第30話 17.オンステージ後編
カノンはゆっくりとひとびとの反応を確かめるように見渡して続ける。
「伝わるのは言葉ではない、伝わるのは心なのだということについて、実際に私が体験したことをお話しします。
ある晩、夢の中にイルカが現れました。
青い海に泳げないはずの私が浮かんでいて、イルカは私のまわりをぐるぐるまわっているんです。何か話しかけてきているみたいなんです。
ワー、イルカさん、なんて言ってるんだろ?
わかりたいなあと思ってみつめていると、突然、イルカさんの心が、私の心の中に届いていて、びっくりしました。
そのイルカは『悪い奴に追われている、助けてほしいんだ』って言ってたんです。
あまりにも鮮やかな夢だったので、私は起きてからも興奮してました。
そして学校に行くスクールバスから、水族館のポスターを見つけた私は、昨夜のイルカはここにいるんだって直感しました。
それで、バスが学校に着くや、すぐ抜け出して、さっきのポスターの近くに戻って、ポスターに目を留めたお兄さんの車をつかまえて水族館に連れてってもらいました。
そこでは皆さん、ご存知の楽しいイルカショーがあったんですけど、そのプールで私はイルカのマックスと握手しようとして、プールの中に引き込まれたんです。
でも全然怖くなかった。
マックスは泳ぎながら夢と同じように語りかけてきました。
『心を操ろうとする悪い奴のところから逃げてきた。
悪い奴はまだ僕を探している。
ここから助け出してほしいんだ』って。
透き通った柔らかい心が波となって一瞬に感じ取れたんです。
そう、それはもう夢じゃなくて、テレパシーなんです。
テレパシーって本当にあるんです。
その後、イルカの頼みが本当だったとわかる事件が起こって、お兄さんと私とトレーナーのお姉さんは殺されかけて、最初は信じてくれなかったお兄さんも、今では一番の私の味方なんです」
お兄さんと呼んでもらえたケンは笑みを浮かべてカノンを眺めた。
キャンピングカーの中、ジョーカー大佐に狙撃手が無線で尋ねてくる。
《あの小娘、どうしましょう?射殺しますか?》
《たかが小娘の寝ぼけ話だ。
本気にするやつはいないだろう》
《ラリー少尉、今、どこだ?》
《始末したやつの死体をスピーカーの裏手に隠してます》
答えたのはベアリーだが、ジョーカー大佐は気付かずにうなづいた。
《早く帰って来い》
《了解》
ジョーカー大佐は笑みを浮かべながら呟いた。
「これで我々を脅かす当面の敵は完全に潰した。
そもそも現在の観客数ではどうあがいても『臨界ジャンプ』は起こせない計算だ」
ジョーカー大佐は念のために、ジュリに問いかける。
《おい、新たにテレパシーの覚醒したやつは発見できたか?》
するとジュリからすぐに返答がくる。
《いいえ、現在、テレパシー能力を確認できるのは壇上の女の子だけです》
ジョーカー大佐はモニターでジュリが嘘を吐いてないことを確かめると満足してうなづいた。
会場のいたるところで、人々が口々に話し合っている。
スキンヘッドの男が、隣の長髪の男に聞く。
「お前、テレパシーを信じるか?」
「いや、信じないね。俺はわかんないことは信じないと決めてるんだ」
「ふうん。
じゃあお前は、パソコンも、電気も、時間も信じないんだな」
「そんな風には言ってないぜ」
「じゃあ、パソコンの動く仕組みを言ってみろ?原発はどう制御されてる?約束した時間が存在する証明は?」
「だからさ……」
「何もわかんないのに信じてるじゃねえか、タコ。
ああいう天使みたいな心の女の子が言うんだから、テレパシーはあるんだよ」
「うん、あの女の子は嘘つかないだろうがな」
「で、もう一度聞くぞ、お前はテレパシー、信じるのかよ」
長髪の男は差し出されたスキンヘッドの男の手にタッチした。
「たった今から信じる」
好意的な声がひろがってゆくのをカノンはテレパシーで感じた。
よし、この調子でゆくんだ、とカノンは意気込む。
「中にはテレパシーって聞いただけで、アレルギーを起こすひともいます。
だけど、そういうひとも、おじいさん、おばあさんとか大事なひとが亡くなる時に、何か特別な意味の心の波を感じとったことがありませんでしたか?
そう、虫の知らせって言いますね。
それって科学では説明できない、十分不思議なことなのに、『虫の知らせ』って古風な言葉だけで片付けて、すぐ忘れてしまうのはなぜですか?」
カノンは会場を見回してうなづく。
「そんなすごいことが身近にあって、つまり自分もテレパシーと同じ体験をしていながらテレパシーはうさん臭いって否定するのはかなり変ですよね?
私の場合はコーヒーのカップを拭いていて、落とさないように気をつけていたのに、落として割っちゃったんです。
そしてなぜかその時、お母さんに『おばあちゃんは長生きして天寿まっとうだね』て言ってたんです。
そしたら急に電話が来て、おばあちゃんが急に亡くなったという電話でした」
カノンは優しかったおばあちゃんの笑顔を思い出しながら続けた。
「だからテレパシーてそんなに特別なことじゃありません。
チャンスがあれば、誰でも使えるように入り口が開かれている能力なんです。
そして使い出せばどんどん広がる能力なんです。
私は最初、イルカの柔らかい心の波を受け止めて聞くだけでした。
それが実はイルカだけじゃない、当然、人間同士でも通じるんだって教えてくれたのはイルカのマックスでした。
でも私はそれを聞いて困りました。
他人の心を聞くのはいいけど、私の心を聞かれるのはすごく怖かったんです。
エリザベスは私のこと天使だって言ってくれるけど、全然、違うんです。
私は悪いこともいっぱい考えるんです」
カノンはこわごわと客席に並ぶ顔を見渡した。
「私は、仕事が忙しくて、ゆっくり話してくれないお父さんとお母さんに、いつも腹を立てていました。
お母さんが家にいる少ない時間に弟ばかり世話を焼くので「お母さんのバカ」って怒鳴ったこともあります。
同級生のいじめの仕返しにもっとひどいことしてやろうと思いました。
お母さんが仕事に行けないよう車の鍵を隠したり、鍵穴を接着剤で埋めたこともあります。
弟なんか家からいなくなってしまえばいいのに、誰かが誘拐してくれればいいのにとまで考えました。
私はそんな悪魔のようなことを考えたんです。
そんな隠しておきたい心の秘密がテレパシーで全部知られてしまうのが怖かったんです」
思い切って心の中の醜い秘密を告白したカノンは、おそるおそるテレパシーで反応を調べた。
どんな悪いことかと思ったら、それだけなの、可愛いわね。
そんなの誰もひとつやふたつ思うもんだぜ。
私はあなたの歳にはもっとひどいこと考えてたわよ。
会場の誰からもカノンを責める波動は感じられなかった。
カノンはホッとして続ける。
「でもマックスは、弱い心は誰でもみんな持ってるんだ。
大事なのは過去じゃなくて、今からどれだけ素敵なことをするかだよって教えてくれたんです。
だから、勇気を持って人間のテレパシーも使えるようになりました。
このテレパシーが皆に広がり、互いに心が見透せるようになってしまうと、悪いことをしようとしても皆にわかってしまうから実際に悪いことはできなくなるんです。
悪い心がばれてしまう世界、たぶん最初は窮屈に思うかもしれません。
でもそれが普通のことだと受け入れてしまえば、きっと慣れると思います。
悪い人はすぐに見つかります、悪いことをする前に。
その輪が広がって、最低の犯罪、戦争がなくなってゆくんです。
そして、良い心もすぐに伝わります。
どんなことで相手が喜んでくれるかも直接わかるから、どんどん良いことも積極的にできるようになります。
そうしたら、どんどん明るい社会になると思いませんか?」
会場からパチパチと拍手が湧き、それは次第に波が高まるように大きな拍手になった。
「そういう素敵な未来を選択するのは皆さんです。
さっきマリアさんは特技と言ってくれたけど、テレパシーは特別な能力じゃないです。
誰でも本来持っていたのに、出来合いのレンガみたいな言葉の形にばかり気をとられて、いつの間にか忘れてしまった本当に伝えなきゃならない心の掴まえ方、柔らかい心の波の掴まえ方なんです。
その掴まえ方を取り戻すだけで素敵な未来が広がるんです」
カノンはいよいよ本題に入る。
「じゃあ、どうすれば柔らかい心の波の掴まえ方を取り戻せるかって話ですけど、テレパシー入門ということで、私がだんだん上達してきたコツを皆さんにも教えます。
信じるとか、信じないとかはどっちでもいいんです。
とりあえず、それ、面白そうと思った人は真似してみて下さい。
簡単に言うとテレパシーは心の波の共鳴なんです。
まず第一に相手のイメージに集中してください。
イメージは、映像でも、声でも、自分の得意な形で、相手の雰囲気がありありと感じられるまで集中してください。
人間はひとそれぞれ個性といっていい周波数を持っているみたいです。
それに同調する気持ちです。
第二に相手の声を思い出します。
すると、その人の声の可能性がいくつか読めて、いくつかの声が残る。
周波数の小数点をさらに細かくすると可能性の声が絞り込まれてゆく。
そんな感じです。
第三に、これこそ今の声だって直感できる柔らかな心の波をそっと掴まえるんです。
私が今までやってきた方法はこんな感じです。
よかったら試してみてください」
会場のあちこちで皆が試し始めているのが伝わってくる。
「それではマリアさんが戻るまでしばらく遊んでください。
ありがとう」
カノンが挨拶すると会場からたくさんの暖かい拍手が起こった。