03. 100年ラミナ(3)
レインたちが住むティル・ナ・ノーグの街並みを見下ろす高台に位置するブランネージュ城、それを取り巻くように横たわるのが妖精の森である。小動物が多く生息し、深緑が生い茂る豊かな樹林が広がっていた。
木々の隙間から午後の陽が零れ落ち、新緑の地面に紋様を描く。
吸う息すらも街中より澄んでいる気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
「霧の深い日にね、この森を歩くと妖精に会えるんだって。本当かな?」
花篭を胸元に抱えたクラリスは、まるで木々に語りかけるように梢を見上げ、目を閉じた。
「……本当だといいな」
楽しそうに笑うクラリスに先導され、仕方なくついてきたレインと、内心うろたえながらも律儀に二人に付き添うアレイが続いた。
アレイはクラリスと何度も顔を合わせているがレインとは初対面。今回のクエストの目的も、ただ森で林檎の花を探すということ以外、よく理解していない。
なぜここにいるのか、アレイ自身にも不明だった。
これも自分の優柔不断な性格が招いたことだ――アレイは内心、ため息をつく。
クレイアの話によると、森の中央にある泉から少し西へ行ったところにある、妖精の森では最も木々の密集する鬱蒼とした付近で黄金林檎の大樹を見かけた、と冒険者は語ったらしい。深い森の中、満開の林檎の木がゆっくりと移動していくのを見かけ、よくよく見ればそれは大きなラミナが背負って歩く林檎の木だった、という嘘のような話だ。
その話を聞いたクラリスは、確かにそのあたりで黄金林檎の木を見たことがある、と言った。
しかしもちろん、『それ』がラミナの背に生えているかどうかなど、確かめたことはない。まずは真偽のほどを確かめなくてはならない。
よく花を摘みによく妖精の森に足を運んでいるクラリスが先導し、森の西へと向かった。
「たぶん、この辺りだと思うんだけど……」
ほんの少し薄暗いのは、この辺りの森が深いこともあるのだが、少しずつ陰ってきた空の具合にも起因しているだろう。
朝焼けの次の日は雨。そんな俗説は、さほど信じていなかったのだが。
「あっ、ほら、あれだよね?」
クラリスが指差した先、木々の隙間から見えたのは、柔らかな桃色の花をいっぱいに咲かせた黄金林檎の大樹だった。薄明りの中、まるで燐光を放つかのようにぼんやりと浮かび上がっている。
雲の増えてきた空と対照的に華やかに浮かび上がる満開の木は不自然なほどに鮮やかだった。
「綺麗……どうしてこれまでこの木の事が気にならなかったんだろう。こんなにも、不思議なくらいに目立つのに」
問題は、あの黄金林檎の木が果たしてラミナなのかどうか、だ。
この距離から見る限り、普通の木にしか見えないが。
「とにかく行ってみようよ」
3人は道から外れ、獣道でもないような森の中へと分け入った。
鬱蒼とした密林というわけではないが、誰かが手入れをしているわけではない。下草が伸び、膝のあたりまで隠す。歩むたびに草の陰から羽虫が舞い、木漏れ日の中を飛び交っていく。
そのまま藪に足を踏み入れようとしたクラリスを、すっとアレイが制した。
「足を怪我しますよ」
首を傾げるクラリスを置いて、アレイは藪の中を先導していく。歩きやすいように、足元の草木を踏み折って。
ぽかんと口を開けて見送るクラリス。
どうやら自分がサンダルであることを考慮してくれたらしい、と気づいてくすくすと笑った。
「アレイくんって、女の子には優しくしないといけないって教えられたの? たとえば――小さい時から怖い女の人に育てられたとか」
「?!」
クラリスの言葉で、アレイの方がびくっと跳ねた。
「やっぱりそうなの? アレイくん、体は大きいけど、気は小さそうだもんね」
図星をついた揚句、にこにこと邪気なく笑うクラリスに悪気は一切ない。
何とも返せず、心なしか肩を落としたアレイは黙々と先へと進んだ。
ところが、いつまで経っても黄金林檎の木が近づいてくる気配がない。もう随分と歩いているはずだが、全く距離が縮まらないのだ。
さすがにおかしい。
「おい」
止めようと声をかけたが、声に気付かなかったのか、黙々と前へ進もうとするアレイ。
集中力があると褒められればいいが、今の場合は逆だろう。
レインは、全く声の届いていないアレイの膝裏を蹴飛ばした。
「何するんですか!」
「止まれよ、でかいの。つーか全然近づいてねぇことにそろそろ気づけ」
不機嫌な声で告げると、ようやくアレイははっとしたようだ。
レインは鞄を探り、見つけた林檎のクッキーを口に押し込み、さらにごそごそと何か探している。無理やり押し込んであった林檎が一つ、転げ落ちた。
アレイが林檎を拾って渡すと、レインはひったくるようにして奪い取った。
初対面の時の雰囲気から、どうやら自分はレインに嫌われているようだと悟っていたアレイだったのだが、ここまで露骨だとさすがに少し悲しい。
その原因は身長差によるコンプレックスによるものだと、知る由もないのだが。
レインは、ようやく鞄から商売道具を取り出した。穴の開いた硬貨の真ん中に紐が通してあり、紐の先を持てば硬貨の重さで振り子のように揺れる仕組みだ。
「それ、何ですか?」
アレイは問うが、返答はない。
代わりにクラリスが答えた。
「ダウジング、っていうらしいの。わたしはよく分かんないんだけど、あれを揺らすと魔法の場所が分かるんだって」
「そうなんですか……すごいですね」
「数少ないレインの特技のひとつだもんね」
その言い方は結構ひどいのでは……? と思っても、もちろんアレイは口に出さない。余計な事を口にしていいことがあったためしがないからだ。
レインは目の前に振り子を持ってきて、ゆっくりと揺らし始めた。
すると、最初は普通の森に見えた景色の中に、複雑に絡んだ「迷い」の空間の断裂が折り重なっている様がありありと浮かんできた。
透明な膜が何重にも取り巻いているように黄金林檎の木がぼやけて見え、さらにそれらの膜がゆらゆらと動いているように感じ取れる。
レインは集中してそれを読んだ。
どんな迷路にも出口があるように、結界にもつけ入るすきは存在する。
それがどれほど強固なものであろうと。
大気に透明な膜が重なる中、隙間を縫うようにして一本の道が現れる。
「たぶん、ここだ」
レインが指差したのは、黄金林檎とはまるで見当違いの方向だった。
半信半疑ながら、アレイは進む方向を変える。
すると、不思議な事に、先ほどまであれほど近づけなかった黄金林檎の木が少しずつ大きくなってきた。
確実に近づいている。
そしてようやく、藪を抜けた。
少し開けた場所の中央に、巨大な黄金林檎の木。そこから降る花びらで地面が覆われ、セピアの絨毯と化している。雲間から差してきた陽が、林檎の花と、周囲に浮かぶペルシェを照らし出した。
魚のような姿に細長く棚引く鰭を揺らし、宙に浮かぶペルシェという生き物は、妖精の森にとても多くみられる。光によって薄紅から藤、露草の色にまで変化する色彩は美しく、観賞用に鳥かごで飼われることも多い。
セピアの絨毯に林檎の花びらが舞い、ペルシェが泳ぐ幻想的な一枚の絵のような景色に、思わず3人は声を失った。
が、すぐに目的を思い出す。
踝まで埋まるような花びらをかきわけ、林檎の木の根元に向かった。
そしてそこで見たものは。
「……本当だったんだね」
クラリスは、花びらの中に膝をついた。
大樹の依代に相応しい、立派な大蜥蜴が木の根元に横たわっていた。満開の林檎の木は、蜥蜴の背に根を下ろし、どっしりと伸びていた。
クラリスが両手を広げてようやく頭を抱えられるほどの大きさのラミナは、確かにそこにいた。
「起きてるのかな? それとも、眠ってる?」
そっと伸ばした手が、ラミナのあごに触れる。ごつごつした手触りが伝わってきた。
が、不意に違和感を覚え、クラリスはさっと手を引いた。
「どうしました?」
「離れて!」
次の瞬間、淡く光を放っていた林檎の花、一つ一つが凄まじい閃光を放ってはじけ飛んだ。
避ける間もなく、3人は光に包まれた。
そして少しずつ、光が引いていった時。
目の前からは林檎の木は消え去り、代わりに巨大な生物が鎮座していた。
「なっ……」
「うそ……」
光の中から現れたのは、巨大な火蜥蜴だった。