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5,隠された狂気

 夜。OLの杏樹がマンションに帰ってきてエントランスに入ろうとすると声をかけられた。

「あの、すみません」

 か細くひどく震えを帯びた声だったので杏樹はびくっと、思わず反対の方へ身を引いた。建物の陰から一人の女性が顔をそっと覗かせている。思い返してみると女性はとなりのアパートとマンションの間に潜んで杏樹が歩いてくるのを待ちかまえていたようで、それはひどく不気味に感じられた。

 女性はエレベーターで何度かいっしょになったことのある人で、杏樹より3つ4つ年上の感じの、髪の長い、こう言っては失礼だが地味な、いかにも薄幸そうな人だった。

「はい? なんでしょう?」

 あまり関わりになりたくないなと思いながら一応礼儀として訊くと、女性は返事を聞くなりさささっと素早く杏樹の元へすり寄ってきて、せっぱ詰まったように早口で言った。

「突然すみません。わたし5階の山下です。主人が来ているようなんです。すみませんが、しばらくお部屋にかくまってくださいませんか?」

 杏樹は相手の必死な様子に飲まれたようにうなずいた。


 エレベーターで3階へ。

 エレベーターから降りるときも女性、山下は、通路に誰かいないかビクビク探ってから降りてきた。

「ちょっと待ってくださいね」

 杏樹は2つ鍵を開け、ダイヤル式のナンバー鍵を開け、ドアを開いた。

 山下は呆気にとられたように眺めていたが、

「どうぞ」

 と招かれると、安心したのか、口元にかすかに笑みを浮かべて

「お邪魔します」

 と、玄関に入った。

 その背後に、

 男が立っていた。

 少し離れて、向こうの壁に背中を付けるように立っていたが、蛍光灯の加減か、全体がひどく暗く、周りから異質に沈み込んでいるようだった。歳は、20代に思えるが、よく分からない。顔が、何かの陰になったように、真っ暗だったからだ。

 山下を玄関に入れた杏樹は、今度は杏樹が警戒するように左右に目を走らせてドアを閉めた。杏樹は何故か、目の前に立っている男性に気づかないようだった。

 内側からロックをかけ、レバーロックを2つかける杏樹に、山下が訊いた。

「ずいぶん厳重なんですね?」

「女の一人暮らしは物騒だから」

 杏樹は曖昧に微笑み、どうぞと、山下を部屋へ案内した。


「本当にすみません」

 申し訳なさそうに頭を下げる山下に、杏樹はじっと様子を窺いながら言った。

「あなた、以前エレベーターで会ったとき、顔を青く腫らしてましたよね? ……ご主人に?」

「ええ……」

「警察に相談した方がいいんじゃありません?」

 憤慨したように言う杏樹に山下は諦めたように答えた。

「警察は……駄目です。頼りになりません…………」

 怒っていた杏樹も毒気を抜かれたように力が抜けて、言った。

「そうね。警察は、駄目ね」

 今度は山下が顔を上げて疑問を言った。

「もしかして、あなたも?」

 杏樹はどうやら同じ悩みを持つ同類に対するフレンドリーな笑みを浮かべ、こちらも諦めたように肩をすくめてみせた。

「ええ。ストーカー被害。なんだか留守中に部屋を物色されたような跡があって、専門家に調べてもらったらあちこちの部屋から3つも高出力の盗聴器が発見されて。警察にも相談したんだけど、なんだか面倒なことを言われて、お巡りさんに部屋を調べられるのも嫌だなと思って、けっきょく相談だけで。殺されてからじゃなくちゃ警察はまともに動いてくれないのよね?」

「そう……ですね…………」

 暗い顔でうつむく山下に杏樹は、あ…、と、うっかりしたことを言ってしまって後悔した。

「どうぞ、楽にして。なんなら後でいっしょに様子を見に行ってもいいから」

「そんな。そこまで甘えちゃ……」

「いいから、気にしないで? ちょっとごめんなさい。メーク落としちゃいたいから」

 山下に気を使ってしばらく一人にしてやろうと杏樹は洗面所に入った。

 落ち着いた笑顔で見送った山下は、杏樹が洗面所に消えた途端、ガラリと表情を変えた。

 ソファーから立ち上がると、素早く視線を辺りに走らせ、ピタリと、視線を定めると、寝室へ向かった。

 洗面所から水音が続いているのを確認し、壁のスイッチで灯りをつけると、緊張した面持ちで部屋を見回し、ベッドに向かうと、頭の小棚の引き戸を開け、小さな鍵を取り出すと、となりのチェストの一番下の戸の鍵を開けた。

 カチッとマグネットの戸を開けた山下は、ギョッと目を見開いた。

「あった…………………。やっぱり、あいつが………………」


「恩知らずの泥棒猫」


 後ろからかけられた声に

「きゃっ」

 と悲鳴を上げて、山下は足を滑らせ、もしくは腰が抜けたように、床に尻を着き、背をベッドに押しつけた。

 寝室の入り口に杏樹が冷たい顔をして立っていた。

 山下も負けじと怒りのこもった目でにらみ返した。

「やっぱりあなたが達彦を……」

 杏樹は冷たく落ち着いたまま訊き返した。

「ご主人にDVを受けているって、嘘?」

「ええ。こうしてあなたの部屋に入るためにね」

「盗聴器を仕掛けたのもあなた?」

「ええ。用心してしっぽを出さないあなたを探るためにね。おかげで隠し場所を割り出すことが出来たわ。油断したわね? これでもう言い逃れできないわよ?」

 杏樹は腕を組み、首を傾げた。小馬鹿にしたような態度に焦りながら山下はざまあみろというように笑いながら暴露した。

「知らなかったでしょうけれど達彦はわたしの弟よ。子供の頃両親が離婚して別々に暮らしていたのよ」

 杏樹は首を傾げなおした。

「知ってたわよ」

 山下の笑いが固まった。

「あなたがこのマンションの住人でないこともね。女のストーカーなんて鬱陶しいから、誘い込んであげたのよ」

 杏樹は入り口の柱に立てかけてあったスティックを取り上げた。先に付いた機械のスイッチを入れる。バチイッと青い火花が散った。スタンガンだ。高出力の。

 山下の顔が恐怖に引きつった。

 杏樹は残酷に笑いながらスタンガンの槍を構えゆっくり近づいてきた。

「大事な弟といっしょに眠らせてあげるわ、お義姉さま」

 恐怖に怯えた山下は自ら追いつめられた隅でバタバタした。突き出されてくる青い電流の槍に、とっさに戸棚の中の物を両手に掴んで突き出した。

 それは、透明の樹脂で丸く固められた、若い男性、達彦の、生首だった。

 槍の先と達彦の生首の樹脂がぶつかると、バチイッ、と青い電流が放電し、槍をヘビのように伝って杏樹の腕と体にはい回った。

「アガガガガガガガガガガガガ・・」

 杏樹はガクガク震え機械のように壊れた悲鳴を上げて、バチイッ、と、槍を放り出すと、両腕を大きく広げて、後ろにばったり倒れた。

 山下もびっくりして弟の生首を掲げたまま目を丸くしていたが、やがて倒れてビクビクけいれんしている杏樹を見て、アハ、アハ、と、笑い出した。

 ひっくり返って天井を見上げた杏樹は、自分の頭の上に男の暗い影が立っているのを見た。

 男は杏樹を見下ろしていたが、その顔は真っ黒な陰になって分からなかった。

 アハアハ笑った山下が……彼女もそこに立つ男には気づかないようで、這い寄ってくるとおもちゃで遊ぶように杏樹の腹を小突いた。ビクビクけいれんを続ける杏樹の顔を覗き込み、

「どうしよう? そうだなあ、警察は、当てにならないものねえ?」

 と、生首の丸い樹脂を杏樹の顔のとなりに寝かせ、スカートの背中に隠し持っていた包丁を取り出した。新聞紙で作った鞘を抜き、ギラリと白い刃を光らせた。

「達彦を愛してた? そんなに自分の物にしたかった? じゃあね、お望み通り、永遠に二人を一つにしてあげるわ」

 包丁が首にあてがわれ、残酷に見下ろす山下よりも、杏樹はとなりのつるつるの樹脂の中の生首に目を向けた。

 達彦の生首はギョロッと眼を動かし、嬉しそうに、残酷に笑った。



 終わり

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