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05. 100年ラミナ(5)


 辺りに静けさが戻ってきた。

 炎が爆ぜる音も、全身を焼く熱風も、地面を揺らす足音も、すべてが消え去った。

 代わりに再び、柔らかな花の絨毯が舞い戻ってくる。

 100年と言わず、悠久の時を経てきたような立派な枝ぶりの黄金林檎の木も、その下で静かに目を閉じた巨大なラミナも、そのままだった。

 まるで、先ほどまでの戦闘が嘘だったかのように。

 アレイは剣を収め、辺りを見回す。

「今の火蜥蜴サラマンダはいったい……?」

「幻覚だ」

「いったい誰の?」

「知るか」

 この巨大なラミナの仕業か、それとも他の誰かの干渉か。

 もし他の誰かの干渉だとしたら、これを仕掛けた誰かは、場に魔法を固定するとてつもない技術を持っていることになる。

 もちろん、今のレインには逆立ちしてもできはしない高等技術だ。

 舌打ちしたレインは、気を落ち着かせようと、鞄から取り出した林檎を齧りはじめた。

 寄ってくるペルシェからさりげなく遠ざかり、目を逸らしながら。


 クラリスは、再びラミナの傍に跪き、おそるおそる手を伸ばした。

 細い指がそっと固い鱗に覆われた皮膚に触れる――今度は、大丈夫なようだ。

 ラミナは、細い目の隙間からきらきら光る漆黒の瞳を覗かせた。

 ほっとして微笑んだクラリスは、優しくラミナに話しかけた。

「眠っていたの? 起こしてごめんね」

 相好を崩して笑うクラリスは、嬉しそうにラミナの頭を撫でた。

「きっとあなたは、精霊に近い存在なんだね。わたし、あなたがなんて言いたいか分かるよ」

 クラリスは、自分の右肩に根を這わせた寄生樹に手を当てた。

 凄惨な過去から、身内に巣くった寄生樹と共に生きるクラリスは、精霊や妖精の言葉を理解する。精霊ではなくとも、同じ植物の宿るラミナとは波長が合うのかもしれない。

「あのね、私たちの友達が、あなたの背中の花びらで美味しいお菓子を作りたいんだって。だから、少しだけ花びらを分けてほしいんだけど、いいかな?」

 クラリスの言葉に、そのラミナはゆっくりと頷いた、ような気がした。

 さらに、何かを訴えかけるように左右に首を振る。

 ラミナがいったい何を言ったのか、クラリスははっとして目を伏せた。

「どうした?」

「この人は、もう動けないんだって。背中の木が大きくなりすぎて、もう……」

 クラリスは言葉をきった。

 よく見れば、林檎の木はラミナの背だけでなく、地面にも徐々に根を下ろしつつある。100年間生きたというこのラミナがこの場所で動けなくなったとき、林檎の木は大地に根を下ろすのだろう。

 動けなくなった生物に待つのは朽ち果てる逝く末だけ。

 レインも口を閉ざした。

 深い皺が固い皮膚に刻まれた巨大な蜥蜴は、優しい目をして3人を見上げた。

 何かを伝えようと、口を少し開けて。

 その言葉を、クラリスはちゃんと聞き取った。

「夜明けが見たい……?」



 いつしか、森はすっかり暗くなっていた。

 ただ燐光を帯びた黄金林檎の木だけが淡く光を放っている。

 ラミナの横腹に体を預けるように、3人は足を投げ出して座った。曇天は徐々に夜闇に変わり、肌を撫でる風が冷たさを増す。

 周囲をひらひらと舞っていたペルシェは、それぞれの住処に戻って行ったようだ。

「妖精の森の夜明けはとっても綺麗なんだって。少しずつ朝日が梢から差しこんできて、温かくなってきて。それから、動物が起きだして、ペルシェたちが集まってきて林檎の花びらをつつくの」

 クラリスが100年ラミナの言葉を伝える。

「でもね、最近は眠る時間が多くなってしまって、なかなか朝まで起きていられないんだって。わたしたちがここにいれば、起きていられるかもしれない……朝日を見るのは、これが最後のチャンスかもしれないから、って」

「最後ってなんだよ。100年も生きといて、明日くたばるわけじゃねぇだろ」

「でも、叶えてあげたいじゃん。ね、アレイくん」

「そうですね。こんな生き物が近くに住んでいたなんて、全然知りませんでした。まだまだ知らないことはあるんですね」

 普段は無表情なアレイだが、今はほんの少し高揚していた。小さいころからずっとティル・ナ・ノーグに暮らしているアレイですら妖精の森に住む100年ラミナの事を知らず、もちろん見たこともなかった。

 おとぎ話の世界にしかいないと思った生物がいま、自分の隣にいるのだ。

 姉上にも教えて――と思ったが、この大きさでは備蓄食糧にされかねない。むしろ、珍しいものが好きなティル・ナ・ノーグの領主に教えたい。

「ここに魔法を残して行ったのは、この人のお友達なんだって。『君が見つからないように』って。近寄れないように惑わせる魔法と、幻覚で追い払う魔法の二つを残して行ったらしいの。素敵なお友達だね」

 ぽつり、と雨の音がした。

 朝焼けのジンクスを守って雨が降り出した。

「……そう言えばさ、レインはクレイアに報酬をもらったりするの?」

 逡巡したが、こうして100年ラミナと交渉ができたのはクラリスのお陰でもある。報酬をねだられる前にはっきり告げておくべきだ。

「林檎5個」

「レインってさ、たまに安いよね」

「うるせぇな」

 鞄から取り出して齧った、最後の一枚のクッキーは少し湿気っていた。

「ちゃんと夜明けには晴れるよね?」

 言葉と裏腹に、頭上を覆う林檎の葉に落ちる雨粒が少しずつ強さを増していった。

 夜が更けていき、クラリスは眠い目をこすり始めた。

「寝てろよ」

「でもわたしも一緒に……」

「朝になったら起こしてやるよ」

「えー、レイン忘れそう」

「大丈夫ですよ、ちゃんと起こしますから」

 慌ててアレイがとりなした。

「うーん、じゃあお願いしようかな」

「何でオレの方は信用しねぇんだよ」

「だからレインはわざと忘れそうだからだよ」

 何だそれ、というレインの言葉を無視して、クラリスはラミナの背に体をもたれた。

 すぅすぅと静かな寝息が聞こえてくるまで、時間はかからなかった。



 沈黙の隙間を雨音が埋めている。

 徐々に激しくなっていく雨は、地面を埋め尽くすほどに敷き詰められた花びらを蹂躙していく。暗闇の中、花びらを叩く雨粒だけが時折、小さく瞬いていた。

 不意にレインが口を開いた。

「お前は寝ないのか?」

「ええ、騎士団で徹夜の作業には慣れていますから。レインさん……こそ、眠らないんですか?」

 おそるおそるアレイが尋ねた。

 が、返答はなかった。

 やっぱりか……とアレイが諦めかけたとき。

「オレは眠れないんだ」

 目の下に深くクマを刻む少年は、ぽつりとそう言った。

 真っ赤な帽子を目深に被り、膝を抱えて闇を睨みつけながら。

 その姿は闇を怖れるわけではなく、ただ受け入れてそこにいる。ただ気配を消してじっと太陽が昇るのを待つことに慣れているようだった。

「眠らないんじゃなく、ですか?」

 アレイの問いにはそれ以上、返答がなかった。




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