おまけ:蒼葉先生の昔話
「灯ちゃん、森川先輩から聞いたんだけど北上先輩が来たんだって?私もその場にいたかった!!」
蒼葉先生、顔を合わせて開口一番がそれですか。ここは文芸編集部専用の会議室。ミステリー編集部の「おこもり部屋」と化した部屋よりずっときれいでちゃんと会議室として機能しているのは一目瞭然である。
どうして私がここにいるのかといえば、ミステリー編集部が借りていた資料を返却するためである。
資料を返したので戻ろうとしたら、ちょうど打ち合わせにきた蒼葉先生につかまり、なぜか木ノ瀬さんに誘導されてここにいる。
「先生、その場にいたかったって……あ、そういえば北上さんは先生と大学にいた時期が被っていると聞きました」
「そうよ。私ね、あの人には言いたいことがあったのよ。あの日ミステリー編集部に行っていれば……」
いつもにこにこしている蒼葉先生が、ぬううと悔しがっているのが珍しい。でもそれはとてもとても親愛の情からきているとは思えなくて。
「蒼葉先生、眉間にシワです。どうしてその北上先輩にお会いしたかったんですか?」
木ノ瀬さんに言われて、先生は思わずひたいをぱっとさわる。ナイスタイミング、木ノ瀬さん!私もそれが聞きたかった。
「それは……」
蒼葉先生は私たちの顔を見ると、話し始めた。
―蒼葉先生の昔話―
北上先輩は私より2歳上で、ミスキャンパスの最終選考に残ったほどの美人として有名だった。
華やかな先輩と地味な私、同じサークルに所属はしていたけれど学年は違うし専攻も違う。だから全然恨まれる筋合いはないはずなのに、なぜか私は北上先輩にちくちくと意地悪されていたのである。
サークルの連絡がまわってこないとか、雑用係は必ず私を指名するとか、同人誌の締切を私だけ違う日を教えられるとか……、まあそれは同じサークルの友達や違う先輩たちが正しい情報をくれるから差しさわりはなかったんだけど、私だけがピンポイントで攻撃される理由が全く分からないのが地味に不愉快だった。
その理由が分かったのは先輩が卒業して神谷先輩と結婚したのを知ってからだ。私と神谷先輩は好きなミステリーの傾向が似ていて、先輩がサークルに顔を出すとよくミステリーの話をしていたし、私の書いた書評を面白がってくれた。
先輩は在学中にデビューしていて尊敬もしていたけど、ただそれだけだった。でも、それが北上先輩のお気に召さなかったのだ。
「もう宗佐は私のものだから、瀬戸さんもそのへんはわきまえてくれるわよね?」
一度だけ神谷先輩と一緒にきた北上先輩は私に誇らしげに左手薬指の指輪を見せた。
「先輩、私と神谷先輩はなんでもありません。何を誤解されたのか知りませんが、ただの先輩と後輩です」
「そういうのが一番油断ならないのよ。それにあなた作家志望なんですって?やめておきなさいよ、無理なんだから」
そう言って北上先輩は私を見てくすっと笑ったのだった。
「まあさ、そのくすっと笑いで発奮した私は本格的に作家を目指したんだけどね。そういう意味では北上先輩にお礼を言おうかと―どうしたの、典くん」
「き、木ノ瀬さん?」
先生が話を終えて、私もそんなことがあったのかと驚いていたんだけど……木ノ瀬さんは、実に真っ黒な笑みを浮かべていた。もしかしてご立腹というやつだろうか。
「蒼葉先生、そんなことを言われていたんですか。そうですか……なるほどね。神谷先生も今はともかく昔は本当に女性を見る目がなかったんですね。先生」
そう言うと、木ノ瀬さんは先生の両手をぎゅっとにぎった。えーっと、私はここにいていいのかな。うん、私は壁だ、壁。
「な、なに」
「その北上という女性がもし接近してきたら、すぐ言ってくださいね。僕、弁護士の友人がいますから。高校の同級生なんですよ」
「典くん、後輩の私のところなんて姿を見せないと思うよ」
「いいえ、油断大敵です。必ず僕に言ってくださいね」
「わかったよ……典くん、笑顔が怖いよ。灯ちゃんもびっくりしてる」
「あ、それはすいませんでした。ついつい。ごめんね、竹倉」
「いいえ、気にしないでください」
私、ぜったいに木ノ瀬さんは敵に回さない。




