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第6話 4ディナークルーズ

 4.ディナークルーズ



 メールの着信音がして、携帯を見るとカノンからだった。

《お兄さん、どうだった?

 悪い人がイルカを狙ってる証拠はつかんだ?》

 ケンは素早く返事を打ちメールを返す。

《いや、あそこはちゃんとした研究所だったよ。》

《ウソでしょ。

 お兄さんはあそこに入って、すごいショックを受けたんじゃないの!

 私は言葉は聞き取れなかったけど、おじさんが驚いてるのはわかったもん。》

《いや、そんなことは何もなかった。

 外人の女性研究員がイルカの迷走行動の対照実験のために、水族館で飼われているイルカの診察をしたいのだと丁寧に教えてくれたよ。

 すごい美人でさ、いや、別にそういう点に興味はないんだけどね、とにかく、あそこの研究所はまともにイルカの研究をしてるよ。》

《おかしい、そんな筈ないわ、マックスは恐怖に震えてるのよ。》

《俺はちゃんと調べたんだ、カノンの心配は思い過ごしだよ。》

《どうかしちゃったの?

 お兄さん、まさか悪い人につかまったんじゃないの?

 そうだ、たぶん捕まって記憶を消されたのよ。

 そうじゃなきゃ、ニセの記憶を覚え込まされたんだ。》

 ケンはカノンのメールがうざったくなって、返事を返すのをやめた。

 代わりにジュリに今夜のディナークルーズについて確認のメールを送った。


 ケンが桟橋の近くに車を停めて、待ち合わせ場所に走って行くと、ワイン色のドレスにコートを羽織ったジュリが手を振った。

「お待たせ」

 ケンが微笑みかけると、ジュリの背後から白いダウンジャケットを着て腕組みしたカノンが現れて睨んできた。

「あ、カノン、ちゃん、何しにこんなところへ?」

 たじたじとするケンに向かってカノンは唇をとがらせた。

「ひどいじゃない、私のメール、無視してさ」

 ジュリもカノンに加勢する。

「ケン、カノンちゃんは心配してくれてるんだから、ちゃんと返事しないと」

「わかった、悪かった、謝る、カノン、ごめん」

 ケンは謝った。

「これからはずっと、おじさんて呼ぶからね。

 もう一度、こんなことしたら助けてあげないんだから」

「はーい、わかりました。

 それはそうと、よくあのお母さんが許してくれたね?」

「おじさんがお詫びのしるしにレストランに招待してくれたって言ったの。

 ジュリのお姉さんも一緒だから安心よって言ったら許可してくれたわ」

「仕方ないな、行こうか」


 大型クルーザーは穏やかな海を、滑るように航行していた。 

 夜の海は海面だけを見ていると怖いような黒さだが、遠い岸辺を眺めやれば、巨大なネックレスが横たわるよう……街のイルミネーションや、途切れない車のライトで華やいだ夜景が連なっている。

 ディナーはすでに終わり、客たちは、思い思いに室内で話し込んだり、ゲームに興じたり、甲板で夜風に吹かれたり、ホールでダンスミュージックに合わせて踊ったりして楽しんでいる。

 ケンとカノンとジュリは中央甲板の手すりにもたれて、星空を眺めていた。


「あ、あの、赤と白の点滅は?」

「あれはジェット機だな。高度を下げて空港におりるんだろ」

「ジョンウェイン空港?」

「いや、あれはもっと南だ、ロサンジェルスかロングビーチのどっちかだな」

「あ、流れ星見つけ」

 カノンが指差す先に流れ星が強い光を引いていた。

「マックスが無事逃げられますように」

 カノンが小さな声で祈ったが、ケンは冷静な口調で言った。

「でも、流れ星にしてはゆっくりだし、光が弱くならないね。

 まだ日が落ちて間もないから、人工衛星が反射してるのかもしれないよ」

 すると、カノンが急に大発見したように声を上げた。

「ジュリさあ、マックスがジェット機が嫌いで隠れるって言ってたね」

「ええ」

「もしかして、マックスは発信機か何かをつけられて衛星から監視されていて、それで逃げてるのかもしれないよ」

「衛星で監視だって?それはおおがかりすぎる」

「でも、そう考えるとマックスの動きは説明つくわね」

 ジュリがそう言った途端、カノンが口の前で小さく指を立ててささやく。


「お姉ちゃん、黙って。ケン、振り向かないで。

 声を出さないで聞いて。

 右手にいる男が今、私たちを殺そうと考えてる」


 ケンとジュリは同時に「ホントに?」とささやき返した。

「うん、とにかく逃げましょ。

 あの男、今、拳銃を取り出すわ」

 ケンはカノンの真剣な目を信じてささやいた。

「ラウンジに行こう。そこからまた隙を見て、移動する」

 ジュリとカノンはうなづいた。

 ケンは「もう中に入ろう」とわざと声を上げて、振り返りざま男を見た。

 男は三十代半ばぐらいで中背、ポマードで固めた髪、淡いブラウンのサングラスをしており、ケンが振り向いた、一瞬、腹のあたりに持っている雑誌で何かを覆ったのが見えた。

 どうやらカノンの話は本当らしい。

 三人はラウンジに入った。

 男もやや遅れてケンたちに続いてラウンジに入ってきた。


 ケンは通りかかったサービスクルーを呼び止める。

「あ、君」

 日焼けして精悍な雰囲気のクルーは白い歯を見せて聞く。

「なんでしょうか?」

 ケンは声を低くして言う。

「あそこにいるブラウンのサングラスの人に拳銃を向けられたんだ。

 危険だから、捕まえて事情を聞いた方がいい」

「あそこといいましても、どなたもいませんが?」

 振り向いてみると、サングラスの男の姿は消えていた。

 サービスクルーは「気をつけておきます」と言い残して、何事もなかったかのように立ち去った。

 ケンは「どこに行った?」と聞くが、カノンもジュリも首を横に振る。

「カノンちゃん、場所はわかんないの?」

「私のテレパシーはそんな自由には使えないの、ごめんなさい」

「あやまらなくてもいいんだよ」

 ケンはうなづいて周囲に視線を配りながら言った。

「状況を整理しよう。

 たぶん、あいつは初めから僕らを監視していた。

 その理由は、おそらく、カノンの言った推理が本当だったからだ。」

「カノンの推理って?」

 ジュリが聞くと、カノンが答える。

「おじさんが研究所で捕まって、記憶を塗り変えられたんじゃないかって」

「そうなの?」

「うん、あいつらは僕がなぜDDP研究所を探っていたのか理由を知るために僕を泳がせていたってわけさ。そして僕らがマックスのことを話しているのを聞いて、敵になると判断して僕らを消そうと決めたわけだ」

「じゃ、マックスを助け出してくれるのね」

「もちろん。但し、その前に自分自身をこの危機から助け出さないとならないみたいだけどな」


 不意に、甲板の方で歓声が上がった。

 どこかのナイトクルーズのヘリコプターが赤、青、黄の三色のライトを点滅させて、クルーザーと併走を始めたのが窓越しに見えた。

「用心して反対の甲板に出よう。

 僕らを狙うやつが人工衛星まで使う規模の敵だとしたら、あのヘリはに敵の人間が乗り込んでいるかもしれない。そして光の点滅に紛れてライフルを撃ってくる可能性がある」

「まさか」

「まさかと思うが、用心しないと」

 ケンの言葉に、三人は素早く逆側の甲板に出た。

「こっちもダメ、さっきの男が後ろの甲板から歩いてきた」

「じゃ、前だ、急いで」

 ケンはカノンとジュリをかばうようにして、前の甲板に向かった。


 その時、急にケンは気分が絶望的に落ち込むのを感じた。

 それは不自然すぎる落ち込み方で、強いて言えば薬物でも注射されたような感情の激変だった。

「だめだ、もう逃げられない、殺されるしかないよ」

「どうしたの?逃げなきゃ」

 ジュリがケンの腕をつかんで引っ張った。

 しかし、ケンの意識に広がるのは絶望だけだ。今にも銃弾が自分を撃ち抜き、自分が血を吐く、そんな予感でいっぱいだ。

「だめだ、もう手を上げて、あの男におとなしく殺されよう」

「何、言ってるの、しっかりして」

 ジュリはケンに怒鳴って腕を引っ張る。

 背後に黒い影が小さな靴音を響かせて近づいてくる。

 甲板はドアのない壁で行き止まりになっていた。

 サングラスの男の手にサイレンサーをつけた拳銃のシルエットが見てとれた。

 男が言ってくる。

「おとなしく言うことを聞けば、命だけは助けてやる」

 ケンは絶望に任せて両手を上げていた。

 カノンが「嘘よ、狙いを絶対外さない距離で殺すつもり」とささやく。

 ケンは絶望の中で、男に向かってタックルして、せめて女の子二人を助けようと覚悟を決めた。

「二人とも、僕が合図したら、すぐ海に飛び込むんだ」

 ケンは顔を男に向けたまま、二人に囁いた。

 男は銃身を向けながら、8メートル、7メートルと近づいてくる。

 自分は助からないとしても、ジュリとカノンを助けられたら無駄死にではないだろう。 もう一度、自分が命を賭けて救うジュリとカノンの顔をよく見ておきたかったが、振り返る余裕はなかった。

 頭は絶望でいっぱいだったが、武者奮いが起きて、悪寒と熱の両方が混じり合ったものが体内を走った。

 男との距離が5メートルを切った。

「飛び込め!」

 そう叫んで、ケンが無謀なダッシュをした。

 拳銃が暗がりから閃光を放つ。

 しかし、銃弾はケンの体を貫かなかった。

 ケンが叫んだ瞬間、船体自体に激しい揺れがおこり、男はよろめいて壁に頭を打ちつけ狙いを外していた。

 甲板の下の悲鳴に向かって、ケンも急いで飛び込んだ。


 海水が小さなしぶきをあげると同時に襲撃が全身に走った。


「ケン、ケン」 

 ケンはジュリに揺り起こされて、額がひんやりした感触と共に意識を回復した。

「頭を打ったから、今、ハンカチで冷やしているの」

「痛ったっ」

 ケンがしたたかに打ち付けた頭をさするとカノンの心配そうな声が響いた。 

「おじさん、大丈夫?」

 たしか追い詰められて海に飛び込んだはずなのに、もう陸に引き上げられたのだろうか?

 いや、少し地面が揺れ動いている。

 ケンは、動転した頭で、今、何の上にいるのか考えてみた。

 感触はのっぺりしているが金属の硬さはない。

「……なんだ、これって?」

 ケンが膝の下を指さして言うとジュリはうなづいた。

「ええ。船から落ちた場合は下が海の時と、鯨の背中の時と二通りあるみたい」

 目が闇に慣れると、ケンたちが乗っかっているのは四メートルほどの楕円形の黒い島だとわかる。目を凝らして見渡すと周囲にもそんな黒い島が五つも六つも寄り添って浮かんでいる。

 空気は鯨の吐き出す息のためか、かすかに生臭い。

「そうか。あの瞬間、船は鯨にぶつかって揺れたおかげで助かったんだ」 

「そうみたい」

 カノンも興奮した様子で言う。

「私たち、めちゃめちゃラッキーかも」

「そうだな。俺も泳ぎはあまり自信ないから。

 ところでクルーザーは?」

「もうずっと先に行っちゃったわ。

 声をかけたかったけど、そうするとあの殺し屋にも気づかれそうで怖くて。

 ごめんなさい」

 ケンはうなづいた。

「それは正しい判断だよ。

 救助された後にあの男に撃ち殺されたら意味がない。

 それより、カノンのテレパシーって本物なんだな、やつは本当に俺を殺そうとしてた」

「えへん、役に立ったでしょ、みんな無事でよかった」

「そうね」

「さて、問題は、どうやって陸に帰るかってことだ」

ケンは視線をめぐらせて最も近い陸地の明かりを探した。

 振り返ると右手に明かりがある。たぶんロングビーチだろう。

 どう少なめに見ても陸地まで十キロ近くありそうだ。

 

「カノンちゃんはイルカとテレパシーが通じるんだから、鯨にこのまま岸まで送ってくれるよう頼んでみてよ」

「えー、私、鯨に話が通じるかどうか、はっきり言うと自信ないよ」  

「たしかイルカと鯨は仲間だって聞いたことあるから。きっと通じるって」

「私のテレパシーは受信したことあるけど、送信はしたことないもの。

 送信の仕方も全然わかないし、たとえ送信できても鯨が私の希望を叶えてくれるかは自信ないよ」

「それはわかってるけど何もしないでいても陸地は近くならない。泳げるかい?」

 ケンが尋ねるとカノンは首を左右に振った。

「じゃあ、ちょっと試してみてよ」

「わかった、鯨に頼んでみる」

 屈んだ姿勢のカノンは手で鯨の背中を撫でるようにして囁いた。  

「鯨さん、私たちを助けて。陸の近くまで運んでほしいの。潜らないでね」

 第三者から見たらおかしな光景だろうが、ケンも祈るような心境だ。

 しかし、次の瞬間、じわっと足元の海面が上がり始めたかと思うと、あっと言う間に三人は腰まで水浸しになってしまった。この時期の海水はまだ冷たい。特に心臓病のカノンにとっては厳しい冷たさだ。

「鯨さん、止まって、潜らないで!」 

 カノンの叫びもむなしく、鯨は水中に沈んでゆく。

「カノン、僕が支えてあげるから大丈夫だよ、落ち着いて」

「うん、ありがとう」

 ケンは足で懸命に水をかいたまま、カノンを抱きかかえて、ジュリに指示する。

「そっちの鯨の背中に行こう」

「ええ」 

 三人は四メートルほど隣に浮いている他の鯨の背中の小島に泳ぎ渡ると、這い上がって溜め息をついた。

「ふーっ」

「助かった」  

 カノンはぶるぶると震えて泣き出しそうだ。

「カノン、俺たちは拳銃で殺されるピンチを乗り切ったんだ。

 大丈夫、きっと帰れるよ」

 カノンはうなづいて泣き声を噛み殺した。

「ジュリ、カノンちゃんの服の下に手を入れてこすって暖めてあげて。

 僕はカノンちゃんのうなじを暖める」

 ケンはカノンの首の後ろから頭の後ろをさすって暖めた。

「どうだい、首の後ろをこするとちょっと暖かいだろ?

 体温調節は小脳の役割だから、小脳のそばをこすると暖かくなるんだ、覚えておきなよ。 学校でなくても勉強できたな」

 カノンは微笑んでうなづいた。

「うん、ありがとう」

「大丈夫だから、落ち着いたら鯨に呼びかけてみよう」

 ケンに促されてカノンはふたたび鯨にささやく。

「鯨さん、ねえ、陸地の方に近づいて、私たちはそっちへ行ってみたいの」

 カノンは深呼吸して繰り返す。

「陸地の方に動いてちょうだい。 そっちへ行ってみたいの」 

 今度はカノンの言葉が通じたのか、鯨の背中は浮かんだまま海上を滑りだす。

「やった、動き出した!」

 ジュリが叫び、カノンが歓喜の声を上げた。

「テレパシーが通じた。

 鯨は私たちを連れてってあげるって」

 カノンとジュリとケンは喜び合ったのだが、しかし、それは長続きしなかった。

 鯨は陸に近づくのではなく、陸地との一定距離を保ったままロサンジェルスと正反対の方向に泳ぎ出したのだ。

「どこへ行くつもりなんだ?」  

「さあ、ただ連れて行くって言ってる」

「まずいな、このままじゃ、どんどん寂しい方へ行ってしまう」  

「岸に向かうよう頼んでみる」 

「うん、そうしてくれる」  

 カノンは鯨の背中をさすって岸に向かうように頼む。

 しかし、鯨はそんな願いを聞き届ける様子は一向になく北へ向かう。

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