第15話 10.奇襲 前編
10.奇襲
ケンは地下室から洞窟のホールに出て、マックスがカノン、ジュリと遊ぶように泳いでいる様子を平和な気持ちで眺めていた。
博士の話ではアランのおかげで告発ビデオもアップ出来たようだし、あれだけの陰謀なのだからマスコミも黙ってない筈だ。
後は平和な生活に戻れるに違いない。
パティーに振られたのも最初はショックだったが、今になってみると、もっとふさわしい恋人に巡り合うための神からのプレゼントだったかもしれない。
ケンはジュリの横顔を眺めて自分の表情がニヤけそうなのを感じた。
不意にジュリがカノンに「ちょっと上に行ってくるね」と言い、ケンに無言で会釈して研究室の中に入っていった。
ケンはジュリと二人きりで話がしたくて、後を追いかけた。
ジュリは一階に上がり、広い庭に出て小走りに進んで行く。
ケンは走ってジュリに追いつき、笑いながらジュリの肩を叩いた。
だが、振り向いたジュリは頬に涙が流れていた。
ケンは驚いて聞く。
「ジュリ、どうした?」
「なんでもないの」
「そう、ちょっと歩こうよ」
潮風は南の空気を運んで心地よい感じだ。
「僕とジュリは、ものすごいピンチを協力して生き延びただろ、それは普通の友情を超えた強い絆が生まれたおかげだと思うんだ」
「そうね」
「僕は、できればこれからもジュリを、その、守ってあげたい気持ちなんだ。
いや、まわりくどい言い方をやめると、僕はジュリが好きなんだよ」
「……」
ジュリは黙っていたが頬をほのかに赤らめた。
「よかったら僕を信頼してほしい。
もし話すことで気が楽になりそうなら、泣いてた理由を話してほしいな」
「ありがとう。
だけど私の話を聞いたら私を嫌いになっちゃうよ、それでもいいの?」
「大丈夫だよ、僕の辞書にジュリを嫌うという字はない」
ジュリはフッと微笑んだ。
「あのね、真剣な話なの」
「うん、真剣に聞くよ」
ケンはうなづいて、ジュリの話を待った。
「私は、小さい頃から、なんていうか、世の中とズレてるっていうか、何をしても馴染めないひとなのね。
例えば同級生がビバリーヒルズ高校白書の話をしてても、私も一応見てるんだけど乗れないし。
友達が隣街のハイスクールの男子がカッコイイとか言っても全然ピンと来なくて、ダンスパーティーなんて行く気もしないし。
そうするとまわりも気がつくのよ。
そして、こいつは生意気だとか、不気味だとか言っていじめるの」
「うん」
「数少ない私を友達だと思ってくれた優しい人たちにはすごく申し訳ないけど、私から本当の友情を感じるひとに巡り合ったことはなかった。
なんでだろうと思うけど、説明はつかないの。
中学高校になっても自宅で、子供の頃買ってもらったクマぬいぐるみに話しかけている時が一番なごむの。
それに気付いた親が心配して、ある日、クマのぬいぐるみを隠しちゃったの」
「そう」
「家に帰って、自分の部屋にクマのぬいぐるみがないとわかり、親に言って親が隠したとわかった瞬間、私の中の大事な糸がプチンと音を立てて切れちゃったわ。
私は半狂乱になって、口から泡を吹いて失神たわ。
信じられる?
クマのぬいぐるみを隠されたせいで殆ど大人の高校生が半狂乱になって失神よ。
軽蔑するでしょ?」
「いや、軽蔑なんかしない。
その時の君にとってはぬいぐるみのクマが大切な友達だったんだろ?」
「ありがとう。
わかってくれて、嬉しいわ。
でもその直後、クマのぬいぐるみを渡されても状態は回復しなくて、そのままオークランドの精神病院に入れられたの。
軽蔑するでしょ?」
「いや、軽蔑なんかしないよ。
心の病気なら仕方ないだろう」
「精神病院はイヤだったわ。
私を筆頭に、まともな人間交流のできない人が何人集まって作業したり、サークル活動しても、そんなの心の病気にいいとは思えなかった。
そんな時に、テレビでイルカのヒーリングクラスを目にしたの。
そこでは私より年下の私みたいな心の病を持った少年少女が浮き輪につかまってイルカと楽しそうに触れ合っている様子が映っていたわ。
とたんに私はイルカの優しさや屈託のない笑顔のとりこになったの。
私は無理言って親にヒーリングクラスに連れて行ってもらったの」
「そうか。
で、楽しかったんだろうね?」
「ええ、もちろん。
最高ーッ!
イルカは無条件に私に優しく接してくれて、無条件に私を応援してくれているって実感できたわ。」
ジュリはケンと視線を合わせ、二人は黙ってうなづき合った。
「イルカって本当にそういう性格なの。
落ち込んでるやつがていたら励ましてやろうってのがモットーみたいな。
だから私にとって、とってもとっても優しい特別な家族なの。
そのクラスで初めてイルカと触れ合った瞬間、私はロスに帰ったら絶対イルカのトレーナーになるぞって決めたの。
それから、まったく人が変わったように一気にパワー全開で、親は別の高校に移った方がいいんじゃないかって言ったけど元の高校に戻って、誰かが影口言おうがそんなのへっちゃらで、だって私はイルカのトレーナーになって弱い仲間を助けるって夢と使命があるから、水族館に自己アピールの手紙を書きまくって、それでめでたくイルカのトレーナーになれたの」
「なるほどね」
「これまでイルカにたくさん会ったけど、そんなイルカの中でもマックスは一番、私と気が合っているイルカなのよ。
一緒にいた期間は他のイルカより圧倒的に短いんだけど、マックスに会った瞬間、このイルカこそ私の一番の家族だって確信したわ。」
ジュリはふと目を伏せて、頭を左右に振った。
「なのに、今は、私よりカノンちゃんの方がマックスの声をきちんと聞けて、マックスもカノンちゃんとすごく楽しそうにしているから。
なんだか悲しくて。
なんかクマのぬいぐるみを奪われたあの時がまた来たみたいな感じで」
ジュリは力の抜けた笑みを浮かべた。
「軽蔑していいわ。
私はマックスをカノンちゃんに取られて、本気で泣いてしまう、情けない大人。
友達も恋人も作れない、精神病のレッテルを貼られた、愛される価値のない女。
ケンに愛されるなんて絶対あり得ない」
ケンは二度、三度とうなづいて言ってやる。
「そうなんだ。
ジュリは友達作るのが苦手で、ぬいぐるみに逃避して、精神病の過去があり、今はイルカに逃避しているクズみたいな女なんだ」
ジュリは両手で耳を覆ったが、ケンはその手をつかんでしっかり握り締めた。
「残念だったね。
ジュリは僕に会ってしまった。
そして僕は、ジュリの過去なんか関係なく、イルカのトレーナーとしていきいきと輝いているジュリに惚れてしまった」
ケンは熱い目で怯えた表情のジュリを見つめた。
「僕がジュリを愛するか愛さないかは、君が決めることではなく、僕が決めることだ。
僕は銃で撃たれたあの時、死んでもジュリを守ろうとしたんだよ。
あの気持ちは、君の悲劇的なストーリーを何時間聞かされたって変わりはしない。
また同じ場面になったら、同じようにジュリのために命を投げ出すよ。
僕はジュリをとことん愛する、いいだろ?」
ケンはジュリの顔を引き寄せようとしたが、ジュリは驚いて小走りに駆け出した。
だが、すぐに立ち止まって涙を拭いながら背中で言った。
「ありがとう、ケン」
ケンは研究室の地下の洞窟に戻った。
「カノン、元気そうだな」
「おじさん、どうしたの急に変な挨拶?
ははあ、ジュリにキスしようとしたけど、逃げられたのか。
でも、もうキスしたようなものなのね」
言いあてられてケンはしどろもどろで言い返す。
「あ、あのな、勝手に俺の心を読むな。
と、待てよ、その前に、カノンは人の心も読めるようになったのか?」
「読もうとしなくても、全身で雄叫びを上げてるんだもん。
ジュリ姉さんを追いかけてって口笛吹いて帰って来たの見れば、テレパシーなんか使わなくても、おじさんの単純な心は読めるわよ」
「ひどいなあ」
ケンは苦笑いした
「でも人間相手のテレパシーもだんだん使い方がわかってきたよ。
人の心はね、その人だけの周波数みたいなのがあるの。
だからその人のイメージに集中する。
すると、その人の心の可能性がいくつか読めてくるの。
周波数の小数点をさらに細かくすると可能性の声が絞り込まれてゆく。
そんな感じかな」
カノンはケンに聞いた。
「それで、ジュリ姉さんはまだ泣いてたの?」
「ジュリの心も読めるんなら聞かなくてもいいだろ」
「そうだけどさ。
でも私はマックスを独占しようなんて気持ちは全然ないの。
それはジュリ姉さんもわかってると思うんだけどな。
ただ急に泣かれてしまうと私も困っちゃうよ。
そもそも泣き虫は私の一番の得意技だったのにさ」
「なんか複雑な状況だな」
「そうなんだよね。
でも私もおじさんとジュリ姉さんのこと、応援するから、頑張ってよ」
「それはそれは、お姫様、ありがとう」
ケンは騎士がするように肘を突き出してお辞儀して見せた。
その時、マックスが急に「ギギギッ」と声を上げた。
「どうした?」
ケンが振り向くとカノンが叫んだ。
「おじさん、悪い奴らだ!」
カノンの顔がみるみる青ざめた。
「悪い奴が何人もヘリコプターから降りてくる。
私たちを捕まえに来たんだ」
「悪い奴?」
「手を上げて出てくれば命は助けてやるって言いながら。
銃を構えて博士を脅している」
上でガラスの割れる音が響く。
「助けにいかなきゃ」
ケンが走ろうとする腕をカノンが掴んだ。
「間に合わない、ホーライ博士は捕まったわ。
ケン、私たちは奴らに見つからないように逃げなきゃ」
「しかし、俺は」
博士とジュリを助けたいケンの心を読んでカノンが忠告する。
「ケンは不死身のスパイじゃないんだよ。
今、全員がつかまったら誰も逃げ出せない、誰も助けるひとがいなくなるよ」
それはその通りだ。
慌ただしい靴音が響いて、ドアが次々と乱暴に開けられる音がする。
「くそ、どうしてここがわかったんだ」
ケンのぼやきをよそに、靴音が地下に向かう階段を降りて来る。
「もう海しか逃げ道はないな」
「マックスが隠れるところに案内するって」
防水扉のレバーがまわるのを見たケンはカノンにささやいた。
「カノン、行くよ」
ケンはカノンを抱きかかえて海に入り、マックスの背びれにつかまった。
黒い目出し帽に黒い制服を着たAAGの特殊部隊の隊員が二人、防水扉から現れた。
二人は小型の自動小銃を洞窟の中にくまなくぐるりと向ける。
「クリアー」
「よし、他を探す」
二人は建物の中に引き返して行った。
マックスに引っ張られたケンとカノンは、海を岸沿いに北上した。