第23話 14.見えざる圧力 後編
「ギャアアー。」
ジュリは悲鳴を上げた。
「待って、そんなことされたら集中できないでしょ」
ジュリは心を落ち着け、カノンのイメージを思い浮かべ、カノンの声を思い出してみる。 カノンの声、カノンの声、カノンの声。
するとかすかな、精妙という表現がぴったりくるカノンのささやきがジュリの脳に届いた。
(あーあ、お芝居でも点滴はやだな。)
そう考えながらカノンは天井を見上げている。
「カノンちゃんはベッドに横になってるわ」
「本当だな?」
「ええ、腕の点滴瓶とナースコールのボタンを見ていやだと思っている。病院ね」
母親と話をするのが面倒だなと思ってる。
会いに来る母親を待っているんだ。
ジュリはカノンが家に帰らない口実を得るため、ソノダ医師に頼んでわざと症状が重いふりをしているところだとわかった。しかし、それは隠しておこうと決めた。
「心臓病で入院してる女の子なんか、あなたたちの脅威にはならないでしょ。
なぜそんなに気にするの?」
「念のためだ」
そう言ってジョーカーはジュリの椅子のまわりを一周して言った。
「じゃ、次はケンだ。奴は何をしている?」
「待ってよ。
集中しないといけないんだから、そんなに素早く切り替えられないわよ」
「それはそうだ。しばらく待ってやる」
ジュリはケンのイメージを思い浮かべ、声を思い出す。
その声は求められなくてもテレパシーが覚醒する過程で一番最初に試してみたことだ。
そうやって偶然にケンがジュリを想っている瞬間に巡り合うのはこの上ない喜びだった。
一日に何度も実際に聞いて確かめたら相手もうるさいと感じるだろうが、テレパシーならその心配はない。何より嘘に惑わされることはないからとても深い安心を感じるのだ。
ケンがジュリのことを想っていない時は、だいたいコンサートの進行を考えている。
その内容もジュリはすっかり把握していた。
表向きはマリア・グリーンのコンサートだが、目的はテレパシー覚醒のきっかけづくりだ。実現できるかは未知数だが、それでテレパシーに目覚めた勢力が急拡大すればデイドリームプロジェクトは壊滅的な打撃を受ける。
「どうだ、まだか?」
「今、彼はぼんやり海を眺めています」
「嘘をつくなよ」
「嘘なんかついてません」
「なめてるのか?何のために脳波とテレパシー波をモニターしてると思う?
嘘をつけばすぐわかるんだぞ」
「いえ、本当です」
しかし、ジョーカーはジュリの反論を無視して部下に命じた。
「そっちの気絶している博士を電気ショックで起こしてやれ」
ホーライ博士は4メートルほど離れたベッドにベルトでくくりつけられていた。
そして、その腕と胸には電極がつながれている。
脇に立っている、スポーツ刈りで顔幅の広い男が、電極につながる操作パネルの電圧ダイヤルをまわした。
電撃の瞬間、ジジッといやな音がして、ホーライ博士の体はベッドの上でそり返って絶叫した。
「グアーッ」
ジュリは青ざめた。
嘘発見器がどういう仕組みなのか、そして自分が今つけられている装置がそうなのかはわからないが、自分がテレパシーで読み取ったことと言葉で説明したことに明らかな相違があると、この悪鬼のような男にわかってしまうのだ。
「ちゃんと報告しないと、その博士が黒焦げになっちまうぞ。
ケンはまたなんか企んでるんだろう?」
「企んでません」
「また嘘だ。おい、電気ショック!」
またも電撃が走り、ホーライ博士の体はベッドの上でそり返った。
「ウオッ」
「やめてください」
「そのためには正直に言わないとな、わかるだろう?
ケンは何を企んでいる?」
ジュリの心は引き裂かれそうだった。ケンが狙う企画を明かす訳にはいかない。
しかし、隠し通したらホーライ博士が電気ショックで殺されてしまう。
ジュリは究極の選択を迫られているのだ。
その時、苦しそうな息でホーライ博士が言った。
「ジュリ君、私のことは心配するな。
もう死んだ方が楽なんだ。君を恨んだりしない。
むしろ殺して楽にしてくれたら感謝するよ。殺してくれ」
そんなふうに弱気なのは、意識統御ナノチップで感情まで痛めつけられてるのだ。
「返事がないから電圧を上げろ」
ジュリは反射的に「待って」と叫んだ。
「おや、答える気になったかね?」
「ジュリ君、ダメだ、奴らには何一つ教えるな。
私を早く死なせて楽にしてくれ」
ホーライ博士は繰り返したが、ジュリを止めることはできなかった。
「ケンはコンサートを企画しています」
ジョーカーはニヤリと唇に笑みを浮かべた。
「ほお、どんなコンサートだ」
「マリア・グリーンの大きなコンサートです。彼の仕事は広告代理店なんです」
「そうか。コンサートね」
「コンサートじゃ、あなたたちの脅威になる筈ないわ」
「我々の脅威にはならないと?」
「ええ」
ジョーカー大佐は指をパチッと鳴らした。
「電圧上げて、電気ショック!」
すさまじい電撃に、ホーライ博士の体はベッドの上で何度か弾んだ。
「やめてーッ」
スポーツ刈りの男すら、それ以上の電圧を上げるのをためらった。
「ジョーカー大佐、もうやばいですよ、これ以上やったら、おっちんじゃう」
「この女がルールをわきまえずに嘘をつくからいけないんだよ。
もしその博士が死んだら、全部、この女のせいだからな。
もし俺が警察に捕まっても、この博士殺しの犯人だけは俺じゃないと証言してくれよ。 もう一度電気ショックの用意だ!」
「いいんですか?」
「いいんだ、この女のせいだ」
その時、大きな声が響いた。
「お願い、もうやめて!
正直に話すから……」
ジュリは大粒の涙をこぼして切り出した。
ケンはおかしな夢を見ていた。
ケンの前にジュリがいる。しかし、彼女はすすり泣いている。
「ジュリ、どうしたんだ?」
ケンが問いかけても、ジュリは答えず、両手で顔を覆って泣いている。
手を取って顔を見ようとしてもケンを避けて見せようとしない。
「ごめんなさい。
ごめんなさい」
ジュリは同じ言葉を繰り返すだけだ。
「ごめんなさい。
ごめんなさい」
カノンがジュリの隣に立って肩に手を置いて言う。
「大丈夫だよ、おじさんはジュリ姉さんに首ったけなんだからさ。
そりゃちょっとショックだったけど、全部終わったわけじゃないと思うよ」
カノンはケンに振り向いて「ね、おじさん!そうでしょ」と微笑む。
「おじさん!」とカノンの声が急に大きくなった
「うん、ジュリに首ったけだよ」
ケンが言うと、カノンがケンの耳を引っ張った。
「寝ぼけてないで。
電話だよ、ほら、後輩のなんとかさん」
カノンはケンにコードレスの子機を渡して部屋から出て行った。
ケンは診察室のベッドから上半身を起こすと言う。
《やあ、まだ7時じゃないか、早いな》
《先輩……》
《なんだ、お前にしちゃ元気ないな》
《あの、コンサート、急に没になりました》
《えっ!》
ケンは目の前が真っ暗になったように感じた。
《マリア・グリーンのコンサート、今朝というか昨日の深夜、突然、所属事務所とスポンサーの双方から断りのファックスが入ったらしいんすよ》
《なんだとおー?》
ケンは思わず大きな声で叫んだ。
《ついさっき部長から俺の携帯に直接電話があって教えられたんですよ。
びっくりして飛び起きて足の脛をテーブルにぶつけて、頭をドアにぶつけました》
《どういう理由だよ?》
《理由なんて書いてないそうです》
《……》
きっと巨悪組織AAGがコンサートの企画にケンたちがいると知り、念のために潰しにかかってきたのだろう。
おそらく脅したり、巨額の補償金を提示したりして、企画を一挙に潰したのだ。
《もう訳わかんないす》
《訳はわかるだろう、俺たちは巨悪組織を相手にしてるんだ。
こういうことは想定の範囲内だ。へこたれるな》
ケンが叱咤しても、ベアリーの声は頼りない。
《俺、もう自信ないすよ》
《拉致された人間の命がかかってるんだぞ》
《それはもう何度も叩き込まれましたから、だけど》
《だけどじゃない、なんとか考え直してくれるよう説得して来い》
《はい。だけど》
《だけどじゃないの》
《部長がそっちは放っていいと、スポンサー回りのノルマをよこしたんすよ》
《お前、人の命とノルマとどっちが大事なんだよ!》
《わ、わかってます。
じゃノルマは説得してみてからにします》
受話器を置いたケンは口を開いて、息をするのも忘れそうなほど呆然とした。