下ろしだったということだ。
木に叩きつけられたトーヤは、手傷こそ負っていないものの、体勢が悪い上に無手。
(勝機!)
全身全霊、全てをこの一撃に注ぐ。
「オオオォォォォォォッ!」
斬り下ろし、斬り払い、斬り上げ……、そのどれでもない、ただ剣を前に構えただけの突撃。
単純だが回避は困難。
仮にされたとしても、無理な体勢の回避では次の攻撃を防ぐことはできない。
トーヤが顔を上げ、俺の突きが到達する。
その瞬間、奇妙なことに、時間が遅くなるような感覚に襲われる。
前方に構えられた拳。
片足を一歩前に……、いや、退いた?
次の瞬間、視界が急速に揺れた。
(っ!? な、なんだ? 何が起きた!? トーヤはどこだ……?)
立っていられない。そのまま地面に沈むように倒れ込む。
意識がはっきりしない。視界がぼやけている。
そんな状態が1分程続いたが、段々と意識が戻ってくる。
「ん……、気がづいたか?」
「トーヤ……か。よくわからんが、俺は負けた、のか?」
俺は地面に転げており、トーヤは立っている。
いくら俺が愚か者でも、この状況で認めないわけにはいかない。
ああ……、俺は負けたのだ。
「……俺は最後、何を受けた」
「拳で顎を打ち抜いた。いや、正確には、俺の拳にアンタがぶつかってきただけだ」
「………………」
正直、未だに意識の方は怪しい。
しかし、俺の突きが躱されたのは間違いない。
そして最後に見えたもの……
トーヤの拳……
片足を一歩退くような姿勢……
そしてトーヤの言葉から、朧気ながら自分が何をされたのか予測する。
「……馬防杭か?」
「……よくわかったな? その通り。原理は同じだよ。それにしても、一応未完成の技なんで教えるつもりはなかったんだけど、あれだけの情報で見抜かれるとはな……。やっぱりアンタは大した戦士だと思うよ」
馬防杭……
その名の如く、馬、騎馬に対する防御用の杭だ。
通常は設置された置物に過ぎないが、俺はかつて戦場で、あれを手動で引き起こす仕掛けを見たことがある。
突撃する馬はいきなり現れた杭に為す術もなく、自ら串刺しとなる。
要はあれと同じことをされたのだ。
突撃する俺に対し、一歩退くことで自分を杭に見立てる。
それだけじゃなく、『剛体』による補強も行ったのだと予測する。
『剛体』の反動は当たった方向に垂直にかかるので、自身を利用した杭は、恐ろしい強度となったハズだ。
俺はそれに顎から突っ込んだというワケである。
「……俺が『剛体』を使うことも見抜いていたのか?」
「ああ。闘仙流の極意の一つだよ」
「トウセンリュウ?」
「この前立ち上げたばかりの流派だ。その基本は相手の動きや魔力を読むことにある。魔力の流れで、アンタが『剛体』を使ってくることは読めていたので、悪いが罠を仕掛けさせてもらった。こう見えて結構体力的にギリギリだったんだよ。だから相手の力を利用するこの技を選ばせてもらった」
……どういう原理かはわからんが、全く、大したものである。
俺の拙い策など、全てお見通しだったというワケだ。
しかし、不思議と悪い気分ではない。こんなことは初めてだ。
「……俺の負けだ。好きにしろ」
「そうか。じゃあ臥毘、……俺の仲間になってくれ」
――――このトーヤという男は、笑顔でそんなことを言ってきたのであった。