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6,身から出た塩

 がらんとした四角い平地の端にぽつりと2階建ての現場事務所が建っている。半年後には広い駐車場を備えた大型スーパーが建っている予定だが、今はとりあえず整地が終わり、周りをアルミの壁が取り囲んだ状態だ。

 今年は残暑が長引き、9月も半ばを過ぎたというのにいっこうに涼しくなる気配がない。今朝も天気予報は最高気温33度を予想していた。真夏とまったく変わらない。

 建設会社の幹部社員である秋山は2階の部屋でデスクに向かって役所に届けるもろもろの書類をチェックしていた。来週から本格的な工事に入る前に万全を期しておかねばならない。

 それにしても、と、秋山は書類を濡らさないように気をつけながら、いささか二重顎気味の首を手の甲で拭った。

 暑い。

 広い白く乾いた土にさんさんと降り注ぐ太陽が反射して、プレハブの簡易事務所を照りつける。

 中古のエアコンを取り付けたら火を噴きやがった。来週までには新しい物を間に合わせると言うが、俺は今暑いんだよ!

 図面もろもろ現場に常備しておく必要があり、そのチェックも兼ねてこの灼熱の監獄に出張ってきているのだが、ぶっ倒れたら労災で訴えてやるからなと思う。

 いっしょに来た助手2名は今役所に必要書類を取りに行かせて、ついでに帰りに冷やし中華を買ってこいと命じてある。

 秋山は午前11時過ぎ、独房状態で35度超の部屋にいる。全開の窓からは熱風しか入ってこない。


 暑つえー、暑つえー、暑つえー、

 と思いながら書類をめくっている内、だんだん意識が朦朧としてきて、ハッと、慌てて3、4ページ戻って読み直すということを繰り返した。

 いかんいかんと思いながら、眠くて仕方なく、ガクンと首が落ちて驚いて顔を上げて目をパチパチしたら、両腕をデスクについてすっかり居眠りしてしまっていた。

 顔が汗でぬらぬらして、半袖シャツから伸びた太い腕には脇から汗が流れ落ちてむずがゆく気持ち悪く、見ると、腕の表面に白い粉がぬらぬらした汗に浮いていた。

 何だろうと思うと、腕を載せていたデスクにも腕の形に白い粉が跡を作っていて、日焼け防止のクリームかと思ったが、試しにチロッと腕を舐めてみると、しょっぱい。

 塩だ。

 汗といっしょに流れ出た塩分が、汗が蒸発して、塩の結晶になったのだ。

 自分の体から塩が採れるなんて、学生時代の炎天下の部活動以来だ。これでも秋山は高校球児だったのである。

 あーあ、きったねえなあ、と、腕から塩を払い落とし、デスクの上の跡といっしょに定規で一カ所に集めた。ゴミ箱に捨てようかと思ったが、せっかく採取した天然塩をそのまま捨てるのももったいないかなあと馬鹿なことを考えていると、視界の端に、もぞもぞ動く物を見つけてギョッとした。正体を確かめてまたもギョッとした。

 なめくじだ。

 それも、全身青白くて、異様に大きい、10センチくらいある奴だ。

 なんだこりゃあ、気持ち悪りいなあ、と、思わず椅子から腰を浮かし、触るのなんかとてもじゃないので紙ですくい上げて外に捨ててやろうと不要になったコピー書類を持ち上げたが、ここでふと、意地悪な考えが思い浮かんだ。

 10センチもあるぬるぬるしたなめくじ。あんまり大きいんでカラの外れたカタツムリかと思ったが、皮膚にカタツムリのような甲羅状の模様もないしツノもなく、頭もしっぽも分からずひたすらぬるぬるしている。

 なめくじに塩をかけると消えてしまうと言うが、あれは本当か?

 実際はなめくじの体はほとんど水分で、塩をかけると浸透圧の差で水分が塩に吸い出されてしまいカラカラになって縮んでしまうのだ。消えてしまうまで縮みきるものかどうかは知らない。

 試してみるか、と、秋山は定規で集めた塩の山から一摘みし、デスクの端でもぞもぞしている巨大なめくじに降りかけた。

 なめくじは背中に降りかけられた塩にやけどしたようにビクンと体をのけぞらせ、もぞもぞと、体をくねらせた。

「うえ〜、気持ち悪りいの」

 悪趣味に秋山は残りの塩を定規にすくい上げ、全部なめくじに降りかけた。太った腕から採取された塩はちょうどよくなめくじの全身を覆い尽くした。

 のたり、くたり。

 青白いなめくじは塩の中を苦しがってのたうった。

「ははは。あーあ、かわいそうに」

 笑って見ていた秋山だったが、急に胸におかしな気配を感じた。つかみ所のないおかしな感じで、自分でも自分の身に何が起こったのか分からないが、何かひどく不穏な感じだ。

 なめくじを見る。

 のたり、くたり。

 本当だ、縮んでやがる。もう半分ほどに…………

「い、い、い、イテ、痛てててててて…………」

 心臓がビクビクッと躍り上がり、けいれんを続け、突然空気がなくなったように呼吸が苦しくなった。

 なんだ? いったい何が起こった?

「う、ううーーん……」

 めまいがして立っていられず、椅子の背もたれに手を付き、そのまま支えることも出来ずにドスンと床に尻餅をついた。

 呼吸が苦しく喉をあえがせる。心臓がビクビク躍り上がってはっきりと痛みを感じる。

「くっ、くっ……。くるし……、た、助け…………」

 急激に目がかすみ、ぐるぐる回りだした視界の中で、弱々しくのたうつなめくじの哀れな姿が見えた。

 何か取り返しのつかないことをしてしまったと、強い後悔と、恐怖を感じた。

「み、水…………」

 必死に腕を伸ばし、足下の鞄に入れて立ててある水筒を掴みだし、ブルブル震えて言うことを聞かない手でなんとかキャップを開け、栓をひねって口を開けると、もう限界で、デスクの上に倒した。中の麦茶がこぼれて広がっていく。

 秋山は床にゴロンと転がった。麦茶が滴ってくる。届け、届いてくれ、と必死に願った。

 ビクビクッと心臓がけいれんし、いっしょに目玉もけいれんした。

 ああ、もう、駄目だ、と思うと、ビチャッと、顔の上にぬるぬるした水っぽい物が降ってきた。

 物はぬるぬると秋山の顔の上をはいずり、開いてブルブルけいれんする口の中へ、落ちていった。

 うげえ……、と思いながら、秋山は意識を失った。



 秋山が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。実際は途中で半分覚醒してうんうんうなっていたように思うが、記憶は曖昧だ。

「ああ、よかった」

 と助手たちがほっとした顔をした。

 何が起こったのか分からんという顔をする秋山に、

「僕らが帰ってきたら倒れてけいれんしてたんですよ。慌てて119番して、処置してくれた救急隊員によると熱中症だそうですよ」

 と呆れたように説明してくれた。

「気をつけてくださいよ?」

 と、ほっとしたように笑う助手に、

「労災だ。訴えてやる」

 とうそぶいた。

 点滴を打ってもらってだいぶよくなったが、何とも変な気分だ。

 あのなめくじ。

 あれはなんだか、暑さにまいって居眠りしていた自分の中からうっかり抜け出してしまった物だったような気がする。

 なんだったのか知りようもないが、あのまま自分の塩で完全に溶けてしまったら、いったいどうなっていただろうと思い、ゾッとした。

 なんだか自分の中にダメージが残っている気がするが、自業自得、なのだろうか?

 ともかく、脱水症状には注意して、塩分とミネラルの補給も気をつけなくちゃなと思った。

 まだまだ暑い日は続きそうで、うんざりだ。


 終わり

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