第4話 2テレパシー?
2 テレパシー?
シーパークのユニフォームに着替えたカノンは、救急車で近くのERに運ばれ診察を受けた。
付き添ったシーパーク館長とケン、ジュリは、「怪我によるダメージはほとんどない、心臓もさしあたり問題なし」という診断結果にひと安心したが、大事を取ってとりあえず個室に入院させた。
「ジュリ、親御さんはまだかね?」
館長は三分おきぐらいに腕時計を眺めては聞いた。
「お母さんには連絡しました。まもなく見えると思います」
「館長さん、彼女の怪我が思ったよりたいしたことなくてよかったですね。
あのイルカは人を傷つけないよう訓練されてるんですね」
ケンが見た瞬間の印象では、きっとイルカの歯が食い込んで大変な怪我だと確信したのだが、カノンの手首にはごく浅いかすり傷があるだけだった。
「あ、いや、そう言ってもらえると私もほっとします、親御さんもそう言ってくれると助かるんだが」
そこで形だけベッドに横たわっていたカノンが弁明した。
「あのイルカと握手したいなんて言い出したのは私なんです。あのイルカは全然、悪くないんです」
「いやいや、お嬢ちゃんこそ少しも悪くないんだよ。」
館長は話の矛先を変えた。
「ジュリ、どうしてこんなことになってしまったんだ?
心当たりはあるのか?」
「すみません、あのイルカ、マックスはうちに来てまだ2ケ月しかたってないし、気が立っていたみたいで」
「2ケ月であんな芸当ができるの?」
ケンが感心して言うとジュリは大きく首を横に振った。
「普通はまず無理ですよ。
たぶん、ここに来る前もどこかの水族館でショーやってたんじゃないかと思うんです。サイン覚えがめちゃめちゃ早いから」
館長も腕組みして不思議がる。
「一応、海上で捕獲されたイルカだと聞いてるが」
「マックスは、この数日、壁にわざと体当たりしたり、食事の量が減ったり、様子が少しおかしくて。
きっとあのコ、どこか気に入らないことがあるんじゃないかって、タイラートレーナーとも話していたんですが」
「違うわ、マックスは、頼みたいことが……」
カノンはそう言いかけて、ちらっと館長を見ると口を閉じた。
「どうしたんだい、カノンちゃん?」
ケンがそう問いかけたところに、ドアがいきなり開かれて、三十代半ばの長い髪の白人女性が慌ただしく入って来た。
振り返った館長とトレーナーが緊張した顔になる。
ベージュのスーツに、黒っぽいコートを羽織った女性はカノンを見つけると眉間にしわを寄せて言った。
「カノン、大丈夫なの?」
カノンは上半身を起こして作り笑い、
「ママ、大丈夫よ。全然大丈夫」
「大丈夫じゃないわ、水泳を禁止されているあなたがプールに落ちるなんて」
母親は部屋を見回して、問い詰めた。
「娘がプールに落ちるだなんて。一体、どうしてこんなことになったんです?」
ケンは頬を押さえながら「それはですね、今日、天気が」と言いかけたが、カノンがさえぎる。
「そうじゃないの、ママ」
「そうじゃないって?」
「私が学校さぼったの。ごめんなさい」
母親は大きく目をむいた。
「カノンが学校をさぼった?
信じられないわ。あなたはママの大事なコだもの、学校をさぼるなんて不良のまねをする子に育てた覚えはないわよ!」
「だけど、そうなの。
どうしてもイルカショーに行きたくって学校さぼったの」
母親は目にも止まらぬ速さで娘の肩を揺さぶった。
「あんたってコは。
ママがどんなにカノンを大事に育ててきたか、どうしてわかってくれないの?」
館長が「お母さん」と声を挟むが、カノンが返答する。
「授業より大事なことがあったの。
私はあのイルカに会わないといけなかったの」
「何を寝ぼけたこと言ってるの!親に口答えする気なの?」
館長が慌てて母親の怒りをさえぎった。
「お母さん、私も親として心配なさる気持ちはわかりますよ」
すると母親は館長に向き直る。
「失礼しました、シーパーク館長のハワードです。
このたびは、娘さんを危険な目に遭わせてしまい、大変、申し訳ありません」
「私にはさっぱりわかりません。
なんで学校にいるはずの娘がお宅のプールに落ちるんですか?
娘は心臓が弱くて、夏のプールだって禁止されてるんですよ!」
「は、はい、本当に申し訳ありません」
ジュリが経緯を説明する。
「カノンちゃんはイルカショーに来てくれたんです。
そこでイルカと握手しまして、その時、プールに落ちてしまったんです」
「あなたがそばにいながらですか?
娘の身代わりにあなたが落ちればいいでしょう」
母親の剣幕にジュリもうなだれる。
「すみません」
そこへノックの音がして、病院の事務職員らしき女性が顔を見せる。
「手続きがありますので、ご家族の方は来ていただけますか?」
「お母さん、ここの支払いは、もちろん私どもがいたしますので」
館長は母親の歩みに先まわりして、何度も申し訳ないを連発しながら病室の外に出て行った。
「ふうー」
カノンが大げさにため息をつくと、ケンとジュリは苦笑した。
「うるさい人がいなくなったから、言うけど、私、マックスの話を聞いたの!」
カノンはすごいでしょと言わんばかりにキラキラと目を輝かせた。
ジュリは戸惑いを隠せないという顔をし、ケンは軽く調子を合わす。
「イルカの声か、よかったね」
「違うったら、ホントの話よ、あのマックスから話を聞いたの。
私の心に直接響いて聞こえたの」
「ホントに?」
ジュリはびっくりして言い、ケンは苦笑まじりに返す。
「それじゃ、テレパシーだねえ」
カノンはケンが真剣に受け止めてないのを察して、ムキになって言った。
「本当のテレパシーだってば。
私がプールに落ちるとマックスは一瞬のうちに話をしてきたのよ。
マックスが、ハンクと呼ばれて飼われていたプールでは、悪い人たちがとんでもない研究をしていたんだって
それは頭に機械を入れて、心を外からコントロールする研究なの」
ケンはそれは俺が好きなスパイ映画の世界のことだよと思った。
「それでマックスは、そのプールから逃げ出したの。
そして、海を泳いでるところをつかまって、今のプールに来たの。
だけど、前のプールの悪い人たちが今もマックスを追跡してくるんだって。
それでここも安全じゃないから、逃がしてほしいって、頼んできたのよ」
ケンは落ちた一瞬に口で話してもこれだけの内容を伝えきれないと思った。
ケンがまだニヤニヤしてるのを見ると、カノンは睨み返した。
「私の話を信じてくれると思ったのに。
電波は伝わるのに時間がかかるけど、テレパシーなら一瞬で伝わるのよ」
ケンは自分の疑問を見透かされた気がして息を呑んだ。
「私はウソなんかつかないわ。
マックスの声はゆうべのうちから聞いていたの。夢の中にあのイルカの声がして、声がした瞬間に、これはイルカの心の声だってわかったわ。
どうしても会いに来て助けてほしいって。
びっくりして親しい友だちに詳しくメールしたんだけど、そういう嘘つくのはいけないんだよって返事が来て、すごいショックだったの」
「そう…」
「どうして、皆、テレパシーが本当だって信じてくれないの?
私だって本当かどうか自信なかったけど、あのイルカがあんなに一生懸命頼んでくるんだもの、私はなんとか助けてあげたかったの」
カノンは目を大きく開いて主張する。
「だからママにひどく叱られるってわかっていても、一大決心して、学校をさぼって水族館に来たのよ。
私にとって、それがどんなに勇気がいったかわからないでしょ?
私は生まれつき心臓が弱くて親に迷惑かけてるから、いつもいいコでいるようにずっとずっと努力してきて、ずっと学校と病院と家以外には行かない、カゴの鳥みたいな生活だったのよ。
だから学校をさぼるなんて絶対に考えられなかった」
ケンとジュリはカノンの告白に黙り込んだ。
「二人はとてもいいひとだと思ったのに。
私の一生で一番真剣な話なのに、信じてくれないんだ」
カノンは目に涙を浮かべて泣き出しそうになった。
それはこの世に遣わされた最後の天使が、この世に絶望する場面に立ち会っているような感じだった。
テレパシーは俄かに信じられないが、カノンの無垢な気持ちは守ってやりたい。
ジュリは心の痛みに耐えかねてかのようにカノンに声をかけた。
「私はカノンちゃんの味方よ」
間髪を入れずに、ケンも言った。
「僕もカノンちゃんを信じるよ。
ただ、とても珍しい話だからさ、受け止めるのに、普通の話よりちょっと時間がかかってるだけなんだ。
たとえば、そうだ、僕が、本当は博物館に展示されていたアウストラロピテクスで、昨夜、熊の剥製にビンタされて、ショーケースの外に吹き飛ばされたのがきっかけで、現代人になっちゃったんだよと言い出したらどうだい?
カノンちゃんだって僕の話を信じるのにちょっと時間がかかるだろう?」
カノンは泣きそうだった頬に笑みを浮かべた。
「ふっ、全然、意味わかんないよお。」
「だろ? ありふれていない話は飲み込むのにちょっと時間がかかるんだよ」
「おじさんの例は全然、完璧によくなかったけど、私もカノンを信じてる」
「あ、どさくさにまぎれて、君にまでおじさん呼ばわりされる理由はないよ」
三人は一斉に笑った。
笑いがやむと、カノンが仕切る。
「私たち、いいチームだよね。
このチームの初仕事は、マックスをシーパークから逃がすってことでいいよね?」
そう言われてもすぐ賛成と言えるはずはない。
「うーん、ちょっと待ちなよ。
俺はカノンの話を信じてあげたいけど、マックスはシーパークのイルカだろう。
いきなり逃がしたら、泥棒と同じになってしまうよ。そして僕ら三人は警察に捕まってしまう。
いいことをしたのに、一方的に悪いと決めつけられるのは、カノンもいやだろ?」
「それはまあそうだけど……」
「それなら、まず、マックスが悪い奴らに追われている証拠をつかむのが先決だ。
そうすれば、万が一、警察につかまっても、証拠を公表することで、すべてはマックスを守るためだったと証明出来る。証拠を掴んでから堂々とマックスを逃がそうよ」
ケンが言うとカノンはうなづいた。
「まあ、仕方ないか。
じゃ、おじさん、早く証拠を探してきてよ」
「カノン、俺がおじさんと呼ばれて動くように見えるかい?」
カノンは溜め息を吐いてペコっと頭を下げた。
「じゃあ、仕方ない、お兄さん、お願いします」
「ありがとう、これが僕の連絡先」
ケンが名刺をカノンに渡し、ジュリにはゆっくりと渡すと、カノンは睨んだ。
「どうでもいいけど、お兄さん、途中でさっさと証拠探しをあきらめて、そのジュリお姉さんと二人でデートだけしてるなんてのは許さないんだからね」
ケンはドキッとしたが、平静を装った。
「大丈夫だって、ちゃんと証拠探しするよ」
「じゃあ毎日、私とジュリお姉さんに報告すること」
「毎日ったって、俺も仕事あるんだよ」
「だめえ、マックスは私に必死に頼んできたんだから、どんな仕事より優先してもらわなきゃいけないわ。
マックスはきっとひどい陰謀に巻き込まれているのよ。
報告は毎日、朝、昼、晩の三回私の携帯にメールか電話でね」
「はいはい、わかったよ」
病室を出たケンとジュリは顔を見合わせて苦笑した。
「成り行きで、とんだ仕事を引き受けてしまったなあ」
「でもカノンちゃんのひたむきな願いを聞いてあげないわけにはいかないから」
「そうなんだよな、彼女が泣きそうになった時はどうしようかと思ったよ」
「それで、あてはあるんですか?」
「うんと言いたいところだけど、どこから手をつけていいか。
ジュリこそ、何か心当たりとかあったら教えてほしいよ」
「そうですね、うーん、さっき言ったように体当たりしたり食事に変化はあったけど、マックスが狙われてるとまでは感じませんでした」
「他に何か気になることはない?」
「うーん、そう、マックスは飛行機が嫌いみたいで、彼が急にプールの奥に引っ込んだかと思うと、ジェット機の音が響いて空に銀色の光が見つかるの。
これってマックスが昔、飛行機で追われてたせいなのかもしれないわ」
「うん、それはひとつの証拠になりそうだね。とても弱い証拠だけど」
ケンは顎を撫でながらさらに尋ねる。
「この先の水族館の予定で、何かあのイルカに関係したことはない?」
「そう、DDPとかいう研究所が、来週の半ばに、全てのイルカの検診をするわ。
血液検査やレントゲン検査とか、いろいろ。
イルカについて世界各地で研究してるらしくて、今回は最初だから費用は自分たちで持つし、病気が見つかったら教えてくれるって話だったから」
ケンは人差し指をぴんと立てた。
「それは怪しいじゃない。費用は自分持ちなんて」
「別にマックスだけじゃないわ、イルカ全部よ」
「うん、でも、君は区別がつくかもしれないけど、普通の人間にはイルカの区別はできないだろう?だから、検診を装って血液検査なんかで、マックスがそこにいるのか調べたいのかもしれないよ」
「なるほど、たしかにそう考えると一番怪しい行事だわ」
「じゃあ、手始めにその研究所を調べてみよう。
明日一番に、その研究所の名前と住所を教えてくれるかい?」
「わかったわ」
ケンは咳払いして言った。
「あ、あと、君の予定で、あさって金曜日の夜は空いてる?」
「ええと、たしか大丈夫だと思ったけど、何か?」
「うん、ディナークルーズを予約してたんだけど、相手にキャンセルされたから。
余り物じゃ失礼かと思うけど、お近づきにどうかな?」
ジュリはハッとして微笑んだ。
「ああ、振られたあのひとと行くつもりだったんですね。
私は全然、気にしませんよ、もったいないし、喜んでご馳走になっちゃいます」
「よし、じゃあ、そっちもよろしくで」
ケンとジュリは病院を出たところで別れた。