第8話 5.ホーライ博士 後編
そこへミセス・ホーライが戻ってきた。
「あら、その頭、もうシャンプーしたの?」
「いや、スパイ映画の小道具だ。
あとで女の子が戻って来たら詳しく話すよ。
それより、大変だよ、ベス。
さっきの小さい女の子はテレパシーが使えるそうだ」
そう聞くとエリザベスも目を輝かせた。
「まあ、彼女が!
あなたは前から、イルカはテレパシー能力があるに違いないと言ってたものね。
彼女に巡り合えたのは神様の導きよ」
「そうでなきゃ、鯨の背中で漂流なんてなかなかできない芸当さ」
「そうね、素晴らしいじゃない。
是非、彼女にあなたの研究に協力してもらったらどうかしら」
「うん、そう思ってたところだ。
後で頼んでみることにするよ。
ケン、暇つぶしにイルカのテープを聞くかい?」
「ええ、是非」
ホーライ博士は立ち上がって、大型のオープンデッキの前に行くと、ゆっくりと動いていたテープを止め、巻き戻して再生ボタンを押した。
するとイルカの声がスピーカーから流れてきた。
それはピュー・ピュイーという単調な繰り返しだ。
「イルカの声ですね」
「うん、ただイルカの声は口からではなく頭の噴気孔の奥から出ていてるんだ」
「そうなんですか」
「このクルーザーの船底には水中マイクが装備されていてね、二十四時間、鯨やイルカたちの声をモニタリング録音できるんだ」
「こんな声をいつも出しているんですか?」
「いや、種類によってはほとんど声を出さないものもあるし、いつも喋っているわけでは
ないがね。
また人間には聞こえない周波数の音も彼らは聞き分けることができるし、音として捉えられない何かでコミュニケートしている様子もある。
これをつきとめるのはやっかいだが、鯨やイルカ同士がコミュニケーションをとっていることは確実なんだ。
人間が使うような文法体系は持っていないが、だからこそ人間の考えつかない能力が発達している」
「生命の知恵は偉大な神の知恵なのよ」
ホーライ夫妻が微笑みかけると、ケンも「すごいですね」と感嘆した。
「ところが、人間には自分の信仰する常識と違うとすぐ否定にかかる石頭が多くてね。
ファイトが湧くよ」
ケンは相槌をうった。
「どこにも石頭はいますからね」
それから壁面いっぱいに積み上げられている解析機器類を見上げてつぶやく。
「それにしてもすごい観測機材ですね」
「昔はテープレコーダーに、カメラだけで観察した時代もあったんだが、それでもけっこう楽しかったし、成果もあった」
ホーライ博士が言うと妻が続けた。
「そうそう、一本しかない水中マイクが壊れて、普通のマイクにビニールを巻いて使ったこともあったわ。結局、再生してみると雑音が多くて使えなかったのよ」
「ハハッ、そんなこともあったな。
今じゃ高感度ソナーもあるし、デジタルイコライザーも、周波数測定器もある。
太平洋の真ん中でも衛星経由で大学のスーパーコンピューターに接続してデータ解析もできる。
ところがこんな何千万もする機械が全部役に立つかというと、そうでもないから不思議だよ」
そこへカノンとジュリが、エリザベスからの借り物らしい大きめのトレーナーとスラックスで上がってきた。
「あれ、どうしたの、おじさん?」
カノンは笑いながらケンの頭を指差した。
「笑い事じゃないんだ」
「どうやらケンもイルカ同様に頭に発信機を埋め込まれているみたいなんだ。
それで位置を追跡される可能性がある」
ホーライ博士が説明を始めるとカノンも神妙に聞いた。
「その電波を遮断するために、応急処置としてアルミホイルで頭を覆っているんだ。
いずれ陸に上がったら、手術して発信機を取り出す必要がある」
「まだ危険が続いているってこと?」
「そう考えてよさそうだ。
君たちもしばらくは私の別荘兼研究所に身を隠した方が安全だろう」
「そうですね、命を狙われたんだもの。
のこのこ戻るわけにはいかないな」
ジュリの言葉にカノンもうなづいた。
「お母さん、心配するだろうけど」
「じゃあ、お母さんには私からも説明してあげるよ」
ホーライ博士が言うと、カノンは「お願いします」と頼んだ。
カノンがスピーカーから流れる声に「イルカの声?」と聞いた。
「ホーライ博士はイルカや鯨の言語を研究をしている博士なんだよ」
「そうなんですか」
カノンが質問する。
「博士、イルカは人間と同じぐらい頭がいいですよね」
「うん。その前に、イルカと鯨は同じ種族なんだ。知ってたかい?」
「そうなんですか、知らなかった」
カノンが言うと、ホーライ博士がうなづいた。
「うむ、大きいのを鯨、小さいのをイルカと呼んでいるが同じクジラ目なんだ。
さらに彼らは哺乳類の仲間でもあり、地上から海に住み替えた種族だ。
つまり哺乳類というカテゴリーから見れば、彼らは我々の兄弟とも言えるんだよ」
「イルカと鯨の違いって大きさなの」
「うん。昔の人類は今みたいな頑丈な家や武器がなかった。
だから厳しい自然や外敵から身を守るため、自分たちの領域を囲って、道具を作り、火を焚いた。
そのやり方はうまくいった。外敵から身を守り、狩りをし、植物を栽培し、食物を蓄えることで安心して生活できるようになった」
「しかし、ひとがものを所有し、自分の特権を主張すると、それを取ろうとするものも現れた。
また昔はいつも豊かに食物があるわけではないから、生きるために他の村を襲うこともあったろう。
こうして人類同士で争うようになり、外敵を倒すための道具を人間に対して使う武器にして争う。
それが戦争の始まりだ」
「ふうーん、そうなんだ」
「一方、海に住み替えた鯨やイルカは、強力な外敵がいなかったし、食べるのにも地上ほど困らなかったから、海を囲ったり、ものを所有するという発想はしなかった。
だから道具も武器も持たないし、戦争もしない」
カノンが聞き返した。
「それじゃ、何かを所有するから戦争になるってこと?」
「そう言えなくもないな。
けど、所有自体が悪いのではなくて、自分だけのものとか、自分が偉いという思い込み、独占しようとか、違う部族は仲間にしないっていう狭い心がいろんな衝突を起こすんだ。 鯨やイルカは自分が、自分がというより、みんなの、みんなのを大事にするんだ、だから子育てもみんなで協力してするんだよ」
「そうなんだ、いいですね」
カノンが目を輝かせると、ホーライ博士は尋ねた。
「カノンちゃんはテレパシーが出来るんだって?」
カノンは照れくさそうにうなづいた。
「そうみたいなんです。
でもできるようになったばかりで、ふとした瞬間にすうっと声が聞こえるんです。
ただ受信が主で自由自在に会話ができるわけではありません」
博士は微笑んで相槌をうって言う。
「私は前からイルカや鯨の言語を研究していて、彼らが音以外の方法、つまり超音波や、さらにテレパシーのような能力があるに違いないと思ってきたんだ。
世間はまだ認めていないかもしれないが、私はテレパシーの可能性に期待してテレパシーを証明する実験も計画していたんだよ。
カノンちゃんにもその能力があると聞かされて今びっくりしていたところなんだ。
カノンちゃんはテレパシーの素晴らしい先駆者だね」
ジュリたちが頬を染めるとホーライは大きくうなづいた。
「カノンちゃん、君のその能力を私の研究に貸してもらえないかな?
私もテレパシーの存在は推定していたが、現実に君がその能力を持っているとしたら是非とも調べてみたいんだ」
「どんなことをしたらいいんですか?」
「そうだね、カノンちゃんと、鯨、あるいはイルカと交信しながら、同時にいろんなデータを取ってみたい。
もちろん危険なことはないよ。
しばらく私の別荘兼研究所にいるわけだし、退屈しのぎにはなるだろう」
博士が言うと、カノンはうなづいた。
「わかりました。ホーライ博士のお手伝いします」
「ありがとう」
ホーライ博士は身を乗り出してカノンと握手を交わした。
「なぜ、鯨たちがこんな岸の近くにいたんでしょう?」
「うーん、時々、鯨やイルカが迷泳して海岸に打ち上げられるね。
はっきりした原因はわからないんだが、地磁気の異常や三半規管の病気、軍艦の強力なソナーなどが影響してると考えられている。
しかし、今回の場合は、鯨が君たちのことをテレパシーで知って助けようとやって来た可能性もあると思うよ」
ホーライ博士の言葉にカノンは嬉しそうに言った。
「だったら素敵なんだけど」
「博士の別荘はどこにあるんですか?」
「私の別荘兼研究所はモントレーの南、ビッグサーの先にあるんだ。
明日の早朝、この少し沖の海域のデータを取る都合があるので、今晩はそこに停泊して、明日連れて行ってあげるよ」
クルーザーが移動する間、エリザベスが、ケン、カノン、ジュリに、海で撮影した数々のイルカの写真を見せながら、話をしてくれた。
「マイルカね、群れを作って船の波と先頭を争っているところを真上から写したのよ」
「船にひかれたりしないの?」
「遅かったら船の前に出られないでしょ」
「これはセッパリイルカ、ニュージーランドの海にいる最も小さいイルカ」
「小さいって、どれぐらいの大きさなの?」
「カノンと同じくらいの背の高さよ」
「へー、そうなんですか」
「わー、ラブラブだあ!」
次の写真にカノンが歓声を上げると、エリザベスはにっこりと笑みを返した。
それは若きホーライ博士とモデルのように美しい若きエリザベスが寄り添っている。
「エリザベスと博士はどうやって知り合ったの?」
「私は、ハワイ大学で動物言語学の研究生、彼は聴講に来てたの」
「プロポーズはどんな言葉だったの?」
「私と彼はイルカの言葉は少しわかるのに、お互いのことはよくわからなかった。
彼が言うには、コレは地球文明の損失だぁ、一緒に暮らして分かり合うのが人類のタメだって」
「ハハッ」
「それでオーケーしたんですか?」
「オーケーしないと、人類が滅びるって脅かすから、仕方なかったのよ」
エリザベスはそう言って楽しそうに笑った。
「脅迫かあ」
「すごいプロポーズだあ」
「ハハハツ」
そこへ上の操舵キャビンからホーライ博士が覗き込んだ。
タイミングがよかったので、皆、ドッと笑った。
「さあ、船を止めたよ。よい子はネンネの時間だぞ」
錨をおろしたクルーザーはマストランプを点灯したまま寝静まった。
絶え間ない波のさざめきが鼓膜に響く。
ケンはソフアに横になりながらなかなか寝つけなかった。
だが、それは今夜の大変な冒険に興奮したためよりも、奇妙なくすぐったさが全身を包んでいるためだった。
全身の細胞が入れ替わって、活性化している、何かの予感が満ちてくるようで。
眠りに落ちつつ、ケンは夢を見た。
クルーザーに乗っている自分は海を覗き込んでいる。
水中を何かの影が近づいてくる。
まもなくイルカのマックスが跳び上がってきて、ケンの手首に噛みついた。
噛みつかれたケンはじっとしてマックスの顔を見つめていた。
次の瞬間、マックスの言葉がダイレクトに頭の中に響いてきた。
『マックスだね?』
『そうだよ、ケン。
気をつけて、
何か悪いことが起きそうだ。
でも心配しすぎないで、
後できっといいこともあるから。
もうすぐみんなでわかり合える。
みんなで仲良く生きようね。
わくわくしながら待っていて。
ハートをオープンして待っていて。』
ケンはマックスの目を見つめた。
するとマックスはケンの手首を放してうなづき、海に落ちながらみるみる鯨に変身して大きな口を開けて、笑いながら海中に消えていった。