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15:壁が崩れた日

 部屋の中はかちかちと時計の音だけが部屋に響いているだけ。

「あの、先生。そろそろ離してくれませんか」

「それは嫌だな」

「はい?!なんですか、その子供発言」

 すごく近い距離に先生がいるのをすっかり忘れて私は顔を上げてしまった。

「子供で結構。離したらおまえ、逃げちゃいそうだし」

 そう言うと、先生はまじめな顔つきで両腕で抱きしめていた手をゆるめて、右手で私の顔に触れる。

「今さらだけど、もしかして俺にこうされるのいやだったか?」

 こんな状況になっておいてまったく今さらだ。しかも嫌じゃないのがすごく困る。梅を見に行ったときに髪の毛に触れる先生の手も、北上さんが出て行ったあとに私の左肩に頭を寄せてきたときも全然嫌じゃなくて、むしろ時間が止まってしまえばいいのになんて少しだけ思ったりした。

 慰謝料を使い切った海外旅行は回復への足がかり。その後も状況を知っている同僚たちのおかげでいつもどおりに仕事ができたことが後押しになった。それでも、自分は恋愛に向かないんじゃないかって正直思っていた。誰かと向き合うのが怖かった。

 でも半年たったとき、悲しみじゃなくて感慨しかないことにちょっと驚いた。今は変な話元彼とあの子が置かれてる状況に対しての同情が湧いてくるくらいだ。なんというか、テレビで芸能人のスキャンダルを見て“へ~、大変ね~”って思うのと似ている。

 ここでふいにすとんときてしまった。今の私の心境は、先生と梅を見たときの春の青空みたいにすっきりしている。そこから見えてきたのは私の気持ちだ。

 今なら、旅行から帰った日に現れた恋のかけらを拾っても怖くない。このひとは、ちゃんと向き合えるひとだから。もう、逃げない。


「先生、ありがとうございました……私を待っててくれて」

「え。竹倉、それって」

「先生」

「名前、呼んでくれないか。先生って呼ばれるのは仕事のときだけでいい」

「いいえ、今仕事中ですから」

「何をとぼけたことを。この状況、分かってるのか?どうみても仕事中じゃないぞ」

 先生がにやにやして、私をみつめる。

 確かに先生に抱きしめられているうえに、見つめ合っている感じになっているこれは仕事とはいえない。

「うっ。だったら離してくださいよ。先生、仕事しましょう、仕事」

「えー。せっかく竹倉が素直に俺に身を任せてくれてるのに」

「その表現はちょっとどうかと思います」

「まったく…しょうがない、今はこれで勘弁してやろう」

「は?え、せ、先生。ち、ちょっと…」

 近寄ってくる顔を見るのが恥ずかしくて、思わず目を閉じるとまぶたにキスの感触。次は唇に軽いキス。

 まぶたにキスをされたのは初めてだ。こんなにどきどきするものなんて、ファーストキスをした高校生じゃあるまいしっ。

 目をあけた私の前には、ちょっと照れた顔をした先生がいる。

「顔、赤いぞ」

「……先生が、いきなりキスをするからじゃないですか」

「じゃあ、いきなりじゃなきゃいいんだな」

「まるで子供の理屈ですね」

「そういうな。ちょっと舞い上がってるんだ」

 そんな先生の様子に思わず笑いがこみあげてきてしまう。先生も自分の言動がおかしかったのか、ふっと笑う。



「ところでさ、俺のことは名前で呼べよ」

「さっき言いましたよね。今は仕事の時間です」

 ついキスをしてしまったけど、あれはちょっとばかり流されただけだ…たぶん。

「あ、分かった。俺の名前を言うのが恥ずかしいんだろ。灯は存外、照れ屋なんだな」

 仕事中だと言っているのに人の話を聞いてない。いや、あのニヤリ顔は聞いてるけど聞くつもりがない顔だ。

「宗佐さんは、私の名前をさらっと呼ぶんですね」

「そりゃまあ……って、今、俺の名前!」

 先生の顔がニヤリ顔から一転、驚きと嬉しさが混ざった表情になった。

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