07. ペルシェ大量捕獲作戦(1)
その日、レインは久しぶりに師匠の元を訪ねていた。
特別用事があったわけではないが、体が鈍らないよう、時折ここへやってきて体を動かすようにしているからだ。
師匠の好きなシラハナスイーツを手土産に。
「師匠いる? 師匠? はげ師匠ー」
とても師匠を敬っているとは思えない名を呼びながら、ごんごんと扉を叩いた。
が、返事がない。
イライラしたレインが声を荒げる。
「大判焼き食わねーのか?」
と、その瞬間、扉が外に向かってすごい勢いで開いた。
寸でのところで飛び退き、着地したレインの鼻先を扉が掠めていく。
そして扉部分を埋めるかのように、武骨な体をした男が立ちはだかっていた。頭を剃り上げ、顔の右半分に火傷の痕。身長がひどく高いというわけではないが、鍛えられていて横幅が広い。この体格で見下ろされたら、子どもが泣き出す迫力だ。
「人がいるの確かめてから開けろよ、師匠。明らかにここで何人か殺してるだろ」
「そんな事はない」
腕組みをして弟子を見下ろしたのは、レインの拳法の師匠、ブッカート。
見た目にそぐわず甘いものが好きな師匠に手土産のシラハナスイーツを突きつけると、ブッカートは喜んでレインを中へ導き入れた。
普段は錠前屋を営んでいるブッカートだが、以前、傭兵団に属していた経験から、戦闘に関しては、それを本職とする騎士や傭兵と変わらぬ実力を有している。
2年前、ここティル・ナ・ノーグへ居ついてすぐ出会ったレインに、片手間で戦闘術を教え込んだのはただの気まぐれだった。しかしそれ以来、懐かれてしまったようで、レインは頻繁にここへやってくる。
心も体も技も未熟なこの弟子がちょくちょく遊びに来るのは、手土産のシラハナスイーツを差し置いたとしても喜ばしいことではあるのだが。
しかしながら、土産に持ってきた大判焼きを先に開け、すでに一つ目を口にしている弟子への文句は多量にあるわけで。
「勝手に喰うな、土産ではなかったのか?」
「いいだろ、一つくらい分けてくれたって」
師匠と弟子が、5個入りの菓子をそれぞれいくつ食べるのかで言い合いを始めた時。
こんこん、と窓が叩かれた。
ふとそちらを見れば、窓に映ったのはピンクの髪。
窓の外に、花売りのクラリスがにこにこと笑いながら小さく手を振っていた。
「やっぱりここだった」
ちゃっかりブッカートの家に上がりこんだクラリスは、レインが持ってきた大判焼きを嬉しそうに頬張った。
「お前、人ん家に押しかけといて図々しいな」
「ここ、レインの家じゃないよ」
ここは俺の家だという主張はせず、ブッカートはクラリスの前にもシラハナスイーツに合う緑茶を置いた。
「これもシラハナのものだ。紅茶より菓子に合うだろう」
「ブッカートさん、ありがとうございます」
「何しに来たんだよ、お前。これ食いに来たのかよ」
「違うよ、レインを探してたの。頼みたいことがあって」
頼みごと。
クラリスの言う頼みごとで、よかったことなどあったためしがない。
レインは身構えた。
「ほら、この間、妖精の森に行ったとき、ペルシェがたくさんいたよね」
「……いたな」
ペルシェは、付近に大量に生息する空飛ぶ魚のことだ。長く伸びた鰭を風に揺らしながら、ふわふわと漂っていることが多い。木の実などを食べて生活することが多く、人間に対しては無害。
しかしながら、レインにとっては非常に苦手な生物だった。
「アレがどうしたんだよ」
「あのペルシェをたくさん捕まえたいんだけど、手伝ってくれない? とりあえず、20匹」
レインは耳を疑った。
ああ、きっと聞き違いだ。
この世で最も嫌っている生物を捕獲に行くなど、考えられない。ましてやその数が数匹単位ならまだしも、10も20も捕獲したいというのだから、正気の沙汰ではない。
「帰れ」
「帰れって言っても、ここは君のうちじゃないよ。ねえブッカートさん」
「俺は帰れとは言わん」
それより、とブッカートはレインをちらりと見る。
「レイン、お前まだペルシェが苦手だったのか」
「……」
目を逸らしたレインを見て、ため息をついたブッカート。
「お前はいくつになっても……まあいい、一緒に行ってやろうか?」
その言葉を聞いて、レインはぱっと顔を上げた。
この少女と二人で妖精の森へ行くのが本当に嫌だったらしい。
仕方がない。
ため息をついたブッカートは、いつまでたっても成長しない弟子のため、倉庫の奥へと分け入った――確かどこかに虫取り網があったはずだ。
虫取り網を装備したブッカートが家の外に出ると、そこにはもう一人、少女が増えていた。
華やかな印象のクラリスとは対照的に、大人しい印象の黒髪の少女はブッカートを見てぺこりと礼をした。
「初めまして。リーシェ・マリエットと申します。よろしくお願いします」
きちんと躾けられた礼儀正しい少女だ。
ブッカートも軽く頭を下げた。
「ブッカートだ。ここで錠前屋をやっている」
「ブッカートさん、お見かけしたことがあります。朝早くに、広場で武道の稽古をなさっているのを拝見しました」
「朝早くと言っても、陽が昇ったばかりの時間だぞ」
「ええ、わたし、朝から街のお掃除をするのが日課なんです」
「ほう、それは素晴らしい。見習え、レイン。お前はヒマを持て余してるだろう?」
ここぞとばかりにそっぽを向いた弟子にやれやれ、とため息をついた。
ようやく彼が手にしている虫取り網に気付いたクラリスがにこりと笑った。
「ブッカートさん、ペルシェを捕えるの、手伝ってくれるんですね。ありがとうございます」
「ああ、気にするな」
「よかった。わたしとリーシェだけじゃ無理かなって話してたところだったの」
「……そんなにアレを捕まえて何に使うんだよ」
レインが聞いたが、クラリスとリーシェは顔を見合わせて笑うだけだった。
「秘密だよ! ね、リーシェ」
「そうね」
くすくすと笑いあう二人に、レインは一つ、ため息をついた。
と、次の瞬間、レインの姿が視界から消えた。
赤い帽子の代わりに広がる、大きな翼。
「リーシェ!」
背に大きな翼を湛えた、浅黒い肌の男性が空から降り立ったのだ。
鍛え上げた体に猛禽の様に逞しい翼。原色を基調とした見慣れない幾何学模様をあしらった布や額飾りから、この街の出身でないことはすぐにわかる。
その男性は迷わずリーシェの手をとった。
「リーシェ、探した。寺院にいないから……」
突如、降りてきたのは『アーラエ』と呼ばれる有翼人だった。
噂には聞いていたが初めて見るその姿に、ブッカートはほぅ、と感嘆の息を漏らした。
アーラエはその昔、容姿の美しさから人間に乱獲された時期もあるというがそれも納得する。この崇高な翼が碧空を裂く姿は容易に想像できる。また、その光景は心躍らせるだろうことも。
見慣れない装飾も、アーラエという種族が独特に持つ文化によるものなのだろう。
「ごめんなさい、キジャさん。今から森へ出かけるの」
「ならば一緒に行く」
即答したキジャの足元で、うめき声。
キジャの足元に、赤い帽子。
ゆっくりと足を退けると、赤帽子が跳ね上がった。
「普通に人を踏みつけてんじゃねぇよ!」
後頭部を抑えながら勢いよく起き上ったレインに、キジャはきょとんとした顔。
リーシェの手をとったまま、少し首を傾げて、謝罪した。
「すまない、小さくて……リーシェしか目に入らなかった」
その言葉で完全に沸騰したレインの襟首をブッカートが寸でのところで掴む。
宙に吊り上げられ、手足をばたばたさせたレインだったが、無駄だと悟ったのかしばらくするとようやく静かになった。
目標、ペルシェ20匹。
報酬、なし。
期限、陽が落ちるまで。
クエスト受諾。