8:梅と団子と春の空
神谷先生の部屋で、ふとカレンダーをみて気がついた。結婚式がだめになって、もう半年近くになろうとしている。
「はやいなあ」
「なにが」
独り言のつもりだったのに、どうやら執筆中の先生の耳に入ったらしく聞き返されてしまった。
「独り言なので、気にせず執筆してください」
「耳に入ったんだから仕方ないだろ。で、なにがはやいんだよ」
先生が椅子を回転させて、私のほうを見た。
「なんでもありませんよ」
「気になるじゃないか。このままだと俺の執筆が滞るぞ~。そしたら困るのは竹倉だろう?」
「まだ余裕がありますし、先生が軽口を言うときは原稿が順調な証拠ですから」
神谷先生は、原稿が書けずに逃亡とか変なワガママをいうとかそういう悪評がない。確かに外面とのギャップは激しいけど、そんなものはたいしたことじゃない。担当の私が勝手に少しがっかりしているだけだし。
「ほんと、俺のことをよく把握してること。でも気になるなあ。とーっても気になる。竹倉は優しいから教えてくれると俺は信じてるけどな」
そんなに気になるか、この人は。
「結婚式がだめになって、もう半年近くたったんだな~って思ったんです」
「……そうか」
先生が少し気まずそうにこめかみをぽりぽりとかく。
元彼は卯月情報によると左遷されたらしいけど、そこで頑張っているのだろうか。あの子と結婚したんだろうか。というかあれは結婚しないといけない状況だったが。
今はもう、慰謝料とはいえあんな大金をもらってしまって彼らの結婚生活に差し障りがなかっただろうかとちょっと心配できる心境だ。
「よし竹倉、梅を見に行くぞ」
「は?梅ですか?はい、わかりました」
もしかして順調そうにみえて、ネタにつまっていたのだろうか。まあ先生だって気分転換をしたいときがあるだろう。そういえばテレビで梅の開花を放送していたっけ……最近、じっくり花を見るなんてしてないから私も楽しみかも。
先生の運転する車で到着したのは、約200本の梅が咲くという公園だった。白梅のなかに紅梅がちらほらと混じっている。
「先生、きれいに咲いていますね」
「そうだな~。今日は平日だから人もいないし」
先生が言うように、平日の昼間のせいか週末には混雑するだろう散歩道もがらがらだ。ときおりカメラを持った人が立ち止まって梅の花を撮影しているくらい。
「さっそく梅を見よう。団子と茶もあるしな」
「先生、お茶は散歩ですから分かりますけど団子っていりますか」
「お茶と団子はセットだ。商店街の春限定三色団子、竹倉も好きだろ?」
先生お気に入りの三色団子は、緑、白、ピンク(桜色)の団子に上品な甘さのこしあんをたっぷりのせた逸品で、毎年梅の開花から桜の終わりまでしか販売しないものだ。
駐車場で配られたパンフに目を通すと、梅の見ごろは今月の下旬まで。下旬になると桜も見られるらしい。
すっきりした春の空に白い梅。思わずスマホのカメラで撮影してしまう。
「ちゃんと撮影できたか?」
「ふふ、ばっちりです」
「あそこのベンチで休憩するか」
「そうですね」
ベンチにすわって団子をほおばれば、上品な甘さに顔がほころんでしてしまう。周囲はとても静かでまるで私と先生しかいないみたいだ。
「それにしても竹倉は美味そうに食べるなあ」
「美味しいんですからしょうがないですよ。あんこと団子の具合が絶妙です~」
なんとかあんこを口の端につけずに団子を食べ終え、私はお茶を飲んでふうと一息つく。ふと先生がなぜかにこにことこっちを見ているのに気がついて恥ずかしくなる。
「せ、先生。見られていると恥ずかしいんですが」
「竹倉の照れた顔は可愛いなあ」
隣にいる先生の手が伸びてきて私の髪に少しだけふれる。
「せ、せせせ先生?!」
「ば、ばかっ。梅の花がついてたんだよっ……で、でもすまん。セクハラだよな」
「だ、大丈夫です。……先生ですから」
私の小さい声は先生に届いたのか、そのまま先生は私の髪の毛をふんわりとなでた。
その手に、私はとてもどきどきしていた。




