11:天の配剤-1
彼女は、つやのあるブラウンの髪を肩でそろえ、ほっそりした体型。ぽってりとした唇、くっきりした二重のアーモンド型の瞳、すっきりした鼻。編集長は“美人の部類”って言ってたけど、そのまま“美人”だ。スタイルもダイエットの必要がなさそうで、先生って面食いよね……。
北上さんが現れたのは神谷先生の離婚話を聞いた2日後だ。編集長が内線電話を取り、二言三言話したあと私を手招きした。
「竹倉、神谷に連絡してくれないか。北上が来てる」
「え、電話じゃなくてですか?」
「言っただろ、あいつはとことん自分本位なやつなんだよ。他人の都合なんか考えたことあるかどうか。北上を会議室に通しておくから、神谷を連れてきてくれ」
会議室というのは、いつもは使わないミステリー編集部専用のちょっとした小部屋(社員同士の打ち合わせはいつもパーティションで仕切ってあるスペースでさくっとしてしまう)のことだ。そこを使うのはこもって仕事をする場合か、年度末に出る大量のゴミをまとめるときくらいだ。
私たちの間では別名「おこもり部屋」……それが今、普通に役に立とうとしている。編集長が席を立ったので、私も先生に連絡を取った。
先生を案内しておこもり部屋に入ると、北上さんの視線が先生に向けられた。結婚しかけたことはあるけど未婚の私には元夫婦のことなんて分からない。でも、北上さんの視線とは対照的に先生は北上さんのほうを決して見ようとしていない。
「それでは失礼します」
部屋から出ようとすると、編集長に引きとめられた。
「竹倉も部屋に残って」
「はい?!」
「いいから残れ」
うう、編集長が命令口調で言うときは基本絶対だ。なんでこんなところに巻き込まれなきゃいけないんだ。確かに先生のことは心配してるけど。あ、もしかして編集長ってそこのところを見抜いたとか?
「……はい」
私がおとなしく末席に座るのを確認すると、編集長はICレコーダーを机の上に置いた。
「さてと。言った言わないでもめたくないだろ。だから、ここでの会話は録音することにしたから。2人とも、いいな」
ああ、おこもり部屋のどんよりした空気がよりいっそう重くなっている気がする。
「北上、どうして今さら俺に会いたいなんて思ったんだ」
「宗佐ったら名字で呼ぶなんてよそよそしいわね。昔みたいに江菜って呼んでいいのに」
先生の硬い口調に対してくすくすと笑う北上さん。そっか、昔は呼び捨てだったのか。まあ恋人で夫婦だったんだから。
「親しくもないのに他人を呼び捨てなんて出来るわけないだろう。だいたい一緒に逃げた不倫相手と再婚したんじゃないのか」
「再婚?するわけないでしょ。離婚したのは宗佐が悪いのよ」
「不倫相手と逃げたあげく離婚届送りつけてきたのはそっちだろう」
「あの頃の宗佐は小説ばっかり書いてて、全然私のこと相手にしてくれないから面白くなかったのよ。その頃、大学時代にちょっと遊んだ相手から声かけられたからつきあっただけ。
そしたら一緒に逃げてくれなんて言われちゃって、まあ私もちょっと宗佐を焦らせたかったから離婚届を冗談で送ったのに、まさか本当に手続きするなんて。おかげで実家の両親からは叱られるし、姉からは出入り禁止って言われるし……もう大げさよね」
そう言うと北上さんは唇をとがらせた。
先生だけじゃなく、編集長と私も驚きを通り越して呆れていた。まあ夫婦喧嘩の勢いで離婚届書いて隠し持ってるなんていうのはネットの掲示板で見たことあるけど。
「俺は冗談で離婚届を送りつける人間の気持ちなんて全然分かりたくもない。で、今さら顔を出した用事をさっさと話してくれないか」
先生の冷たい口調に、北上さんは肩をすくめてため息をついた。
「私、もう一度宗佐とやり直したいの。今度は宗佐の仕事が忙しくても、拗ねたりしないしサポートもする。お互い独身なんだし、考えてくれない?いいアイデアだと思うんだけど」
いいアイデアだと思っているのは、きっと北上さんだけだと思う。




