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3:神谷先生の雑多な世界

 先生が住んでいるマンションの近くには昔ながらの店が今でも元気な商店街があって、先生が住む場所を決めたのはこの商店街が決め手だったと森川編集長から聞いたことがある。

 決め手と言うだけあってよく買い物をしているらしく、たまに私が先生と一緒に商店街を歩いていると店員さんが気軽に声をかけてくれる。

 私が休みの間に編集長が豆大福を持って行ったそうなので、今日は商店街にある洋菓子屋のシュークリームにするか……。


 先生は私の顔を見ると、にやっと笑った。顔つきは切羽詰ってないので順調に進んでいるようだ。

「きたな、竹倉」

「こんにちは先生」

「その中身当ててやろうか。シュークリームだろ」

「正解です……ああ、やっぱり」

 私は思わず部屋の床を見てつぶやいてしまう。この間、編集長が片付けたはずなのにもう本が床に散らばっている。

「やっぱりってなんだ、やっぱりって」

「先生は相変わらず本を床に置くのが好きなんだなあと」

「本棚に戻す時間が面倒くさいだけだ。終わったら戻す」

 本棚に戻しているのは私なんですが。ま、いつものことだから何を今さらか。

 神谷先生はミステリーのほかにエッセイも書いているせいか、時折女性誌からも取材を受けることがある。インタビューを受けている先生は、長めの前髪をきれいになでつけスーツをセンスよく着こなしている。高校生の頃、ちょっと好みだと思ったあのときのまま年齢を重ねている感じなのだ。

 もっともそれは表向きのいわば世をしのぶ仮の姿。普段の先生は長めの前髪をクリップで無造作に留め、何日着ているか分からないネルシャツとデニムが定番。愛用している黒縁眼鏡(テンプルは鮮やかなブルー)をかけ、ちょっと無精ひげをはやしている。そして部屋はいつも雑多で、それを片付けるのが私の役目だ。

 雑誌ではスーツを着こなし、眼鏡も服装に合わせていろいろかけているくせに……まあ、3分しか地上にいられない正義の味方みたいなものなんだろう。

 今、目の前で先生は私を椅子に座らせると、差し入れたシュークリームを食べるために紅茶を入れている。なんでも学生時代に喫茶店でバイトをしていたときにマスターにいれかたを教わったそうで、先生のところに伺うといつも手ずからお茶をいれてくれる。

 そのお茶が、悔しいがとても美味しいのだ。


 以前に先生が“竹倉のマグはこれ”となぜか私専用としている淡いグリーンのマグに紅茶をいれてくれ、テーブルをはさんで向かい合わせに座る。

「先生、この間編集長から掃除をしたと聞いたのですが」

 私がPC周囲の床に視線を向けると、先生は気まずそうな顔をした。

「ちゃんと片付けるって。竹倉は厳しいんだから」

「私や編集長は今さら驚きませんが、先生のエッセーを担当している方はこの状態を見て驚きませんか?」

 確か先生がエッセーを掲載している雑誌は、ものすごくセレブ系だったはず。美容室でぱらっと見たときに、あまりに自分が購入する服の値段と違いすぎて目まいがしそうになった。

 そんな雑誌の担当だもん、きっと靴底の赤いハイヒールとか女優の名前がついたバッグとかを普段使いしてるんだろうなあ。神谷先生の外面バージョンとよく似合う人かも。

 そんなことを考えていると、先生の顔がなんとも微妙な顔になっていることに気がついた。

「ここに来ることを許可している出版関係者は森川先輩と竹倉だけだからな。しかも女性は竹倉だけだぞ、ありがたく思え」

「え!じゃあ蒼葉先生も来たことないんですか」

 蒼葉先生、とは私が神谷先生の前に担当していた恋愛小説家の瀬戸蒼葉先生のことだ。神谷先生と同じ大学出身でサークルの後輩でもある。そのせいか仲がよく、互いの著作の帯や解説を書いたりしているくらいだ。

「俺と瀬戸は仲がいいが、互いの部屋なんか行ったことないぞ。第一、瀬戸にはもれなく護衛がくっついてるだろうが。竹倉の先輩で……木ノ瀬とかいう名前の」

「木ノ瀬さんは確かに蒼葉先生の担当編集者ですけど、護衛なんて大げさな」

 すると先生は人のことをやれやれといった感じで見ると、ため息をついた。

「竹倉はもう少し観察眼を養え。でも木ノ瀬ばっかりじゃなくて、俺のほうもちゃんと見ろよ」

「先生のことはいつも観察してますよ?おかげで何を差し入れればいいかばっちりです」

「……そういうことじゃなくて」

「あ……はい。ちゃんと考えてます」

「そうか、ならいいけど。忘れたふりはするなよ?」

 目の前で紅茶を飲んでいる先生は、いつもどおりの先生のはずなのにちょっと言動が違うだけでどうしてこんなに緊張してしまうんだろう……。

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