第20話 13.臨界ジャンプ 前編
13.『臨界ジャンプ』
病院に帰ったケンが肩を落として、巨悪組織の告発作戦が水の泡と消えたことを告げると、ソノダ医師もエリザベスもさすがのカノンもすぐには言葉が出なかった。
アラン、博士、ジュリが拉致された失意の中で、ようやく手に入れたと思った残された唯一の証拠ビデオが、意地の悪い手品のような仕掛けですりかえられてしまったのだから、もはや手の打ちようもなさそうに思えてくる。
「すみません、ソノダ先生、エリザベス、ごめんよ、カノン」
「ケン、貴方のせいじゃないわ」
「そうだぞ、君の責任じゃない」
「おじさん、謝らないでよ、やだな、私たちは終わったわけじゃないんだよ。私たちの合言葉は、ポジティブ思考でゆこうだよ」
「ありがとう、カノン」
ケンは礼を言ったものの、当のポジティブ思考を唱えたばかりのカノンがすぐにうつむいて「でも考えてみたら、」と弱音を吐いた。
「私がおじさんにマックスを助けてなんて言い出したのがそもそもの始まりなんだよね。そのために、おじさんも、アランも、博士も、ジュリ姉さんも、エリザベスもひどい目に遭わせちゃって、皆、私のせいなんだよね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
カノンはポロポロと涙をこぼした。
ケンとエリザベスはカノンの手を包むように握りしめた。
「カノン、それは違うよ、悪いのはどう見ても組織の奴らだ。カノンはひとつも悪くないんだよ」
「そうよ、カノンは私達の天使よ、カノンのおかげで希望が生まれるの。
そのあなたがあきらめちゃだめじゃない」
そう言われてもカノンは黙ったままだ。
ソノダ医師もカノンを諭した。
「君が自分のせいにすることなんかひとつもない。
誰も自分がしたこと以上の責任を問われることはない。
僕は予言めいたことは言ったことないんだが、君だけは特別だ。
君はたぶん特別な存在なんだよ」
「僕の心を読めるだろ。僕はカノンのせいだなんてひとかけらも思ったことないぞ」
カノンはくしゃくしゃの顔でうんうんとうなづいた。
「博士が言ってたろう。
人類が物質にしがみついて滅亡につながる道を歩むのか、テレパシーに目覚めて命と共生を大事にする文明に進化するか、歴史上、とっても重要な分かれ道に来てるような気がする。
その鍵を、なんと、この僕たちが開けようとしているんだよ。
だから今はとても大変で、僕はあきらめかけたりする。
するとカノンがポジティブ思考でゆこうって力をくれるんだよ。
奴らも必死で邪魔して抵抗するんだけど、最後には僕らが勝つんだ、きっとね」
ケンが言うとエリザベスが提案した。
「そうね、また皆で知恵を絞ってみましょうよ」
「うん、僕らが勝つための道はひとつじゃないから、思いもしない方法が急に見つかるかもしれないよ」
ケンが言うと、カノンが「そうだ」とつぶやいた。
「マックスの脳に埋められてたビデオ、あの中で告発してたフィリップって人の言葉を、私、メモしておいたんだけど、私が書いたものじゃ証拠にならない?」
ケンはハッとした。
「証拠にならなくても、貴重だよ。
そこにヒントがあるかもしれない。見せて」
するとカノンはポシェットからたたまれた状態の折り紙の鶴を五羽取り出した。
「ああ、映画で見たわ、日本のオリガミの鶴でしょ」
「そうなの」
「奴らはここに来た時、証拠を探して部屋中荒らしていったけど、折り鶴までは怪しまなかったんだな。
カノン、これはお手柄かもよ」
「そうだといいけど」
「じゃあ、カノン、少しずつ読んでくれるかい」
「任せて」
大人たちが聞き耳を立てる中、カノンは折り鶴を開いてメモを読み始めた。
「私が行ってきた研究は、政府さえも操る巨悪組織AAGが主導する陰謀、デイドリームプロジェクトです。
ことの始まりは、西暦1990年代半ばから、AAGがニュータントと名づけ敵視する新型人類が出現しはじめたことです。
このニュータントは新しいニューと突然変異のミュータントの合成語で、テレパシー能力の覚醒した人類に対する我々の呼び名です」
「カノン、そこで止めて、ここで何か気になることはありますか?」
ケンが聞くとソノダ医師が応じた。
「面白いな。時期が一致する」
「何の時期ですか?」
「90年代以降は、世紀末を控えてたくさんの人々が不安を感じていた時代だった。
あの頃から薬が効かない進化した病気や神経的な新たな症例が急に増えたんだ。
その一方で、ごく少数だが、普通の人の何十倍、何百倍もの免疫力を持った超免疫人類とでもいうべき人々が出現したんだ。
それと、ニュータントの出現が同時ってのは、もしかしたら進化の兆しかもしれん」
「そうなんですか!それはきっと深い意味がありそうですよ」
「うん、俺はホーライのような柔軟な発想は苦手なんだが、今、ニュータントの話を聞いて、超免疫人類のことを思い出して鳥肌が立ったよ」
「なんとかして人々を救おうという神様の意志が働いているのかもしれないわ」
「うん、そうかもね」
「じゃあ、カノン、次のフレーズを」
「普通の人々は、超能力、テレパシーなどと言うとすぐに笑い飛ばしてしまいます。
しかし、最近の情報公開制度のおかげで、東西冷戦時代、アメリカもソ連も軍や諜報部で真剣に超能力、テレパシーを研究し、ある程度の成果を上げてきたことが明らかになっています。
ここで現実にテレパシーが実現されると、どのような影響が起きるかをよく考えてみてください」
「テレパシーが出てきたか」
ソノダ医師が苦笑すると、ケンが言った。
「先生は科学者だから、信じがたいでしょうね。
僕も最初はまさかと思ったんですよ。
でもカノンに心を読み取られてしまうと、もう認めるしかないんです。
今まで知られてなかったからテレパシーなどあり得ないという論理は決め付けですよ」
「うむ、しかし、テレパシーは心の中の問題だろ、それが社会に影響を与えるとはまだ考えられないな」
「じゃ、カノン、次のフレーズを」
「テレパシーが実現し普及すると、悪い意識を個人の内部に隠しにくくなります。
悪意という意識は周囲から軽蔑され非難されるので、悪意を自分の内側に保持し続けることは難しくなるのです。
最初、個人の権利の侵害だと言うひともいるでしょうが、良い意識は恥じる必要はなく持ち続けられ、悪い意識のみが恥の対象となり放棄されるわけですから、それは良いことなのです。
言ってみれば、これは知的生命における意識の進化につながることなのです」
「そうか、そうか。テレパシーが実現すると、悪意が隠せなくなるのか、俺みたいな心の汚れた人間は困ってしまうから、テレパシーの使い手を弾圧しようとするわけだ」
みんなが一斉に笑い、カノンが言った。
「ソノダ先生、そんな嘘吐いても騙せませんよ。
先生が患者さんのために、自分の生活を削って働いてることはばれてますから。
今月もまだ、24時間以上、家にいたことないじゃない」
「参ったな、これがテレパシーってやつか」
ソノダ医師が頭を掻くと、ケンが笑った。
「でしょ、きっと家族はカンカンですよ」
「ううん、先生の家族はとてもいい人たちなの。奥さんのパメラさんも息子のラッセルさんも娘のポーラさんも、そんな先生を誇りに思ってるから安心して」
するとソノダ医師は照れながら「ありがとう」と礼を言った。
「フレーズに戻ろう、考えてみると互いに心が見透かされているとしたら、悪いことをしようとしても誰も騙せないんだね。
どんな巧妙な悪事も多数の人間に指摘されると、悪事は成立しなくなるってわけだ」
「うん、そうなると人々はお金や力のためでなく、善と美のために生きるようになりそうですね」
「そうなるわね、カノン、お願い」
「こうして意識の共有化、透明化は、相互理解を促進し、さらなる平等意識と博愛思想の拡大強化をもたらし、相互不信の産物である戦争も回避されます。
そうです。
テレパシーの実現は平和と博愛へつながる素晴らしい進化なのです」
「そう、戦争はあの民族が何を考えてるかわからない、あの民族が襲ってくるのではないかという恐怖の裏返しの発想よ。
でも、テレパシーは言語の壁を超えて通じるので、その民族も自分と同じ喜怒哀楽を持ち精一杯生きている人類の同胞だということが納得される。
そうしたら、侵略なんて発想は生まれない筈ね」
ソノダ医師はうなづいた。
「なるほど。そういう効用があるとは考えてもみなかったな」
「そう考えると、反戦活動している人たちは僕らの味方になってくれるかもしれない。
後でネットで調べてリストアップしておくよ。次に進んでくれる」
「ところで、一部の人々が気づいているように、現在の体制は民主主義のふりをした、ごく一部の権力階級による支配体制です。
彼らはあらゆる機会を使って、富とそれを維持する権力の偏在独占を進めています。
私有財産、既得権、それを維持する政治、軍事権力を維持したい有産権力階級にとって、テレパシーが実現普及などして、悪意の元に行われている自分たちの保身活動が糾弾、壊滅させられるのはなんとしても回避しなければならないのです」
「今のところが巨悪組織の正体を指摘してると思うな」
ケンが言うと、ソノダ医師がうなづいた。
「うむ。現実に偏った富と権力を持った連中が、なんの抵抗もせず素直に自分たちの権益を捨てて平等、博愛に進むとは考えにくいな。
金は腐るほどあるんだから、それでなんとかテレパシーの覚醒、進化を阻止しようというのがデイドリームプロジェクトという巨悪の陰謀なわけか」
カノンが続けた。
「じゃあ、次の行にゆくね。
あなたはテレパシーというものを過小評価して言うかもしれません。
仮にテレパシーできる人間が、ひとりふたり、いや、もう少し多く、十人、百人、千人いたところで、何もできないだろう。
そんなの体制にとって脅威じゃないだろうと。
しかし、進化というものはある臨界値を超える『臨界ジャンプ』が起きると、怖ろしい疫病より早く伝わるものなのです」