22,すべて愛のため
俺は彼女の結婚式を陰からこっそり見守っている。
純白のウエディングドレスに身を包んだ彼女はまさに汚れなき処女のように輝いていた。
その幸せそうな笑顔が向けられる相手の男に、俺は正直、殺してやりたい嫉妬を感じる。
その笑顔を自分に向けてくれたならと、悲しくてならない。
それでも俺は、愛する彼女の幸せを望む。
この気持ちに一片の嘘偽りもない。
俺はそれを、じきに証明してみせよう。
幸せいっぱいの彼女だが。
しかし彼女とこの男の結婚には問題があった。
相手の男には元々奥さんがあり、彼女との恋愛は、不倫関係だったのだ。
それがこうして晴れて結婚の運びとなったのは、男の奥さんが亡くなったからだ。
今から1年半前、何者かによって殺されたのだ。
その時から既に男は彼女と付き合っていた。
当然男は真っ先に疑われたが、男には確固としたアリバイがあった。
遠く離れた土地へ彼女と不倫旅行していたのだ。
もし仮に男が不倫している彼女との結婚を望んで邪魔な奥さんを殺したとして、まさか不倫の密会の真っ最中にどういうカラクリでか遠く離れた奥さんを殺すような大胆な犯行を、刑事ドラマでもあるまいに出来るものではないだろう。
事実男は自分のアリバイ証明に苦慮し、相当頑張ったようだがとうとう不倫を告白し、それは周囲に知られることとなり、相当手ひどい陰口を言われる肩身の狭い思いを味わうこととなった。
そういう思いをしてまで彼女と別れることはせず、こうして結婚まで果たしたのだから、彼女への愛は本物なのだろうと一応認めてやろう。
俺と彼女の関係だが、彼女は俺の先生だった。といっても俺の方が10近く年上だが。
俺は当時リストラされ、ハローワーク通いの日々を過ごしていた。
求職活動の一環としてパソコンの事務を習い、その授業を担当したのが彼女だった。
彼女は明るく、親切で、美しかった。
腐りきっていた俺の心に、人生の希望の光が射すようだった。
俺は彼女に、本気の恋をした。
彼女の授業のおかげで何とか再就職に成功した俺は、ありったけの勇気を振り絞って、彼女に交際を申し込んだ。
結果は、玉砕だった。
本気で申し訳なさそうに「好きな人がいるんです」と言う彼女に、俺は「どうぞお幸せに」と頭を下げて別れた。
彼女ほどの人に愛されるなど、その男はなんと幸せな奴だろうと悔しくてならなかったが、自分のことを考えてみれば、こんな社会の同情でなんとか生きさせてもらっているような情けない奴といっしょになっても、彼女は幸せになんかなれないだろうと思った。
彼女のような素晴らしい女性には、きっとお似合いの素晴らしい男性がいるだろうと思った。
自分が惨めだったが、俺は彼女の幸せを願い、彼女のことは忘れることにした。
ところがだ。
夜の飲み街でやけ酒を梯子していたときだ、ふらふらどこを歩いているんだか分からずに、俺はいつの間にやらシックなラブホテル街に迷い込んでいた。俺のような男にはとんとご縁のない所だ。
そこで俺は、最も見たくない物を目撃してしまった。
ひっそりと、仲むつまじそうに出てくる、彼女と、男の姿だった。
彼女への失恋を紛らわせるために飲んでいたところで、彼女の生々しい愛の現場に出会ってしまったのだ。俺は自分のあまりの間の悪さを呪った。
俺はいっぺんに酔いが吹っ飛び、惨めに物陰に隠れると、二人の後をつけだした。後をつけてどうするかなんてことはまったく考えてなかった。ただただ悔しかったのだと思う。
二人は駅に向かっていったが、妙なことに、駅に近づき人の流れが増えると、妙によそよそしく、わざと離れて歩き出し、そのまま挨拶もせずに別々の方向に別れていった。
やはりアルコールで働かない、元々出来の悪い頭の俺はその行動が何を意味する物か、その時は分からなかった。
別れた二人のどちらをつけるか。俺は彼女を追っていったら思いあまって何をしでかすか自信がなく、男をつけることにした。
改札を通る男を見失わないように、急いで切符を買い、後を追った。
降りた駅で足りない運賃を精算し、ずっとつけていった。
男は閑静な住宅街の一軒に入っていった。
その家には明かりがついていた。
玄関のドアを開ける男に、中から「お帰りなさい」と言う華やかな女性の声が聞こえた。
「ただいま」と答える男の声に、俺はようやく男と彼女の関係を知った。
二人は、不倫をしていたのだ。
俺は勝手に天使のような清らかなイメージを抱いていた彼女に裏切られた気がして、ガラガラとそのイメージが崩れ去るのを感じた。
駅に向かう道中でさりげなく離れていった様子からして彼女も男に妻のあるのを知っているのだ。
何故だ!?
あんなにも素晴らしい女性が、なんでわざわざ妻のある男と不倫なんかする!?
俺は、男への殺意をたぎらせた。
こいつが悪いのだ、こいつが、俺の、彼女を、不倫にはめやがったのだ…………
俺は男を殺すのを思いとどまった。それが普通だ。いくら恋する女のため嫉妬に狂ったからと言って、自分の人生をなげうって殺人を犯すなど馬鹿だ。
俺のどす黒い思いは、彼女に向かった。
俺の純情を踏みにじり、汚らしい不倫に走った、堕落した彼女。
そんな俺の気持ちが理不尽な物なのは百も承知だが、俺は自分の気持ちを抑えることが出来なかった。
彼女が忘れられなかった。どうしても。
俺は、これまでの生涯で、こんなにも本気で女を好きになったことはなかった。
報われない、彼女の心が俺にないと分かっても、彼女を愛する気持ちを誤魔化すことが出来なかった。
俺は、本当に、心から彼女を愛してしまったのだ。
俺に向けてくれた優しい笑顔が、泣きたいくらい、どうしても忘れることが出来ないのだ。
やはり俺にとって彼女は、優しく、清らかな、天使なのだ。
俺は、彼女にいつまでも清らかな天使でいてほしいと心から願った。
男の奥さんが殺された。
土曜の夜、ドアをピッキングした強盗によって、運悪く、命を奪われてしまったのだ。
犯人は、俺だ。
俺が、彼女の恋を実らせるため、男との結婚の障害になる奥さんを殺してやったのだ。
かわいそうな奥さん。旦那の誠実を露ほども疑わない奥さんは、自分が物盗りの為に殺されたとまったく疑いなく思いながら死んでいったことだろう。俺は奥さんにはっきり自分の顔を見せていた。俺は極悪人になり、まったく罪もない幸福な女性を殺害したのだ。旦那の不誠実を知ることなく死んでいったことがせめてもの慰めだ、なんてことは思わない。これは俺の勝手な思い込みによる理不尽な殺人だ。そのことを分からせるために俺はわざわざはっきり奥さんに顔を見せ、憎まれながら、殺したのだ。ひどい奴だ。俺は、最低の極悪人だ。
俺は奥さんを殺した後、二人がどうなるか観察していた。
二人とも周囲に不倫を知られ、奥さんの親や親戚から裏切り者の汚らしい破廉恥めとののしられた。
じっと耐える彼女がかわいそうで、俺も心が痛んだ。
もっといいやり方があっただろうが、俺にもやはり少し二人を苦しめたい意地悪な気持ちがあったのだろう。
二人の関係が壊れることを期待してもいたかも知れない。
俺は二人の出す結論をじっと待ち続けた。
二人が恥も不名誉も受け止めて、それでも愛を貫き、結婚に辿り着いたのは最初に述べた通りだ。
こうなっては俺も二人に祝福の言葉を贈るしかない。
おめでとう。
二人の愛の勝利だ。
俺は、完全に失恋した。
俺は二人がここにこぎ着けるまでの詳細な心情の流れを把握している。とりわけ彼女の。
何故なら、俺は彼女をストーカーしていたからだ。
気持ち悪い奴だという自覚はある。
彼女にも心から軽蔑されているだろうと分かっている。
二人の結婚式に俺は祝福のメッセージを送った。
これで彼女は自分をストーカーしていたのが俺だったとはっきり分かっただろう。
彼女は俺を恐れ、消し去りたいと思っていることだろう。
何故なら。
男の奥さんが殺されたのはプロの強盗の仕業だと警察では見ているはずだ。ピッキングに使用された道具がプロ仕様の物だと現在の優秀な鑑識は鍵穴の痕跡から割り出しているだろうから。まあ、プロにしては人のいる家へ押し入ったのは大間抜けだが。
当然俺はこのとき男と彼女が遠い地で不倫を楽しんでいるのを知っていた。
ピッキングのプロ仕様の道具だが、これは俺が彼女の部屋に忍び込んで、ちょうだいしてきた。
彼女はいつの間にか手に入れていた特殊な道具がなくなり、程なくしてピッキング強盗に男の奥さんが殺されたのを知ってギョッと青ざめたことだろう。
俺は、彼女が男との不倫の恋を思い詰め、男の奥さんを殺したいとまで思い詰めていたことを知っている。
それがただの妄想に済まず、具体的な行動計画を練るまでに進行していたのも知っている。
奥さんの殺され方が、自分の計画通りであることに、彼女は不審を抱いていたはずだ。
いったい何者が、自分の代わりに奥さんを殺してくれたのか、ずっと疑問に思っていたはずだ。
何者であるかは、だいたい見当がついていただろうが。
俺が正体を明かしたことで彼女は再び追いつめられた気持ちになっているだろう。
今は華やかな式の中、数少ない本当の友人たちに囲まれて幸せそうな笑顔を見せているが、きっと俺が顔を見せれば、きっと、彼女は奈落の底に突き落とされたような気分になるだろう。
自分の計画をなぞって不倫相手の奥さんを殺してやった男が、自分にどんな要求をしてくるか、警察にも訴えられずに、さぞかし絶望的な気持ちになるだろう。
俺は、君のそんな顔は見たくない。
君は俺の、生涯ただ一人の、天使なのだ。
君にはずっと、笑顔でいてほしい。
俺が君に何物も求めていないことを、すぐに教えてあげるよ。
全部、俺がやろうと思ってやったことだ。
俺は自分の罪をしたためた手紙を警察に送った後、自ら命を絶つ。
誤って女性を殺してしまった罪に耐えられず、死をもってお詫びするという言葉を警察は信じるだろう。
俺は君の部屋から道具を盗んだ後、予行練習も兼ねて留守宅を狙ってピッキング泥棒を数件働いている。奥さんを殺してしまったのは、泥棒が成功していい気になった間抜け野郎のうっかりミスだったと納得するだろう。
俺は地獄に堕ちるだろう。
まったく罪のない奥さんを殺したのだから当然の報いだ。
それでもいい。
このつまらない人生で、君は俺に幸せを感じさせてくれた。
君が、俺の人生を救ってくれたんだ。
君はずっと天使のまま、幸せな人生を送ってくれ。
それが俺の唯一君に望むことだ。
さようなら。
愛を与えてくれて、ありがとう。




