14:彼女の置き土産
今朝、テレビで天気予報を見たら一日晴れで気持ちいい気候だと言っていたので、だったら社食や外食もいいけど、何か買ってきて屋上で食べるのがいい。どうせなら最近出来たパン屋で買ってみようと私は頭のなかで計画を立てた。
お昼になってパンを買ってくるところまでは計画通りだった。でも物事というのは得てして計画通りにいかないことのほうが多い。
たとえば、今の私の状況のように。確かにパンは美味しい。メイプル味のベーグルはもちもちだし、たっぷりの具が挟まったベーコンエッグトマトサンドは食べ応え抜群だ。
「ふーん。確かに評判のパンって言われるの分かるわ。美味しいわね」
「そうですね」
私はなぜか会社近くにある公園のベンチで、心地いい日ざしを浴びながら北上さんと並んで座ってパンを食べている。あ~、屋上でのんびり食べたかったよ……。
お昼を買うため会社を出たところで声をかけられて驚いた。
「あの、編集長に用事でしょうか」
「違うわよ。竹倉さんに会いたかったの」
「私がいなかったらどうするつもりだったんですか?」
「そしたら諦めたわよ。無駄な労力を使うのは嫌いなの」
つまり、一か八かで今日来たわけだ。本日の星座占いランキング、何位だったっけ……普段気にしたことのないものを頭に浮かべてしまった。
お昼だから食事をしたいのだというと、じゃあ私に付き合えといわれ今日はパンを外で食べたいからと断るとそれでいいからと言われ現在に至っている。
ペットボトルのお茶を飲んで一息つくと、北上さんが口を開いた。
「私、今日実家に戻ることにしたの」
「え。そうなんですか」
「何よ、その嬉しそうな言い方。そんなにそ……神谷さんのことが心配?」
そこで気がついた。北上さんが先生のことを「宗佐」ではなく「神谷さん」と呼んだことに。
「他人を名字で呼ぶのは普通でしょう。ねえ、あの人は今でも仕事場に鍵をかけて出てこないの?」
「え?」
仕事場に鍵……そんなの私が担当になってから一度もない。
「あの人以外でそこに入れるのは当時担当だった森川さんだけ。掃除をしたいと言っても“俺のものにはさわらないでいいから”って断られた。一緒に過ごしているときも私の話は聞いてる様子はないし、常に作品のことしか頭にないみたいだった」
北上さんの話す先生は、私の知っている先生と一致しない。本当に同一人物なんだろうか。
「経済的には悪くなかったし、売れてる作家の妻ってのはいい立場よ。手放す気なんてなかったけど、自分の話を聞いてくれない人との生活ってつまらないのよね」
北上さんはふっと笑った。話を聞いてくれない、か。でも、北上さんは先生の話を聞いていたのかな。
「北上さんは先生の話を聞いていましたか」
「さあ、どうだったかしら。最初は聞いていたかもしれないけど、互いに話を聞くのを面倒に思ってしまったのかも。さてと私はそろそろ行くわね。竹倉さんは時間大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「そう。……いろいろ悪かったわね」
最後の言葉を本当は言いたくなかったんだろう。北上さんの顔がちょっと悔しそうにゆがんだ。
次の日、先生の部屋に進捗伺いに行くと仕事部屋はやっぱり開けっぱなしだ。
いつものように仕事をしている先生の後ろで私は本を片付ける。
「先生って仕事部屋に鍵をかけませんよね」
「竹倉と森川先輩しか来ないのに鍵をかける必要がないだろ。何をいきなり」
先生が椅子をくるっと回転させて私を見る。
「いえ、ふと思っただけです」
「ふーん。おまえ、なんか隠してないか?」
「な、何にも隠してないです」
北上さんから聞いたことを先生に確認するのはちょっと違う気がするから黙って本を片付けていると、先生が立ち上がって私の隣にかがんで本を片付け始めた。
「先生、ここは私一人で大丈夫ですから仕事を続けてください」
「気分転換したいんだよ」
そう言われてしまうと、何も言えなくなる。先生はそれを見越して言ったに違いない。黙々と2人で片付けていると、最後の1冊で手が触れたので手を引っ込めようとすると、ぎゅっとつかまれた。
手から視線を外して顔を上げると先生の顔が近い。
「先生、近いですって」
「ここで目を閉じてくれればいいのに」
「と、閉じませんよっ」
「竹倉らしいな。じゃあ今はこれでいいか」
「は?え、ちょっと先生」
背中にぐいっと腕を回されて、私は倒れこむように先生に抱きしめられていた。




