04. 100年ラミナ(4)
背に宿る炎、業炎を纏う鱗、長く伸びた尾の先には毒刺がある事は冒険者でなくとも誰もが知っている。強大な鉤爪を湛えた四肢が、煙を上げながら足元の大地を蹂躙した。
それほど大きくないとはいえ、本来は火山地帯に住む生き物だ。こんな場所に、それも唐突に現れるはずがなかった。
しかし、確かに目の前にいる。
曇天に向かって大きく咆哮した火蜥蜴は、口の端から炎を漏らしながら、灼熱の目でレインたちを睨みつけた。
「どうしてここに火蜥蜴が――?!」
それよりなにより、目の前にあったはずの林檎の木はいったいどこへ消えたのか。
息を呑んだアレイだったが、そこはティル・ナ・ノーグの平和を守る天馬騎士団の一員。
すぐに冷静さを取り戻し、後ろに二人を庇うようにして腰の剣を躊躇なく抜き放った。
「お二人は逃げてください。そしてできれば、他の騎士団員をここへ」
「そんな、アレイくん一人を置いていくわけには」
「いいから早く!」
アレイはそう言うが、置いていくわけにはいかない。
クラリスは短剣を取り出した。
が、レインはぼんやりとその様子を見ている。
「レインも手伝いなよ」
「オレ、あーいうのは無理。ヒト型専門。それにお前の方が強ぇじゃねーか」
「だからって、ちょっとは手を貸してくれたっていいじゃん」
「そこのでかいのが働くんだろ、アイリスの代わりなんだから」
「もうっ」
『そこのでかいの』――背後から聞こえた言葉に、アレイはため息。なぜ俺が、などという問いは聞き飽きた。
と、その瞬間に火蜥蜴の口から炎が迸った。
「危ない!」
「――っ」
弾けるようにしてその場を飛び退ったアレイ。
しかし、炎は右腕を掠め、焼けつく痛みを残して行った。
慌てて確認したが、火傷などは負っていないようだ。痛みに反して、服にも焼けた痕はなかった。
不思議に思いつつも、剣を再び構えなおす。
と、その隣に短剣を構えたクラリスが並び立った。
「貴方は逃げてください」
「嫌」
どうやら花売りのクラリスは、ふわりとした印象に似合わず、姉のアイリスと同じく意志の強い性格らしい。彼女はアレイの言う事など全く聞いてはくれなさそうだ。
それでも、一般人を巻き込むわけにはいかない。
何とか後衛に下げようというアレイの思いとは裏腹に、クラリスはぱっと敵を指す。
「アレイくんは右、わたしは左」
有無を言わさず火蜥蜴へと向かっていったクラリスを、アレイは慌てて追った。
レインは、左右に散って火蜥蜴に向かっていった二人を見送った。
あの二人なら大丈夫だろう。どちらにしても、あの火蜥蜴は見かけ倒して、人を傷つけたりはできないはずだ。
無用だと思うが、助けを呼びに行くか――と振り向いた時、ふいに耳元で精霊が囁いた。
――ボクが助けてあげようか?
「お前に何ができんだよ」
そう問うと、普段なら姿を現さない精霊ランカがふぃっとシャツから抜け出してレインの頭上に現れた。
精霊ランカは、姿も声も変幻自在であり、現在は契約者のレインと同じ姿をしている。『黄泉墜とし』――相手に強力な催眠術をかけることのできる能力を有している。
――根本的にね 似てるんだよ ボクの能力とこういう能力は
「似てるだと?」
ここにいるはずのない生き物が突然現れた。火に舐められたはずが、焼けなかった服。よく見れば、火蜥蜴が激突しても木々は倒れず、炎が掠めても草木は燃えていない。
答えは簡単。
「この幻覚、お前になら『消せる』んだな?」
――もちろんだよ
確かに、幻術も催眠術も、『感覚』を乗っ取るか、『意志』を乗っ取るかの違いこそあれ、根本的には人間の意識に働きかける能力だ。
「……手ぇ貸しやがれ」
手伝わないってあの子に言ったのに、キミはゲンキンだね、というランカの軽口は受け流し、レインは火蜥蜴に向かって駆けた。
それに気づいたアレイが慌てて止める。
「危険です! 下がってください!」
「お前はあの蜥蜴の動きをとめろ」
「ええ?! 無理ですよ!」
「いいからやれ」
「無茶です!」
「やれっつってんだろ」
何を言っても聞いてもらえそうにない。
こうなっては、一か八かだ。
アレイは愛剣を縦に構え、火蜥蜴の真正面に立ちはだかった。
火蜥蜴が焔を吐こうと大きく口を開けた瞬間、横からクラリスの鋭い短剣が飛び、蜥蜴の舌に突き刺さる。
勢いで頭から突進してきた火蜥蜴を、アレイが渾身で受け止めた。
ざざざ、と両足が地面を抉り、両腕にとてつもない負荷がかかる。数メートル、吹き飛ばされるのを懸命にこらえたところで力が拮抗し、ようやく火蜥蜴の足が止まった。
そこへ、火蜥蜴の頭上からレインが降ってくる。
「消えやがれ」
レインが火蜥蜴の脳天に両手を叩きつけた瞬間、そのイキモノはまるで嘘のようにその場から消え去ってしまった。