第24話 15.マリア 前編
15.マリア
ラジカセからマリア・グリーンの歌が流れている。
仕事を抜けられないソノダ医師を除いたエリザベスとカノンがベッドに座り、ケンが見舞い客用の椅子に座り、三人は会議を始めていた。
「カノン、ビスケットをもう少し食べる?」
「もういいわ。ありがとう、エリザベス。でも、この雰囲気、慣れてきたな」
「そうね、ポジティブ会議の前半の雰囲気よ」
ケンが小さく笑った。
「じゃ、カノン、早く後半の雰囲気にしてくれよ」
「それにはおじさんがもう少し落ち込んでくれた方がいいかな」
カノンが意地悪くからかった。
「十分、落ち込んでるよ。せっかく練りに練った作戦だったのに」
「どうして急に駄目になったのかしらね?」
理由について、ケンは推測できていた。
巨悪組織はこちらのコンサート企画の真の目的に気付いて、企画を潰したのに違いない。 だが、どうしてこちらの計画に気付いたのか、そこは謎だった。
するとケンの心を読んだらしいカノンが口を開いた。
「これは言っていいかさっきからずっと悩んだんだけど、隠してもしょうがないから言うね。実はね、ジュリ姉さん、テレパシーが使えるようになったみたいなの」
「あ、あの子もテレパシーが使えるの?」
エリザベスが驚いて言った。
「うちのハズバンのこと、何か言ってなかった?」
「うん、無事みたい」
カノンはひとことで片付けるとエリザベスに詳しく聞かれるのを避けるように話の焦点を変えた。
「ジュリ姉さんはすごくすまなさそうな声で謝っていた。
やつらに脅迫されてこちらの意識を読み取って、コンサートの計画を知ったみたい。
そして無理矢理に告白させられたみたい」
詳しく原因を読み取ってるであろうカノンが続けて言った。
「ここは次の作戦を考えようよ」
エリザベスが笑みを見せて言った。
「それでこそ、ポジティブ思考ね」
「カノン、得意技を出したわね」
「ようし、ポジティブ会議後半に入ったね」
みんなで笑った。
しかし、その後の名案はなかなか出てこなかった。
「カノン、テレパシーで博士たちの監禁場所はわからないのかい?」
「無理みたい、なんかガードされていて、こちらからテレパシーで読み取ることができないの。ジュリ姉さんのことがわかったのはジュリ姉さんがこちらを読み取ろうとした時の引き波みたいな声を聞けたからなの」
「そう、じゃテレパシーで捜索するのは無理なのね、残念だわ」
「仮に、博士たちを取り返しても、その先の、敵に見つからない隠れ家まで準備しておかないとならないしね。
へたなところじゃ、またヘリコプターで奇襲されて同じことの繰り返しだろうし」
「前回の『一万人の臨界ジャンプ作戦』がなかなかよかったから、他のアイデアは見劣りしちゃうわ」
「うーん、困ったなあ」
カノンは頬づえをついてマリア・グリーンの歌を聞いていたが、急にうなづくと言った。
「おじさん、私ね、やっぱりマリアのコンサートをやってみたらいいと思うの」
「だけど所属事務所もスポンサーも断ってきたんだよ」
「だからね、マリア本人に頼んで個人的に参加してもらうの」
ケンは首を斜めにして教えた。
「うーん、難しいな。大人の世界には契約という制約があるんだよ。
本人がカノンに頼まれて『応援します』ぐらい言ってあげようと思っても、事務所の契約書で、もっとお金になる次の契約のために素人企画でも勝手に応援してはいけないみたいな規則を入れてあるものなんだよ」
「どんなに頼んでもだめかな?」
「難しいと思うよ」
ケンが言うと、カノンは泣きそうな顔になった。
ケンは困ったなと思いながら仮の話をしてみせる。
「じゃあ、仮にマリア本人が参加してくれるとしよう。
でも、スポンサーも告知CMないコンサートに何人のひとを集められると思う?」
「マリアならきっとほとんど告知なくても口コミですぐに二、三百人は集まるよ」
「でも、そんな人数じゃ、臨界ジャンプは起きないよ」
ケンが言うと、カノンはうなづいた。
「うん、すぐには起きないわ」
カノンは力のこもった目でケンを見つめた。
「だけど、五十人でも二十人でもいいから、テレパシーに目覚めてくれたら、それは私たちの心強い応援団になってくれるよ。
小さいコンサートをこまめに続けて、目立たないようにテレパシー人口増やしていけば、何もしないよりずっと早く臨界ジャンプを起こせるよ」
エリザベスが小さく拍手した。
「エライわ、カノンの言う通り。
何もしないよりずっといい。
最初からあきらめて何もしなかったら、少しも前に進まないわ」
ケンも両手を挙げた。
「うん、どうやら、またカノンにやられたかな。
ついつい常識的な判断で否定するのは社会に染まった僕の悪い癖だね。
カノンの言う通り、地道に仲間を増やしていけばいいんだ。
奴らの予測より早く臨界ジャンプを起こせたら、それは僕らの勝ちだ」
カノンは弾けるような笑顔を見せた。
「そうと決まったら、マリアにいつ会えるか調べてみる。
おじさん、ネットで調べてイメージ集中用のマリア・グリーンの写真を持ってきて、予定を読むから」
「カノンは本当にポジティブね、カノンはいつも私に希望をくれる」
エリザベスはカノンを抱き寄せキスした。
ケンとカノンはロサンジェルスのはずれにあるカフェの前にレンタカーを停めた。
黄色に黒い字でプレーン・ブレッド&カフェと書かれた木の看板がかなり痛んでいる。
ケンがカノンに疑問を投げかける。
「大人気のマリア・グリーンがこんな辺鄙な店に来るかね?
セレブ御用達の「ロデオ・ドライブ」の中しか歩かないんじゃないの」
「だって、彼女はここのパンが好きでわざわざ来るんだから」
「なんだかうまそうに見えない店だけどな」
「外観で判断しちゃだめよ」
ドアを開けると、リズム&ブルースが控えめに流れ、客席は半分ほど埋まっている。
カウンターの中は広い調理場になっていて、いかめしい顔をした太った男がオーブンの様子を眺めてる。ケンは彼がオーナーと判断し尋ねてみる。
「この店、マリア・グリーンがよく来るって聞いたんだけど、本当に来る?」
すると太った男は無愛想に、
「知らねえな」
ケンとカノンが無言でうなづき、ボックス席に腰掛けると、カウンターに座ってた女が立ち上がってメニューを渡す。ウェートレスだったのだ。
「うちは、注文のスタートはプレーンな食パンよ、それ以外は受け付けない」
「わかってます、それからお願い。
飲み物はミルクとコーヒーで」
カノンが言うと、女はうなづいた。
まもなく出されたのは飲み物と皿に乗ったスライスされた食パンのみ。
ケンとカノンは食パンを口に入れて、思わず微笑んだ。麦の香りと発酵した甘味が口の中に溶け出したのだ。それは今までに食べたパンで最高の味だ。
「カノンの言った通り、最高だね」
「味に絶対の自信があるからよ」
「うん」
するとカウンターの向こうから太った男が笑顔で言う。
「ようこそ。うちは本当のパンの味のわからないやつは客にしねえんだ」
そこへウェートレスの女が来て微笑む、
「お客様、ご注文をなんなりと」
「私、このパンをトーストで焼いて、バターと蜂蜜で食べてみたい」
「僕はベーコンとチーズのサンドイッチで」