弥山頂上
「さあ、着いたわ。」
六月二九日午前十一時半。石鎚山頂の広場は三十人くらいが所せましと弁当を広げていた。
明美はそのまま「天狗岳」に向かうことにした。
「弥山」から見る「天狗岳」が石鎚山の象徴的な風景であり、とんがり帽子が北側に傾いているようである。「天狗岳」までの縦走ルートを見るとまさにナイフリッジ状であり、気が引きしめられる。ナイフリッジの右側に十五人ほどが行き来している。
石鎚はロッククライマーにとっても、アクセス的にお手軽なコースで、北壁はその醍醐味を発揮する。よく岩にへばりついているクライマーを見かけるのだが、人間がサルから進化したのを思い直したりする。
縦走路の尾根に降りるのに鎖を使う。ここではどこにでもあるぶらぶら振れるくらいのかわいい鎖だ。その先は細い岩尾根、左手を岩に置き、一歩一歩足場を探しながら慎重に進む。登頂を済ませた人たちとできる場所ですれ違う。どうにか二十分足らずで、「天狗岳」の小さな看板のある岩の頂上に着いた。
振り返ると「弥山」の神社が天空の城のごとく神々しく見え、その先の「二の森」の稜線が爽やかに見渡せた。東には「瓶が森」の稜線。四国が島であることを感じさせないほど山々が連なっている。
「天狗岳」のピークはスペースもなく、ほかの登山者の記念撮影のためにも、「弥山」にすぐに引き返すが、来るときには立って歩いてきた岩の上で足がすくみ、尻をついて四つん這いにずりずり進んだ。
(鎖場よりこの尾根の方が怖いわ。落ちる人いないのかしら。)
「石鎚山」の山頂としては、石鎚神社の頂上社が鎮座する「弥山」(標高1972m)になるが、てっぺん、先っぽを欲する登山者は、せっかくだからと最高峰となる「天狗岳」(標高1982m)を目指そうとする。近い将来は弥山、天狗岳の縦走路に手すりができるかもしれない。
明美はどうにか「弥山」の広場に戻って、「天狗岳」を振り返った。
(正解だったわ。)
さあーっと風が吹いたと思ったら、天狗のとんがりの左方(北面)より、すうっとガスが上がってきた。次々と白いガスがふもとより立上り、そこの空間が飽和状態になったのか、とんがり帽子をなでるように尾根を巻いて越えてきた。ほんの数分ほどで真っ白な世界に包まれた。
(大きな幻想的なマジックだわ。動画でも撮っとけば良かった。)
晴天である夏場、前日が雨の場合は特に正午前後にはガスが発生する。そのため常連登山者はなるべく早い時間に頂上に上がる。明美が正解と思ったのは、「弥山」で食事休憩を取らなかったことにある。
荷物の中からウィンドウブレーカーを取り出し着込んだ。登ってきたための汗が冷えて身震いをした。明美は早々と頂上山荘に入った。
なんとか座れる場所があったので荷物を置き、うどんを注文した。山荘は自由に休憩できるが、少し気が引けたのだった。
後ろの席では、六人の白装束ががやがやと酒盛りをしていた。
うどんをすすり、下で買ったおにぎりを食べていると肩をたたかれた。
「お神酒をどうぞ。ようお参り。」
白装束がコップに入った日本酒を差し出してきた。
「ちょっと、結構です。」
白装束はなかなかあきらめない。ひょっと白装束の傍らをみると、登山者が真っ赤な顔をしてげらげら笑っていた。
(えっ、べっこうおやじぃー?、つかまっていたんだわ。)
明美はへとへとになってる酔っぱらいを見て苦笑した。
(なんだ、ストーカーじゃなかったのか。陽気に笑って。)
「まあ、一杯だけ、一杯だけでええきにぃ。精進、精進ぞなもしぃ。」
二人がかりとなり、強引さが増した。
「あの、これからすぐ下山しますので、・・・」
と、
「おっちゃんら、勘弁したってや。」
立ち寄ってきた一人の男が明美のまえのコップをとり、くいっと空けた。
「おおぉーっ。」
白装束たちが手をたたいた。
「にいちゃん。やるやんけー。」
べっこうおやじも割り箸で机をたたき、調子にのっていた。
にいちゃんと呼ばれたが、ベッコウおやじとそれほど年が変わらない、前髪に白髪を蓄えていて、五十前後であろうか。
(逆効果だわ。)明美は思った。
案の定、宴会が始まってしまった。酒は売店で買えば尽きることはない。
白髪の紳士は何杯も飲んだ。明美も結局付き合うこととなった。ベッコウおやじはダウン寸前であった。
白装束六人と三人は周りから隔離されたように距離をとられたのであった。