04 エヴリン、魔王に会う
前魔王の妹とばれたというのに、意外なことに勇者さまの態度は変わらなかった。むしろ魔族に襲われていた勇者さまを助けたためか、態度が最初の頃より軟化していた。
毎日朝早いエヴリンに迷惑をかけないようになるべく早く起きようとしている姿は中々に面白い。
眠たそうな顔を必死で押し隠しながら、妙に舌足らずな口調で「おはよう」と挨拶する勇者さまは実に可愛らしいのだ。
そんなことを口にしたら一週間はまともに口を利いてくれないのは明白なので、けして指摘などしない。その事実に気づいているのは朝水汲みに付き合わされるバケツだけで、密かににやけるエヴリンを見て「悪趣味な奴だねぇ」と呆れたように言われてしまった。
もっともそんなことを気にするような繊細な精神など微塵も持ち合わせていないエヴリンは、今日も誰より早く起きた。
両手を伸ばしながら空を見上げる。今日も雲ひとつない空を見上げながら口元を緩めた。
「今日もいい天気のようねぇ」
エヴリンの暢気な言葉が霧深い夜明け前の辺りに響き渡ったのであった。
その日は普段通り過ごしていた。野菜に水やりをし、家具たちと戯れる。遊ぶのは楽しいし、騒がしい家具たちと過ごすのは面白いのだ。
最近ではそこに勇者さまも加わったので、更に面白さが倍増していた。
とはいえ、やらなければならないこともたくさんある。はしゃぎまくる家具を適当にあしらいながら、水やりを終えたエヴリンは薬の調合に専念することにした。
先日勇者さまに使った薬とはまた別のものを作っているのだ。
もちろん邪魔してくる家具たちは勇者さまに押し付けながら、ごりごりと薬草を磨り潰すだけの退屈な午後を過ごしているときだった。
突然の訪問者がやってきたのだ。
本来エヴリンの領域に侵入できるものは限られている。先日魔物が進入したのが可笑しかったのだ。
しかし、やってきた訪問者は侵入してきた気配すら感じさせずにここまでやってきたのだ。
最も、周りの連中が気づいていなかっただけでエヴリンは気づいていた。
気づいていただけで、特に何もしなかった。だって、結界を強化して追い出したりしたら逆に燃え上がって更に侵入してくるかもしれない。
それだけは何としても避けたかったエヴリンは久しぶりに訪れた訪問者を目の前に唇をつり上げた。
「お久しぶり。元気そう、というわけでもなさそうだけど」
「お前も相変わらずのようだ」
「褒めても何もでないわよぅ」
「褒めてなどいないさ」
それよりも、と視線を走らせ、訪問者はエヴリンの家の中を観察するように見つめる。幸い勇者さまは外に出かけているため、今は家にいない。
ここにいるのはエヴリンだけだ。
にこやかに微笑みながらエヴリンは瞳を細めながら沈黙する訪問者を無遠慮に眺めた。
顔立ちは中性的で綺麗系だ。冷たい印象を与える切れ目の瞳に、能面のような無表情。観賞用にはもってこいの美貌なのだが、いかんせん笑みがない。
勇者さまのようにからかえば可愛らしい反応が返ってくるわけでもなく、表情の変化に乏しい目の前の訪問者をエヴリンはあまり好きではなかった。
家の主の許可を取る前から椅子に座る横暴な態度とか、色々と気に食わない。普段うるさいほど騒がしい家具たちだが、訪問者の異質な雰囲気に飲まれたのか、驚くほど静かだった。
そんなところも気に入らず、エヴリンは暖炉で沸かしていた薬缶を手にとると、とりあえず紅茶を淹れることにした。
別に自分が招いた客人ではないので適当に淹れる。美味しいかどうかは別として、目の前に置くとエヴリンも反対側に座ることにした。
自分の飲む分には砂糖とミルクをたっぷり入れる。くるくるとスプーンで掻き混ぜていると、涼やかな声が聞こえた。
「リリアンはどこだ」
先日聞いたばかりの言葉にエヴリンはあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
半年に一度耳にすればいいほうだというのに、なぜ頻繁にその名前を聞かなければならないのだ。
いくらエヴリンの姉とはいえ、巷では残虐非道と呼ばれる前魔王だ。出来ればそんな物騒な名前あまり聞きたくなかった。
それに家具たちにも悪影響だといわんばかりにエヴリンは紅茶を片手に訪問者を睨みつけた。
「突然やって来たと思ったら、もしかして用件はそれ? だったら帰ってもらえないかしら。私が知っているわけないじゃない。リリアンの行方なんて」
隠居してから姿を消した姉の行方はエヴリンにも分からない。訪問者は未だに諦めず探しているようだが、成果はいまひとつのようだ。
まあ、姉が本気で逃げているのなら絶対見つけられるはずがない。何せあのリリアンだ。唯一の血縁者である彼女をよく知るエヴリンはそんなことを思いながら紅茶を口に運ぶ。
甘ったるい紅茶を飲み干しながら、訪問者の様子を窺うが、相変わらず何を考えているのか分からない無表情だった。
抑揚のない声が狭い部屋の中に響く。
「だが、お前はリリアンの唯一の血縁者だ。何か分かるだろう?」
「このやりとり毎回来るたびにやっているのに憶えてないの? 学習能力がない人ねぇ。私が言えることはただ一つよ。リリアンに会いたいのなら待つしかないわ」
「あとどれくらい待てというつもりだ」
「さあ。私はリリアンじゃないからそんなこと分からないわぁ」
行儀悪く音を立てながら紅茶を啜れば、あからさまに眉をひそめられた。
まったく、わざわざ自分が話に付き合っているというのに、この態度。一度しばいた方がいいのではないだろうか?
そんなことを思いながらエヴリンは溜息をこぼした。
気紛れで自由奔放な姉は魔王という地位を職務放棄したあと、姿をくらました。その被害を一番食らっているのは目の前の訪問者であることは間違いない。
本当ならばこんな所に訪れることすら出来ないほど忙しい身でありながら、リリアンを見つけたい一身で時間を捻出し、こんな場所までやってくるのだ。
まあ、一番やってくる可能性が高い場所でもあるだけに、訪問者も期待を込めて来ているのだろう。
そんなことを言われても姉のリリアンはここにいないし、来たこともない。自分のことなど忘れているのではないかと思うほどだ。
「とにかく、こんな辺境の地にあのリリアンがやってくるわけがないでしょ? 残念だけど、今回も空振りのようねぇ。だから早く帰って頂戴な」
笑みを浮かべたまま、適度にあしらう。元より招き入れた者ではないため、こんな所にいてほしくないと言うのが本音だ。
それに勇者さまと鉢合わせると、これまた面倒なことが起きるのは間違いなかった。
出来れば今のうちに追い出したいエヴリンの願いを他所に、紅茶を口に運んだ訪問者は眉をひそめたあと、低い声で「苦い」と苦言を申した。
毎日美味しい紅茶を口にしている奴にはエヴリンの淹れた紅茶は口に合わないらしい。
別にそんなことどうでもいいからどこか行け。
そう心の中で思いながら、エヴリンの笑みがそう物語ったときだった。男は溜息を零しながら、ようやく本題へと入った。
「最近この付近で部下が三人消滅した。心当たりはあるか?」
「あら。勝手に人の領地に侵入しといてそれはないんじゃないの? それにあんな雑魚が部下だなんて……魔族が弱体化している証拠かしら」
まあ、トップがこれじゃあ、しょうがないわねぇ。いつものようにのほほんとした雰囲気で毒づくと同時に風圧を感じた。
遅れてぱらりと前髪が数本落ちていく。気がつくと、目の前に短剣を向けられていた。
相変わらず訪問者は無表情のままエヴリンを見据えている。氷のような眼差しは、怒りの炎が宿っているのが見て取れた。
無言の圧力に屈することなく、エヴリンは瞳を細めた。
「戯言はそこまでにしておけ」
「戯言ねぇ。……ねぇ、貴方。誰に剣を向けているのか理解しているのかしら?」
静かな声が部屋の中に響き渡る。朗らかな口調に隠された殺気。エヴリンはそっと短剣に触れると微笑んだ。
「怒りに我を忘れるほど莫迦じゃないと思っているけど、これでも私……意外と怒っているのよ? だって、貴方の部下たちが私の所有物を傷つけたんですもの。許せるわけがないでしょう?」
そう呟くと同時にエヴリンが触れた短剣が音を立てて折れた。そのまま黒い粒子となって分解される短剣を素早く手放す訪問者。
短剣は卓に落ちることなく、空中で分解されてしまった。目に見えないレベルにまで粒子分解された短剣を他所に、エヴリンは微笑む。
だが、その眼差しはどこも笑っていなかった。
「私の所有物に手を出した罪は重いわよ? 魔王さま。幾ら部下の失態とはいえ、貴方のモノですもの。それなりに責任はとってもらわないと。ああ、腕一本でも貰おうかしら?」
そう物騒すぎる言葉を口にしながらエヴリンは訪問者の腕を素早く掴む。ぎりぎりと指が食い込むほど強く握りしめたエヴリンは、微笑みながら力ずくで腕をもぎ取ろうとした時だった。
扉が開き、荒々しく誰かが入ってくるのがわかった。もちろんこの家に入れるのはたった一人しかいない。
勇者さまだ。
微笑みながら手を振るえば、微妙そうな表情を浮かべられた。何故そのような表情を浮かべられるのか分からない。
まあ、意味不明な勇者さまは置いておいて、とりあえず報復をしてしまおう。逃げられてもあれだし。
再び訪問者に向き直ると、腕を捻る。一応無表情のまま抵抗しているが、そんな抵抗ではエヴリンの攻撃を止めることは不可能だ。
勢いのまま腕を引っ張ろうとしたら何故か勇者さまに諌められてしまった。腕をもぎ取ろうとしているのがばれてしまったのだろう。
驚くほどその表情はしかめられていた。
「お前は何をしているんだ!」
「こいつの腕を一本もぎ取ろうかと」
「なっ……なに物騒なこと口にしているんだ!?」
「物騒? 別に物騒でもないよ。それぐらいのことをこの侵入者はやったんだから報復は当然だと私は思うんだけど」
「とりあえず止めろ! お前がそんなことをするところを見たくない!」
勇者さまの口から漏れた意外な言葉にエヴリンは思わず掴んでいた腕を放してしまった。
ぽかんとした表情をさらしながら勇者さまの顔を凝視する。こんな言葉を誰かに言われたのは初めてだった。
エヴリンの持つ力を恐れることはあっても、そんな風に見たくないと主張されたのは初めてだ。
「見たくないって……どうして?」
「え?」
「こいつは先日、勇者さまを襲った魔物の親玉だよ。それでも止めろって言うの?」
「……何度も言わせるな、莫迦」
人のことを莫迦呼ばわりした勇者はエヴリンの両手を掴むと引っ張る。椅子から立ち上がると何故か庇うように勇者の背中に隠されてしまった。
何だこれ……。仮にも勇者よりも強い自分が、庇われるという矛盾。でも、何だか嬉しくて思わず頬が弛む。
嬉しくて思わず背中にへばりつけば何故か溜息をつかれた。何故だ、勇者さまが引き寄せたくせに溜息をつくなんてずるい。
そんなことを思いながらエヴリンは勇者の肩越しに訪問者を見つめれば何故か呆れた様な眼差しを向けられてしまった。
「エヴリン、何故ここに人族がいる?」
「何故って……拾ったからに決まっているじゃない」
「拾った、か。その男が勇者であるにも関わらず、助けるとは相変わらずやること、なすこと突拍子ないな」
「なんだか失礼な言い方ねぇ」
ムッとしたようにエヴリンは唇を尖らせた。人族であろうが、なかろうが関係ない。勇者さまはもうエヴリンのものなのだ。
誰にも譲るつもりはないし、与える気もない。
それが魔王であろうとも。
そんなエヴリンの固い意思を汲み取ったのだろう。どことなく疲労の色を滲ませながら訪問者はエヴリンに掴まれていた腕をさする。
血こそ出ていないが、指先がめり込んだあとが残っており、どれだけ強い力で握りしめられていたのかがよく分かった。
「……まあいい。リリアンがここにいないのなら、居る意味もないからな。それより、そこの人族。お前はその女が何者なのか分かっていて一緒にいるのか? それはお前が思っているような女ではないぞ」
「ちょっと、何言い出すのよ!」
突然の言葉にエヴリンは驚いたように目を見開く。勇者さまに余計なことを吹き込まないで欲しい。
ようやく心を開いてきたところなのに、逆戻りするのは嫌だ。怒ったように身を乗り出すエヴリンだったが、再び片手で遮られてしまった。
ちらりと勇者さまの顔を見上げれば相変わらず厳しい表情を浮かべているが、その眼差しは訪問者の方を見つめている。
低い声が部屋の中に響いた。
「こいつは俺の命の恩人だ。それ以上でもそれ以下でもない」
疑う余地もなく、信頼していると言わんばかりの言葉にエヴリンは思わず嬉しそうに笑った。
相手が魔王にも関わらず、臆することなく対峙する姿はある意味勇者らしくて、格好良い。
だが、これ以上余計なことを言われたくなくてエヴリンは先に釘を刺すことにした。
「とにかく、今回は勇者さまに免じて許してあげるわ。だからとっとと城に帰りなさい」
出口はあっちよ、と玄関を指差しながら威嚇するエヴリンに訪問者はうっとうしい者を見るような、冷たい眼差しを向けながら椅子から立った。
「……まあいい。何か分かったら連絡しろ」
「そうねぇ、気が向いたらしてあげるわ」
連絡などする気もないエヴリンに気づいているのか、訪問者は念押ししながら帰っていった。
家を出た瞬間に移動魔法で帰ったのか、気配が一瞬にして消える。それにしてもこうも簡単に侵入されたのが気に入らない。
また強化しなければ。そんなことを考えながら一人うなっていると、頭上から呆れたように「いい加減離れろ」といわれてしまった。
ついで勢い良く勇者さまから引き剥がされてしまう。せっかく仲良くなれたような気がしたのに、それほど距離は縮まっていないようだ。
それどころか、不機嫌そうにこちらを見下ろしている。普段よりも不機嫌そうな気配にエヴリンは怪訝そうに見つめ返した。
「どうしたの? 勇者さま」
「さっきのアイツは誰だ」
「誰って……誰かも知らないで話していたの?」
驚いたように言えば、更に眉間に皺が深く刻まれる。黙っている所を見るに、本当に知らないのだろう。
勇者なのに、倒すべき敵すら知らないなんて……本当に人族たちは何も教えてなかったようだ。
エヴリンは言っていいものか一瞬悩んだが、まあ別に構わないだろうということで教えた。
「あれは現魔王だよ」
「魔王!? アイツが! 一体何しに来てたんだ!」
「うーん……ある人の捜索?」
驚いたように声を荒げる勇者にエヴリンは困惑したように答える。確かに彼はリリアンの捜索のために来たのだが、目的の人物が居なかったから帰ったのだ。
勇者など眼中にすらないのだろう。身を持って思い知った勇者さまは呆然としていた。
普通、勇者と魔王が遭遇したら戦闘が起きても不思議ではないのだ。なのに、それすら起きなかった事実が信じられないのだろう。
まあ、エヴリンの目の前で勇者さまに手を出したりしたら、それこそエヴリンが魔王を殺していたところだ。
もちろん魔王にすらなれる実力を兼ね備えているエヴリンは、二代目魔王を殺すだけの力を持っている。
だからこそ手を出さずに帰っていたのだが、勇者さまは納得していないのだろう。
その後も一人で勇者のしての威厳がないのか、とか呟いていたから色々気にしているのかも知れない。あとで慰めてあげなければ。
そんなことを思いながらエヴリンは勇者さまを慰めるいい方法を考えるのであった。