第21話 13.臨界ジャンプ 後編
「エリザベス、この臨界値を超える『臨界ジャンプ』が起きると疫病より早く伝わるって、どういうこと?」
「ええ、不思議な現象があるの。
有名なのはライアル・ワトソンが取リ上げた日本にある幸島の猿の話だわ。
砂まみれの芋はそのままでは食べにくいから猿は捨てていたの。
ある時、若い猿がその砂だらけの芋を水で洗って砂を落として食べる方法を発明した。
すごい発明なんだけど、これはすぐには広がらなかった。
でも、若い猿たちの間で徐々に流行していき、ある時、芋を洗う猿が百匹に達したの。
そしたら、その群れの猿たちばかりか、離れた群れの猿たちまで、芋を洗う流行が一斉に広まった。
これが『百匹目の猿』の話よ」
カノンが「へー、面白いーっ」と手を叩いた。
「この百匹は正確な数ではないわ、九十匹なのか、二百匹なのかわからないんだけど、とにかくある数が臨界値なのよ。
それを超えると爆発的に種全体に広がる、それが『臨界ジャンプ』だわ」
「うーん、進化の過程にはそのような事があるのかもしれないな」
ソノダ医師がつぶやいたが、ケンはじっと考え込んだ。
エリザベスが続ける。
「百匹の猿の話は一般受けはいいけど、実証は難しいの。
だけど、私も主人もこの話を信じているわ。
この仕組みを説明できるシェルドレイクの仮説というのがあるのよ。
それは現在の特徴的な形、行動の形態は、過去の同じような形態を継承するという説なのね。
ひらたく言うとパターンは共鳴という方法で時空を超えて伝染するってことなのよ。
これをイギリスのテレビ局が実際に試した実験があるの。」
「どんな実験?」とカノン。
「だまし絵の正解率が、テレビ放映の前後で変わるかを調べたの。
もちろん、テレビが見れる地域で調べるとテレビを見てしまったひとが混じるから、テレビが見れない地域での正解率を比べたのよ。
そうしたら、初めての絵にもかかわらず、テレビ公開前に比べ公開後は正解率が明らかに上がった。
つまり遠くでテレビを見てた人の意識が、テレビを見れない人の意識に共鳴したの」
「すごい、それってテレパシーのはじまりみたい」
カノンが嬉しそうに声をあげた。
「そうかもね。
この学説によると、生物の進化史において、空間の制約を超えた『臨界ジャンプ』が起こり、世界の至るところで同じ種が栄える事実が簡単に説明できるわ」
カノンはケンがまだ黙っているのを見て次の行に進めた。
「現在のニュータント絶対数はまだ極めて少数ですが、何も対策を実行せず自然に任せておくと、やがて加速度的なニュータント人口の爆発的増加が起こり、遠くない将来に政治的な一大勢力となり平和な革命を引き起こします。
だからこそ、巨悪組織AAGはテレパシーを敵視しているのです。
冷戦時代の研究成果により、テレパシーの危険性に誰よりも早く気付いた彼らはテレパシーの覚醒を芽のうちに踏み潰すことを決意し、そのためのリサーチと対策の研究に巨万の予算をつけて三十年も前に始動したのです」
ケンが黙ったままだったので、カノンはエリザベスにふった。
「エリザベス、何かある?」
「そうね、進化が本当に始まったら、それは一挙に広がる可能性が……、」
エリザベスの発言をさえぎって、それまで考え込んでいたケンが突然、言い放った。
「百匹の猿に匹敵する人類、例えば数千人の人間を僕らで集めよう。
そしてテレパシーについて教え訓練したら、それは臨界値を超えて『臨界ジャンプ』が起きて、それこそ爆発的にテレパシー人口が増えるってことだろう。
そうしたら、悪の組織はデイドリーム作戦自体をあきらめるしかない。
これは僕らができる最高の反撃作戦だよ」
カノンには実際にそんなことができる想像がつかない。
「そうかもしれないけど、できるかな?」
カノンの疑問にエリザベスが答える。
「カノン、どうしてもやりたいことがあったら、心配するよりチャレンジしてみることが大事かもしれないわ。
一生懸命考えて、一生懸命実行すれば、できる可能性が上がるの」
ケンは力強くうなづいた。
「エリザベス、人間が『臨界ジャンプ』する臨界値は何人だろう?」
「たぶん所属する共同体の規模によるわ。それでも数千人じゃ足りないかも」
「うん、少なくても一万人は必要だろうな」
ソノダ医師が言うとカノンが疑問を投げかける。
「でも、どうやってそんなたくさんの人を集めるつもり?」
「みんなで考えましょう」
エリザベスが言うと、みんなが考え込んだ。
しばらくしてケンが沈黙を破った。
「うん、やっぱりイベントを仕掛けよう」
「どんな?」
カノンが聞き返すと、ケンは逆に質問した。
「カノンはどういうイベントなら、テレパシーが進化であることに賛成してくれる人や、できればテレパシーの才能もある人が集まると思う?」
「うーん、難しいなあ」
「じゃあ、こういう時は、カノンの好きな曲かけてよ」
笑みを浮かべてケンが言うと、カノンはデジタルオーディオプレーヤーをラジカセにつないで再生スイッチを入れた。
マリア・グリーンの『ピエタ』が流れる。
「あ、そうかあ!
おじさん、私もこれがいいと思う」
「さあ、この『ピエタ』の歌手マリア・グリーンに二票入ったよ。エリザベスとソノダ先生はどうですか?
人集めのイベント企画にマリア・グリーンのコンサート」
「きれいな歌だねえ。じゃあ僕も一票」
「あら、私も今、この歌手なら、きっと心の優しい人たちが集まるって思ったわ」
「おじさん、全員一致で決まりね」
「あとは協賛スポンサーをつけて、キャンペーンCMできたら一万人は集められるよ。
裏のタイトルは『一万人の臨界ジャンプ作戦』だ」
「そういうのって専門の広告会社じゃないと難しいんじゃないか?」
ソノダ医師が言うと、ケンは親指を立てた。
「エヘン、俺は大手広告会社勤務です」
「そういえばおじさん、そうだったね。
でもさ、ずーっと、さぼってるからもうクビになってるかもしれないよ」
「気にしてること言うね。
一応、会社には、悪性のインフルエンザでしばらく入院てことにしてあるけどな。
巨悪組織にマークされてる以上、のこのこ出社できないが、後輩がいるから、そいつに頼んでみるさ」
「じゃあ、決まり、『一万人の臨界ジャンプ作戦』をみんなで成功させましょう」
カノンが言うと、みんなが拍手した。