第16話 10.奇襲 後編
八十メートルほど進むと、カノンが言った。
「マックスがちょっと潜るって、二十、数える間、潜るけど、すぐに浮かんで呼吸できるからついてきてって」
「よおし、カノン、イチニのサンで大きく息を吸って」
「イチニのサン」
ケンとカノンが水に頭を入れると、マックスは二人の息継ぎを考えてくれたのか、すごい勢いで海岸線の下に開いた洞窟に引き込んだ。
そして、浮き上がるとそこは、天井の小さな隙間から光がこぼれる洞窟だった。
ここならまず見つからないだろう。
水面上に出ている洞窟の皿状の棚にカノンを押し上げて、ケンも水から上がった。
「カノン、大丈夫か?」
「ありがとう、マックスとおじさんが一緒だから私は大丈夫だよ」
「カノン、ジュリはどうなったかわかる?」
「……残念だけど、ジュリ姉さんも捕まったみたい。
今、博士とヘリに乗せられ、どこかに連れていかれるところ」
「なんてことだ」
「仕方ないよ、もし私たちまで上に上がってたら全員が捕まってしまったわ。
そしたら助けてくれるひとがいなくなるんだから」
「そうだな、俺とカノンで博士とジュリを助けよう。
そうだ、エリザベスはたしか買い物に出てたからたぶん無事だな」
「うん、そうみたい」
「奴らはもういないんだね」
「うん、ヘリコプターはどんどん離れてゆくわ」
ケンは洞窟の奥にほのかに明るいところをみつけた。
そこは岩の裂け目らしい。
小岩をどかしてみると地上の光が大きく入ってくる。
「よし、ここから地上に出れる。
博士の別荘の前でエリザベスをつかまえよう」
「うん。
マックス、安全かどうかわかるまで隠れていてね」
カノンはマックスにそう告げ、二人は地上に這い出た。
「カノン、別荘に人の気配はする?」
「待って、うーん、誰もいないと思う」
「よし、ちょっと中に入ってみよう」
博士の別荘はサッシが壊され、部屋の中はひっくり返されていた。
「カノン、まず濡れた服を着替えなよ」
「うん、おじさんの着替えも探しとく」
ケンは研究室に降りて、引き出しを改めると、カノンに聞こえるよう大声で言った。
「電子チップは持ってかれたよ、せっかくの物的証拠だったのに」
パソコンは本体ごと持ち去られたようだ。
「パソコンも二台ともやられた」
そこへエリザベスが帰ってきた。
「ただいま、一体、どうしたの?」
「大変なんだ、例の組織の奴らが博士とジュリをさらったんだ」
エリザベスの顔が青ざめた。
「オーマイゴッ!」
「奴らはいきなりヘリコプターで来たんだ。
博士はジュリと連れて行かれたみたいなんだ。
ごめんよ」
エリザベスは天を仰いで失神しそうになったので、ケンは急いで支えた。
「ありがとう」
「ごめんよ、エリザベス、博士を守れなくて」
「仕方ないわ、ケンのせいではないわ。
カノンは?」
「僕とカノンはその時、地下室にいて、マックスの助けで海から洞窟に逃げて無事だった」
ちょうどカノンがやってきてエリザベスにしがみついた。
「エリザベス」
「カノン、あなたが無事でよかったわ。
ダーリンが怪我してないか、わかる?」
「途中までは声が聞き取れて、二人とも怪我はしてないとわかったんだけど、」
カノンはすまなそうに続けた。
「ヘリコプターがどこかに着陸した直後から、何かに覆われたみたいで、全然テレパシーで声が聞き取れないの」
「そう、でも途中までは無事だったのね。
少し安心したわ。
カノンは怖くなかった?」
「うん、怖かった、マックスが洞窟に導いてくれて、海の中を潜ったけど怖かったの」
エリザベスはカノンを抱きしめた。
「そう、偉かったわね、無事でよかったわ」
「エリザベス、このトレーナーふたつ、私とおじさんが借りてもいい?」
「もちろん、いいわ。
ケン、警察は呼んだ?」
「これから電話するよ。
テレビ局にも電話して取材させよう。
ただ、エリザベス、奴らが戻ってくるかもしれないから、ひと段落したら、ここから、どこか別の場所に移動した方がよさそうだよ」
「移動すると言っても、どういうところが安全かしら」
「博士の同級のソノダ医師に病院に泊めてもらうように頼んでみたら。
あそこならカノンのお母さんにも言い訳がたつし、僕は検査室でもどこでも寝れるから」
「そうね、わかったわ、とりあえず頼んでみましょう」
「僕はまず警察に電話する。
カノンは近づく人の考えを見張っていてくれるかい」
「うん、まかせて」
ケンは警察に博士とジュリが誘拐されたことを電話した後で、テレビ各局の報道に電話を入れた。
「ですから、脳に埋め込む電子チップのせいで、謎の組織に誘拐されたんです」
「なるほど、で、ヘリコプターの写真は撮影しましたか?」
「いいえ、相手は銃で武装していたんですよ。
逃げるのが精一杯でした」
「じゃ、その組織の連中は撮影しましたか?」
「いいえ、言ったでしょ、逃げるのが精一杯ですよ」
「ということはだ、あなたの主張を裏付ける映像は何もないわけですね。
もしかしたらその博士とイルカのトレーナーが窓を割って駆け落ちした可能性もあるわけでしょ」
「ふ、ふざけないで下さいよ。
僕は現実に脳にその電子チップを埋め込まれていたのを、手術で取り出してもらったんですよ」
「取材するかどうかは警察の情報を待って決めますので、よろしく」
ケンは、勢いよく切られた音にムッとして、ひとつ深呼吸をしてから次のテレビ局にダイヤルした。
「S.C.テレビでございます」
「あの、報道をお願いします」
「報道センターへおつなぎします。どうぞ」
「もしもし、S.C.テレビ報道センターです」
「実は誘拐事件が起きたので、報道してほしいと思いまして」
「誘拐ですか?身代金の要求とか?」
「いや、身代金目的じゃなくてですね。
誘拐されたのは動物言語学のホーライ博士です。
意識を統御するナノチップを入手したために、陰謀を企てている巨悪組織に誘拐されたんです」
「ふうーん。意識のナノチップねえ。
じゃ、ズバリ、聞きますよお、そちら、イタズラ電話ですか?」
「ったく、もう、真剣な真実です。
先ほど、警察を呼びました。モントレーのホーライ研究所と電話帳に出てますから、取材に来て下さい。
詳しいことを説明しますから」
「そうですか、モントレーのホーライ研究所ですね、情報提供ありがとうございました」
相手はそう言って電話を切ってしまった。
カッチカッチと響くのは柱時計の振り子の音のようだ。
ホーライ博士はハッと目覚めたが、ガーゼか何かが瞼を覆っていて視界は灰色、横たわった体もしびれている感じで起き上がれなかった。
ドアが開いて誰かが部屋に入ってきた。
「おや、手術はもう終わったのか?」
するとホーライ博士のすぐ近くから男の声が答えた。
「ジョーカー大佐、まだです」
「こいつの正体は?」
「動物言語学者です、バックグラウンドはないようです」
「ニュータントなのか?」
「いや、こいつのテレパシー領域は完全に眠ってます。
ドクターは今ちょっと本部に電話しに行っています」
「そうか」
「一緒に捕まえた、後ろのベッドの女は可能性があります」
「可能性?」
「テレパシーに目覚めめる可能性、ニュータント候補です」
「そいつは貴重だ、ニュータントは先週の推測で百二十万人に一人弱の確率だ」
そこへドアの開く音がして、誰かが入ってきた。
「こんちは、ドクター」
「やあ、ジョーカー大佐」
「ニュータント候補が見つかったんだそうですな」
「うん、ラッキーだ。
ニュータント候補の利用範囲は広いからな」
「私は、とりあえず覚醒させて、仲間の情報を入手するのがいいと上層部に要望しようと思う。
こっちの男の始末は決定済みですかな?」
「ナノチップDDS1を埋めるのは決定だが、その後、元の家に返すか、このままモルモットにするか、上層部の指示待ちだ」
ホーライ博士は声のやりとりを聞きながら震え出していた。
海上でケンたちを救い上げた当初は彼らの話はSF映画のようだったが、こうして自分が誘拐され、拘束され、いよいよ巨悪組織の陰謀が真実だとわかった衝撃はホーライ博士の神経をひきつらせ、全身が鳥肌に震えた。
ホーライ博士は麻酔でもつれかける舌で叫んだ。
「お前らの正体は何者なんだ?」
「あ、意識が戻ってしまったな」
「やあ、お目覚めはどうだい?」
「こんな卑劣な事をして、ただでは済まないぞ」
「ただで済むさ、我々は権力を支配するエスタブリッシュメントの側なんだ」
「どうして私の研究所がわかったんだ?」
「アランとかいうオタクが、ネットにビデオ画像をアップしようとしたところをうちのコールドウォール網が捕らえたんだ。
君たちの悪企みは未然に防いだよ」
「どっちが悪企みだ、アランをどうした?」
「彼は今はわがプロジェクトのモルモットとして第二の人生を歩き出してるよ」
「そんなこと許さんぞ」
「ベッドにくくりつけられているセンセイに何ができる?
それよりこちらから君に聞きたいのは、あのナノチップDDS1の存在をどうやって嗅ぎつけたのかという点だ」
ホーライ博士は何があってもカノンの存在だけは秘密にしたいと考えながら、言い放った。
「そんなのは簡単な話だ。
私はイルカ、鯨の研究家だぞ。
偶然、イルカの傷を見つけて、埋め込まれているチップを発見したんだ」
ジョーカー大佐はホーライ博士の目を覆っていたガーゼを取り、瞼を思い切り開いて見つめた。
「まあ、絶対にない話ではないな」
「後はアランが中身を解析して、ビデオファイルを見つけた。
たった今も君たちの仲間が良心の呵責に耐えられず、君らの組織を裏切ろうとしているんじゃないのかな?
君も一人になった時はそのことを考えてるんだろう。
それでいいんだ。
ちょっと勇気と良心を出せばいい。
私も喜んで君が組織から足を洗うのに協力するよ」
ジョーカー大佐は噴き出した。
「ハハッ、自分の立場をわきまえるんだな」
「百歩譲って、私はどうなってもいい、その代わりジュリ君を解放してくれないか」
「ジュリ君?」
「たぶん、そっちのイルカのトレーナーのニュータント候補のことだ」
「ああ、彼女はあんたよりずっと価値があるんだ。
これからは我々にたくさん協力してもらうことになるだろう」
「お願いだ、彼女は許してやってくれ」
「しつこいぞ」
ジョーカー大佐は突然、ホーライ博士の口にガーゼを詰めた。
ドクターがうなづいて助手に言った。
「麻酔を深めた方がいいな。そこのコックをひねってくれ、それでいい」
金属の音とモーターの唸りが響き、ジョーカーがホーライ博士の耳元にささやいた。
「デイドリームプロジェクトにようこそ。
さあ、白昼夢でつまらない現実を塗りつぶすんだよ」
頭の奥に冷たいものが溢れ、意識が彼方に遠のいてゆく。