第32話 18.ビッグジャンプ 後編
ジョーカー大佐は無線でジュリに聞く。
《どうだ、覚醒した人間はいないだろうな?》
《……》
ジョーカー大佐は苛立って大声で怒鳴る。
《おい、覚醒した人間はいないのか、いるのか?》
すると答えてきたのは青年の声だ。
《そんなに怒鳴るなよ、怒ると免疫力が低下するらしいよ》
《誰だ、お前は?》
《ディナークルーズでお前に撃ち殺されそうになったケンだ。ジュリは僕が助け出した》
《なんだと》
ジョーカー大佐は双眼鏡でコンサート会場をくまなく探し始める。
《お前の陰謀はおしまいだ》
ジョーカー大佐は、最前列の地面にカノンと並んで座りジュリがヘッドフォンを外して笑顔で話しているのを見つけて激怒し、無線で指示する。
《狙撃手、ソナーは最前列にいる!》
《は、見つけました》
《ソナーと隣のガキを射殺しろ!
騒ぎになろうとかまわん。
両方、ただちに射殺だ!》
射撃手のライフルは消音装置がついている。
大佐は双眼鏡でジュリとカノンが音もなく倒れるのを待った。
しかし、いつまでたってもジュリとカノンは談笑している。
《どうした、射殺しろ!》
すると、部下から、意外な返事が返った。
《大佐の命令にはもう従えませんよ。
組織はもうおしまいです》
《貴様、逆らうのか!》
《聞こえないんですか、皆デ仲良ク生キテ行コウネって》
ジョーカー大佐は部下の言葉が理解できなかった。
《なんだあ?》
《だから、皆がテレパシーでダイレクトに言い合ってるんです。
テレパシー能力が皆に広がってしまったんです!
私たち隊員も含めて!》
ジョーカー大佐は大声で叫ぶ。
《ふざけるな、私の命令が聞けないのか?》
すると部下の方が落ち着いた声で諭すように言う。
《当然、もう聞けませんよ。
私が無実の標的を狙っていることも、人殺しをしかけているところも、私の家族や親戚に知られてしまったんですよ。
今まで身分を偽ってきたことも、完璧に証拠隠滅された筈の、過去の全ての殺人も皆にばれてしまうんですよ。
もう耐えられません。
これから警察に出頭して今までの罪を全部自白してきます。
そうするしか妻と子供と犠牲者の遺族に許してもらう道はないんです。
隊の同僚も同じ気持ちです。
ジョーカー大佐も私たちと一緒に自供しに行きませんか?》
《貴様ら軍法会議だぞ》
ジョーカー大佐の声など、まるで聞こえないかのように、狙撃手はキャンピングカーから降り、同乗していた隊員たちもぞろぞろと車から降り、ちらりと運転席のジョーカー大佐に憐れみの視線を投げかけると、去って行った。
「ばかどもが」
ジョーカーは急いで爆弾のリモコンスイッチを入れた。
しかし、何事も起きない。
もう一度スイッチを押す。
だが、マリアの美しい歌声が流れる会場は平和そのものだ。
(ジョーカー大佐)
ケンの声がした。しかしそれは無線を通した声ではなく、外のスピーカーからのように思えた。
(今、リモコンスイッチを入れたようだな。
でも爆弾はとっくに沖の深海に沈んでる)
「ぬっ」
(もう何が起きたかわかるだろう?
お前らの一番恐れていた『臨界ジャンプ』が起きてしまったんだ。
お前らの野望はすべて終わりだ)
「そんなことは絶対にあり得ない」
(いい加減に認めたらどうなんだ?
さっきの隊員たちから聞いただろ?
もうお前の頭もテレパシーに覚醒してるじゃないか?
僕の声は機械を使わずに聞こえている筈だ)
ジョーカーは耳をふさいだが、声はダイレクトに来るから止められない。
(これは直接お前に届いているテレパシーなんだ)
嘘だ、お前の声がダイレクトに俺の頭の中に響いていると言うのか!
(その通り、ダイレクトにお前の頭の中に響いていると言うんだよ)
ジョーカーが考えた通りのことをケンが喋った。
ジョーカーは喚いた。
「あり得ない。
我々はこの地域で『臨界ジャンプ』に必要な人数をしっかり正確に割り出している。
その人数は一万六千七百人だ。
集まっているのはせいぜい八百人だぞ」
ケンは驚いて言う。
(参ったな。そんなに数が必要だったのか)
「だから『臨界ジャンプ』なんてあり得ないんだ」
ジョーカー大佐は言い張った。
(大佐の言いたいことはわかった。
だが、なぜ理論的にあり得ない『臨界ジャンプ』が今なぜ起きているのか、さっき演説したカノンちゃんが理由を簡単に見つけてくれたよ。
あのサンタモニカの海を見なよ)
ジョーカー大佐は顔を上げ、サンタモニカの沖が真っ黒なのを見た。
「一体、なんだ?」
(よく見ろよ。
海一面、全部、イルカや鯨だ。
この海にイルカや鯨が大量に集まっているんだよ。
おそらく一万五千九百頭はいるんだろうな、お前の計算によれば。
なにしろ同じ哺乳類で知性もある。そのうえカノンちゃんがしてみせたように人間はイルカや鯨たちとテレパシーでやりとりできるんだ。
だとしたら人間とイルカ、鯨は一緒に数えた方がいいってことだ!)
ジョーカー大佐は、双眼鏡を覗いて、ようやくサンタモニカの海を真っ黒に染めているのは鯨やイルカなのだと気付いて震えた。
「ふ、ふざけるな。そんな馬鹿な理屈があるもんか」
その時、ケンはジョーカー大佐のキャンピングカーの前に堂々と姿を見せた。
「貴様、よくもぬけぬけと」
ジョーカー大佐は運転席から飛び降りた。
その時、ケンの後ろにジュリとカノンが駆けつけテレパシーで教える。
(おじさん、近づいちゃだめ、そいつはまだピストルを持ってる)
(ケン、逃げて、大佐の脳はまだ錯乱してる、何をするかわからないわ)
ジョーカー大佐のジャケットの内側にはピストルがあるのだ。
「俺は絶対認めないぞ。
俺にはテレパシーなんて聞こえない」
ジョーカー大佐はオートマチックピストルを取り出し素早くロックを外しケンに向けた。
「逃げてーッ!」
しかし、ケンは落ち着き払って素手の手のひらを左右に大きく広げた。
「ケン、やめて!」
しかし、ケンはジョーカーに大声で言う。
「耳を澄まして、お前の大事な母親の声を聞けよ」
(ケン、だめ、撃たれる!)
ジュリのテレパシーにケンがテレパシーで答える。
(大丈夫だ、やつが意識を向けた方向にテレパシーが動き出す)
ジョーカー大佐は一瞬、自分の母親の顔を思い浮かべた。
その瞬間に、大佐の母親の声が届く。
(お前、どうしてそんな悪いことばかりするの?)
「か、母さん!」
ジョーカー大佐は驚きのあまり膝をついてまわりを見回した。
(もう隠せないんだよ、そんな悪いことはよしておくれ。
後生だから。
もう恐ろしいことはやめて。
その銃をしまって。
被害者の方には私も一緒に謝りに行ってあげるから、自首しておくれ)
「俺は国家のためにやってきたんだ」
そう言うジョーカーには、もはや諜報将校であり殺し屋である氷鬼のような表情は失せてしまっていた。
(うんうん、もういいんだ、自首しておくれ。
私はいつまでもお前を愛してるからね)
「母さん……」
続いて、声変わりの時期の男の子の声が届く。
(お父さんは僕たちと別れたりしないよね?)
「ショーン、お前か」
(わかる?まだ悪いことをするなら、父さんは僕や母さん含めすべての人間を敵にしてしまい、いつか死んだ後も誰もいない宇宙の果てに一人で閉じこもるんだよ。
僕は父さんが僕と母さんといたいと信じてる。
父さんは悪いことをしてた、それはすごいショックだよ。
でも、もうこれ以上悪いことをする必要はないよ。
母さんと一緒に待ってるから、帰ってきて。
被害者や遺族の怒りを消せるかはわからないけど、改心した父さんにチャンスをくれるよう僕は法廷で陪審員に頼んでみる。もしかしたらみんなが進化したことで少しは赦しがあるかもしれないよ)
「おお、ショーン」
ジョーカー大佐は目頭を押さえた。
マリアがトークで会場に語りかけた。
「気付いてますよね、今、すごいことが起きてます、思い浮かべたひとの声が聞こえる。
さっきのカノンちゃんは『臨界ジャンプ』が起きると、一斉にテレパシーに覚醒すると言ってました。それかも」
(それです!臨界ジャンプが起きました!)
「あ、カノンちゃんがそうだって、みんなカノンちゃんを思い出してみて下さい」
カノンのイメージを思い出したひとびとは揃ってカノンのテレパシーを聞いた。
(心の中で、ミンナデ仲良ク生キテ行コウネって歌ってみませんか)
皆が一斉賛成したので、サンタモニカの空に光のオーラが走った。
ジョーカー大佐は両耳を手できつくふさいだが、その頭の中で、莫大な数の人間、イルカ、鯨の声が輪唱のように歌っていた。
(ミンナデ仲良ク生キテ行コウネ、
ミンナデ仲良ク生キテ行コウネ)
「黙れ、黙れ、黙れーっ」
(ミンナデ仲良ク生キテ行コウネ、
ミンナデ仲良ク生キテ行コウネ、
ミンナデ仲良ク生キテ行コウネ)
ジョーカー大佐は耳を押さえたまま、頭を激しく振った。
クロブラット司令、私はどうしたらいいんです?
大佐が心に思うと、オフィスにいるクロブラット司令の意識が読めた。
(くだらん、くだらん、こんな世界は俺の意識から消してやる。
我らが黙示録成就に栄光あれ!)
司令は青酸カプセルを口に入れて水割りをあおった。
そこで、ジョーカー大佐もピストルを自分のこめかみに向けた。
ケンが落ち着いた声で言う。
「ジョーカー、この、進化した新しい世界では絶望は必要ないんだ。
絶望ってのは、孤独が可能な古い世界だけのものだ。
あんたの犯した過ちはもちろん糾弾されるだろうが、この進化した世界では、あんたの苦しみの重さにも皆が気付いてくれる。
あんたがすべきことは、勇気を持って過去の罪を認め、命を差し出してみんなの慎重な裁決にゆだねることだよ」
ジョーカー大佐は首を横に振った。
「そんなこと、到底、耐えられない。
貴様は、俺が今までにどれだけの人間を殺してきたか、知ってるのか?」
「うん。
たった今、あんたが浮かべた意識から読み取った。
誰もが、そういうことも知ってしまう。
罪の重さを自覚するなら、耐えられないことに耐えるのが、あんたの償いだ」
ケンの言葉の余韻が残る中、さらに新たなテレパシーが大佐の頭に響く。
(大佐、僕はDDPの実験イルカ、ハンク、ショーイルカのマックスだよ。
あんたは強いね。
だから、誰もやりたがらない最悪な人間を生きてきた。
その強さで、今度はあんたがどんなに変われるかを皆に見せたらいいんだよ。
そしたら死刑だけが結論とは限らないよ)
(俺が、変われる……か)
ケンは、ジョーカー大佐のそばに寄ると、すっかり力の抜けた彼の指を一本ずつ外し、ピストルを取り上げ、泣き出している彼の肩を軽く叩いた。
エピローグ
ケン、カノン、ジュリ、ベアリー、エリザベス、マリア・グリーン、エリックが揃ってステージで夕焼けの海を眺めていた。
沖合いでは、鯨たちの背中を縫って、たくさんのイルカたちが、追いかけっこでもするようにピョンピョンと跳びはねてゆく。
「よかったね、おじさん」
カノンに言われてケンは苦笑した。
「なんだよ、またおじさんに戻るのか。
それにしてもカノン、お手柄だったな」
「カノン、偉かったわ。
みんな、カノンの名前は忘れないわ」
その時、ステージに上がってくる女性がいた。
「あ、ママ!」
カノンがびっくりして叫ぶ。
「まったくあんたって」
サマンサはカノンの手を取って引き寄せた。
「ごめんなさい、嘘ついて学校さぼってたの」
「まったくあんたって娘は、私の誇りだわ。
こんなすごい大変な時に、みんなに立派に演説したわね
あなたの演説でみんなが進化したなんて、最高にグレートよ」
「ママ、聞いてたの?
そうか、エリザベスから連絡をもらって、後ろで聞いてたのか」
「あなたに寂しい思いさせて悪かったわね。
ママのこと、許してちょうだい」
「いいよ、これからはそういう気持ちもすぐ伝わるから私も怒ったりしない。
それより、ママも私の病気のためにお金を貯めようとがんばってくれてたんだね、ごめんなさい、そんなこと知らないで、私、不満ばかりだった」
「いいのよ」
カノンとサマンサはしっかりと抱擁した。
ケンがジュリの肩を抱いている腕に力を入れて微笑む。
「今、博士から、もう一度礼を言っといてくれって」
「あ、私も直接言われたわ、博士もアランも開放されてよかったわ」
マリアが言う。
「こんな歴史に残る、素晴らしいステージで歌えたなんて、最高に幸せよ」
エリックが苦笑する。
「僕らは失業しそうですよ、ニュースを伝える前に皆が知ってしまう」
「そんなことにはならないですよ、今まで以上に情報が溢れてしまう。エリックはその中から大事なものを選んだり、議論する話題を作らなきゃ。ますます大変ですよ」
ケンが言うと、エリックは「そうか」と笑った。
カノンが頭を起こして海の一点を指差した。
「みんな、あそこにマックスがいるの。
ビッグジャンプするから見てて、だって」
すると、海に浮かぶ鯨を飛び越えて一頭のイルカがひと際高くジャンプした。
みんなが一斉に拍手した。 完
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