--. もふカフェにて(1)
柔らかな日差しの午後、エリンは店のカウンターで目を覚ました。
それに気づいたオーナーが声をかける。
「おはよう。今日は早かったね」
「ん……また寝ちゃってた。ごめんなさい」
眠い目を擦りながら、とん、と高い椅子から飛び降りたエリンに、店のオーナーは優しく微笑みかける。
「いいよ、今日はお客さんが少ないから」
「でもちゃんと働くの」
被っていた耳付きフードを脱ぐと、長く三つ編みにした新緑色の髪がこぼれ出た。しかし、また瞼は半分おちて、気を抜くと夢の世界へ逆戻りしそうだ。
通りに面した大きな窓からは、明るい陽射しが入り込んでくる。麗らかな陽気に、カフェ店内はぽかぽかと暖かく、普段からよく眠るエリンでなくとも睡魔に負けてしまいそうだ。
いくつか並んだ木のテーブル席に、お客さんがちらほらと座っており、足元を『ガート』と呼ばれる小動物が駆けまわっていた。
ガートは小さな子供がちょうど抱きかかえるようにして持ち上げられるほどの大きさの生き物で、ふわふわとカールした毛並みと鳥の羽毛のような耳が特徴の愛らしい動物だ。
このカフェには多くのガートが住んでいる。もこもこ、ふわふわしたものが好きなエリンが少しずつ集めたガートたちを、お客さんが自由にガートと触れ合えるようにとカフェの中に開放したのはオーナーのアイディアだった。
今では、ガートと触れ合えるカフェとして、ガート目当てにやってくるお客さんも多いほどだ。
最も、ガートが自由に走り回っているこの空間を誰よりも楽しんでいるのはエリンなのだが。オーナーがお客さんより先にエリンの事を考えてそうしたのは、言うまでもないかもしれない。
エリンは足元に寄ってきたガートを胸元に抱き上げ、頬を寄せた。
その様子を見て、オーナーは顔を綻ばせる。
「じゃあ、テラスのお客さんにこれを運んで、注文がないか聞いてきてくれるかな?」
「分かった」
いい子だ、とエリンの頭を撫で、トレイに載ったアップルティーを渡した。
店の奥には庭へと抜ける扉があり、ガートもお客さんも自由に庭へ出入りできるよう、常に開放している。庭にもいくつかの席を設けてあり、天気のいい日はそこをテラス席として利用していた。
一番お気に入りのガート、リンリンを抱えたままトレイを持って庭へと向かうエリンに、オーナーは念を押す。
「零さないように気を付けるんだよ」
「はぁい」
不安げに見送るオーナーを背に、エリンは庭へと向かった。
一面芝生に覆われた庭では、店内よりさらに多くのガートが駆けまわっていた。大樹の木陰で眠っていたり、数匹がじゃれまわっていたり。庭の隅にはガート専用に立てられた小屋があり、そこで休んでいるガートも多い筈だ。
穏やかな風が吹き抜けるテラス席で、長身の男がぐったりとテーブルに伏していた。
エリンは、テーブルに運んできたアップルティーを置いた。
「こんにちは、アレイくん。今日はお仕事、お休みなんですか?」
「あ、店長さんっ」
エリンの声を聞いて、机に突っ伏していたアレイはぱっと顔を上げた。
「昨日と今日は休みですっ」
「でも、お疲れみたいですけど」
「あ、これは……」
アレイは、昨晩の不思議な冒険をエリンに話した。
妖精の森で100年ラミナにであったこと。幻覚の火蜥蜴と戦ったこと。そして、妖精の森で夜明けを見たこと。
しかし、昨夜、家に帰らなかったことが姉にばれ、今日は朝からずっとしごかれていたせいで疲れている、などとは口が裂けても言えなかった。
エリンはアレイの向かいの席に座って、楽しそうにその話を聞いていた。
「妖精の森の夜明けは、きっと、とってもきれいなんでしょうね」
「ええ、本当に綺麗でした。だから今度、一緒に」
見に行きませんか、と言いかけて、アレイははっとした。
夜明けを見るということはつまりその前の晩から一緒だということでそれは……
「……なんでもないです」
首を傾げるエリンから目を逸らし、アップルティーを口に運んだ。
抱えたリンリンを撫でる小さな手を見ながら、でもきっといつか誘おう、と心の片隅で決心した。
柔らかな緑の髪が風に吹かれて揺れる。
新緑と同じその鮮やかな緑色に、見覚えがある気がした。真っ赤な帽子の隙間から覗いていた、柔らかそうな新緑色――
じっと見ているアレイに気付き、エリンは再び首を傾げる。
「あ、いえ、やっぱり何でもないです」
呪いをかけた姫君は、茨の森で眠り続ける。
残酷な現実に傷つかぬよう、優しい夢に守られながら。
耳に響くは揺籃歌。
うとうとうとと誘うように。
眠りを忘れた少年が、いつか目醒めさせてくれることを、心のどこかで願いながら。