エピローグ:宗佐さんとわたし
私の異動にいい顔をしなかった神谷先生は、最初のうちは新しく担当になった木ノ瀬さんの自信たっぷりな言動に思うところはあったらしいけど、どうやら打ち解けてきたようで先生の部屋には外側が葡萄色で内面がアイボリーの新しいマグカップが増えていた。
「このマグは木ノ瀬さんのですか?」
「ああ。なんか木ノ瀬っぽいな~と思って。本人は微妙な顔してたけどな」
先生がどういうイメージで選んだのかは分からないけど、自分に自信がありそうな木ノ瀬さんにはぴったりの色かもしれない。
先生の担当から外れて変わったことは、会うのは仕事が休みの週末だけになったことと、いつでも名前を呼べるようになったことだ。
「宗佐さん、約束したとおり本を買ってきたのでサインください」
私がバッグから本を取り出すと先生はまじまじとそれを見ている。
「ほんとに買ってきたのかよ~。初版をただでやると言ってるのに」
「何言ってるんですか。お金を出して買ってこそファンというものです」
私が持ってきたのは彼の最新刊。担当だった頃には出来なかったけど、ただのファンに戻った今なら堂々とサインがしてもらえる。
「灯は頑固だなあ。まあそんなところも俺は好きだけど」
そう言うとにやにやしながらサインをさらさらと書く。どうして先生って“好き”とかさらっと言えるんだろ。作家だから書きなれていることは言いやすいのか?いや、蒼葉先生は“自分で考えた甘いセリフを実際に言うのってうわああって思うよ”って言ってたから、本人の性格か。
「はい、俺の特別大事な読者にサイン入りの初版本だ。ありがたく受取れよ」
「ありがとうございます」
まあ、いいか。そんな性格だと私も分かっていて好きなんだから。
「そんなに俺のサイン本って嬉しいか」
「それはもう。大学生の頃、サイン会の日が試験に当たってしまって涙をのんでいらいです。宗佐さん、あまりサイン会とかしないですし」
「俺、よく知らない不特定多数の人と会うのって緊張してしまうし気の利いたことも言えないし。森川先輩が“お前のサイン会はこっちが疲れる”と言ってあんまりしなくなった」
編集長は先生の性格を把握してるから、茶化しつつやらない方向に持っていたに違いない。
「そういえば木ノ瀬さんから急ぎの仕事があるって聞いてますけど、宗佐さん大丈夫ですか」
「あいつは余計なことを」
そう言って先生は面白くなさそうだけど、私と出かけて仕事がおろそかになるなんてよくない。
「私、久しぶりに宗佐さんの仕事してる姿みたいです。以前は当たり前のように見てたのに、今は全然見られないからちょっと寂しくて」
「灯って、さらっとすごいこと言うよな。そっか、じゃあ仕事するか」
なぜか先生は少しだけ顔を赤らめて、ソファから立ち上がった。そ、そんなに照れるようなことを言ったか、私。だって、先生が仕事をしている姿を見るのは本当に楽しみだったのだ。
私に甘いことを言ってキスとかいろいろしてくる顔も好きだけど、仕事をしているときの顔だって好きだ。
先生が仕事部屋に行き、私は居間に一人になる。いそいそと先ほどもらった本をひろげその世界に足を踏み入れる。
木ノ瀬さんと先生の組み合わせって水と油な感じだったから大丈夫かなと実は心配していたけど、どうやら杞憂だったらしい。先生の世界が以前にまして豊かになってきた感じがする。
「うーん、面白い」
「灯の率直な感想が聞けて俺は嬉しい」
不意に先生の声がして驚く。
「宗佐さん?!」
「仕事が終わった。月曜に木ノ瀬にわたせば間に合う」
そういうと先生は私を自分の腕のなかに閉じ込めてしまう。
「終わってよかったね、宗佐さん」
「まあな。でも俺が灯をほっといて仕事してるのに木ノ瀬は瀬戸といちゃついてるのかと思うとちょっとむかつくものがあるが」
「蒼葉先生も仕事しているかもしれませんよ。うちの会社は特にお願いしていませんけど」
「それなら休みだろ。ま、俺もこれからいちゃつくからいいけどな」
そういうと先生は私に甘くてとろけるようなキスをした。
あと1話、番外編を公開したら完結です。




