7:神谷先生、風邪をひく
いつものように先生に進捗具合の確認を電話したら、先生の声がいつもと違っている。
「先生、声がいつもと違うようですがどうしたんですか?」
「ちょっと喉が痛くてなあ。せきもでるし鼻もなんだかなあ……これは風邪かも」
「先生。仕事のほうはスケジュールに余裕があります。今日はもう休んでください。医者には行きましたか?」
「え~……これくらいで医者はないだろう」
「じゃあ風邪薬を飲んで休んでください」
「薬……う~~ん……あったかなあ……」
ごそごそとどこかを漁っている音が聞こえる。たぶん、普段絆創膏や頭痛薬に目薬、胃薬などを入れている引き出しのなかを見ているんだろう。
「……ない。体温計ならあった。あ、マスクもある」
「先生、とりあえず部屋を暖かくしていてください。今から行きます」
私は電話を切ると、編集長に報告しておいたほうがいいだろうとデスクに向かう。
「神谷が風邪?鬼の霍乱か」
「編集長、鬼の霍乱というより油断大敵じゃないかと思います。ここのところネタが浮かんだからとあまり寝ないで書いていたみたいですから。先生らしいですよね」
「しょうがねえなあ~。悪いけど竹倉、様子みてきて」
「はい、そのつもりです。薬やすぐに食べられるものを差し入れます。病院に連れて行きたいんですけど、先生は行きたくないみたいで」
「まあ、とりあえず熱測って様子見だな。医者は俺が連れて行くから連絡くれ」
編集長の指示にうなずくと、私は予定表に「神谷先生宅。進捗確認」と書くと会社を出た。
「……お~、たけくら~」
マスクをした先生の様子は電話の感じよりひどい。
「先生、大丈夫……そうじゃありませんね」
「お~・・・あーあ、せっかくいい感じに書けてたのに」
そういうとマスクを外して鼻をかんでいる。なんだかボーっとしているっぽいし、恐らく熱もあるんじゃないだろうか。
先生は体温計を脇に挟みながらキッチンにある椅子にすわると、私が買ってきたものをテーブルに置いていくのを眺めていた。
「おかゆに生姜湯、スポーツドリンク、リンゴ、ヨーグルト、カップスープに使い捨てマスク一箱……いろいろあるんだな~。ありがとう、たけくら~」
「とりあえずいろいろ買ってきました。先生、体温計何度でした?」
「……まあ37度ってとこだな。薬飲んで寝ればなおる」
「薬飲む前に、まずはこれ飲んでください。それと何か食べたほうがいいです」
私がインスタントの生姜湯を出すと、先生は嬉しそうな顔をして口をつけた。
「たけくら~、リンゴ食べたい。むいて」
「すりおろしじゃなくていいんですか」
「うん……生姜湯、うまいな~」
私はテーブルを挟んで先生の向かいに座ってリンゴをむきはじめる……あ、しまった皮を厚めにむいちゃったよ。
「なあ、たけくら。結婚しても仕事続けるんだろ?」
私は手をとめて思わず先生をまじまじと見てしまう。風邪っぴきの先生はぼんやりしているせいか、いつもよりも言動が唐突だ。
「いきなりですね。ええ、仕事は続けます。うちの会社、福利厚生しっかりしていますから」
「……俺は家で仕事しているせいか家事は気分転換になるし嫌いじゃない。互いに忙しいときは外食でも全然かまわないし……普段はできるほうがやればいい……そんなわけで、たけくら。安心していいぞ~」
「……それはよかったです」
私の返事に満足したらしい先生は「じゃあ寝る」といい、寝室に行ってしまった。
今のは、なんだったんだ。でも先生共働きOKなんだ。ふうん……私は閉まった寝室のドアをしばらく眺めていた。
-目を覚ました神谷目線-
目を覚まして時計を見ると、夜の10時。風邪の初期だったせいか先ほどよりは気分もよく、のどが渇いたので起き上がって何か飲むことにした。
竹倉はまだいるだろうか。鍵とか預けてないから帰れなかったかと思うと申し訳ない。そう思ってリビングへ歩いて行くと……俺は一気に脱力した。
「お。目を覚ましたか」
「……竹倉が森川先輩になってる。なんでおっさんに」
「失礼な奴だな。俺がおっさんならお前もおっさん」
「竹倉はどうしたんですか」
「俺が8時過ぎにここに来て帰らせたよ。ただの担当がずっと面倒を見るのは変だろう」
「そりゃそうですけど」
「ずっと竹倉にそばにいてほしかったら、さっさと行動しろ。このヘタレ」
「……分かってますけど、結婚があんな形で駄目になった竹倉につけこむことはできませんよ」
俺の言葉に森川先輩はにやりと笑い、スポーツドリンクをくれたのだった。