第22話 14.見えざる圧力 前編
14.見えざる圧力
ケンは得意先企業の役職のふりをして、会社の後輩であるベアリーに電話して、画廊に呼び出した。
アイビー風の眼鏡と、高校のアメリカンフットボール地区大会で優秀ラインバッカーに選ばれたこともある、どっしりした体格が不釣合いな後輩ベアリーは画廊の隅っこで困った顔をして油絵を眺めていた。
ケンはベアリーの背後にまわり囁いた。
「ベアリー、声出すな。
そんなしかめ面で絵を見てたら、お得意様が逃げるぞ」
ケンはそう言いながら、無線のスキャナーを起動し、ベアリーの反応を確認した。
しかし意識統御ナノチップの周波数反応はない。
ケンは横にまわり、黒いサングラスをずらして目を見せた。
「ああ、せ、先輩?」
「声、出すな、俺はベアリーを呼び出したお得意様だ。
外へ行くぞ」
ケンはサングラスを戻し、さっさと店の外の並木道に出た。
「こっちを向かずに口を大きく開けずに喋るんだ」
「先輩、どうしたんすか、連続欠勤なんて」
ケンは笑みを浮かべて言った。
「パティーに振られた」
「…そうすか、知らなかった。
でも普通、振られたぐらいでこんなに連続欠勤しませんよ」
「大きい声、出すなよ、巨悪組織に命を狙われてる」
「巨悪組織に、い、命を?」
「バカ、大きい声、出すなと言ったそばから大きいぞ」
「すみません」
「じゃなきゃこんなに欠勤するかよ」
「そうなんすか」
「そうだ。
俺はその巨悪組織AAGの陰謀、デイドリームプロジェクトの証拠を手に入れたんだ。
しかし、その証拠と、それをアップした仲間と動物言語学の博士とイルカのトレーナーが拉致された」
「なんかすごい展開すね。
どっかの喫茶店でゆっくり話しましょう」
「いや、歩きながら話すのが一番盗聴の危険が少ないんだ」
ケンとベアリーは歩道をやや早いスピードで歩いてゆく。
「はあ」
「それで会社で、俺に関して動きはあるか?」
「いえ、インフルエンザで病欠って連絡だったから、しばらく様子見って感じですかね」
「さて、ベアリー。
今回の君の使命だが、大手のスポンサーをつけて、マリア・グリーンのコンサートを行い、一万人以上を集めることにある」
「マリア・グリーンってあの歌聖マドンナすか。
クリスマスなんか合いそうすね。
だけどもうスケジュール入ってるでしょ、とっくに」
「そういう問題じゃない。
巨悪組織の陰謀を止めなきゃいけない、そのためのコンサートだ。
拉致された人間の命がかかっている。君の責任は重いぞ」
「なんか話が見えないすよ。
マリア・グリーンのコンサートと巨悪組織が関係あるんすか?」
「今の話した中に陰謀を止めるためと言ったぞ。
それより詳しいことは知らない方がいい。
どうせ企画なくて困ってたんだろ」
「実はそうなんすよ」
「とにかく拉致された人間の命を救うためだから、クリスマスなんて悠長なことは言ってられない。
期日は早ければ早いほどいい、どんな無理してもいい、どんな汚い手を使ってもいいから割り込ませろ」
ケンの勢いに圧倒されてベアリーはうなづいた。
「わかりました。
スポンサーはどんなのがいいすかね?」
「うん、ゲームとか、ソフトドリンクあたりか。あとIT、携帯。ちょっと車もつついてみろ。レギュラーCMにつなげたらお前のポイント高いぞ」
「先輩は戻ってきてくれないんすか?」
「巨悪組織AAGに追われてるって言っただろ」
「企画書、手伝って下さいよ」
「そう来ると思ってざっくり作ってきてやった」
ケンはCDをベアリーに手渡してやる。
「ありがとうございます」
「頼んだぞ、繰り返すが、マリア・グリーンのコンサート成功に人の命がかかっているんだ」
「わかりました」
ベアリーはCDをしまうと、神妙な顔をして言った。
「先輩、このたびはパティーさんのこと、ご愁傷さまでした」
「ああ、でもないんだ、次の見つかったから」
「あれ、変わり身早っすね。
どこのなんていう女なんです?
またモデルすか?」
「違うよ。ベアリー、鯨のブリーチングを見たことあるか?」
「何です、それ?」
「鯨が海の上に全身を持ち上げて回転するんだよ。
あれは凄いぜ。
人間をはるかにしのぐ偉大な生命がこの地球に生きているんだと実感するよ」
「話題をそらさないでくださいよ、俺は先輩の新しい相手について聞いているんです」
「だからさ、外見でいえばパティーにはかなわないかもしれないけどさ、見えないつながりみたいなものをダイレクトに感じるんだ。
そういう素敵な女だよ。
ベアリーもブリーチングを見たら、俺の言ってることがわかるよ」
「言ってる意味がわかんないけど、鯨みたいにでかい女なんですか?」
ベアリーがボケてみせると、ケンは笑いながら追い払った。
「もういい」
「でも、先輩、よかったですね」
「ああ、だけど、その彼女ってのが誘拐されたイルカのトレーナーなんだ」
「なるほど」
ベアリーは自分の左手の掌に右拳を打ち込んだ。
「絶対に彼女を取り返したい。
ベアリー、お前の助けが必要なんだ。頼む、力を貸してくれ」
「そういうことか、わかりました。任せて下さい」
「それからな、俺に電話する時は絶対、会社の電話使うなよ」
「わかりました。
じゃ、がんばりますよ」
交差点でケンはベアリーに小さく手を振って別れた。
ベアリーから電話が入ったのは4日後だった。
「先輩、マリア・グリーンのスケジュール、押さえられそうです」
ケンは思わず叫んだ。
「やったな」
「ただ、問題があります」
「動員は多い分には五万人でも十万人でもかまわない」
「そうじゃなくて、時期と規模、どっちを優先しますか?」
「当然、時期だ、早ければ早い方がいい。
但し、一万人は最低条件だ、何人もの命がかかってるんだぞ」
「わかりました、その線でやってみます」
「がんばってくれ。スポンサーの方はどうだ?」
「そっちもなんとかなりそうです。
実は来年発売のスペクタクルキャンペーンでテーマソングを歌わせたいらしいんです。
それでお近づきにセットしてくれということです」
「そいつはよかったな」
「当たりっす。本編CMもうちで取れそうっす」
「よかった」
時計の音がカッチカッチと響いている。
ジュリは椅子にかけていた。
意識を集中させるために濃い大きなサングラスをかけ、頭には脳波計測器とテレパシー周波数プロテクト装置が仕込まれたヘッドフォンをし、手首は手錠で椅子の肘掛につながれている。
クルーザーで銃を向けてきた男、ジョーカー大佐がモニターを見ながら尋問する。
「さあ、仲間の居所を探るんだ」
「探ると言っても、どうすればいいか?」
「お前のテレパシー領域はテレパス開発ナノチップのおかげで急速に覚醒させたんだ。
相手のイメージに集中して、声を思い出せば心の声を聞き取れる筈だ」
「あんたたちなんかに協力しないわ」
「生意気な口を叩くならペンチで爪を剥ぐよ」
ジョーカー大佐には言葉だけの脅しはない。
ペンチはジュリの小指の爪をちょっと持ち上げ、ジュリは「ギャアア」と悲鳴をあげる。
「ふ、爪は全部で二十枚あるんだから、一枚目にちょっと挨拶しただけでギャーギャーわめくなよ。
さあ、お前の仲間の様子を探るんだ」
ジュリは仕方なく答える。
「わ、わかりました」
「素直でいいね。
ああ、もうひとつ警告だ。
私の意識や、ここの警備状況を探ろうなどとしたら、もったいないが、ヘッドフォンに仕込んだ小型爆弾でお前の脳味噌を吹き飛ばしてしまうからそのつもりで。
さあ、まず一緒にいた子供は何してる」
「カノンちゃんは関係ないわ。小学生よ」
「質問には口答えせずに、素直に従う。
いい加減に立場をわきまえろ」
ジョーカー大佐はジュリの小指の爪を割るようにペンチに力を入れた。