02. 100年ラミナ(2)
店を出たレインは、とりあえず先ほど齧りかけた林檎の続きを取り出し、落ち着くために再び齧りながら街を歩き出した。
石畳を踏みしめ、煉瓦の建物が左右から押し迫る道を往く。この付近はこの街、ティル・ナ・ノーグの中でも小さなお菓子屋やアクセサリー店の多い、広場近くの細い路地だ。アフェールだけでなく他の菓子店やパン屋から、香ばしい匂いが流れてくる。
クレイアから貰った賄賂の林檎クッキーを、鞄の上からぽんぽん、と叩いて確かめた。
そして、ため息を一つ。
100年ラミナなど、まるで子供の空想だ。ラミナという生物が100年以上も生きるだなんて、聞いたこともない。それも、クレイアの話によると木に宿るのではなく、背に木を宿しているのだという。
街の北部、妖精の森にいると言うが、その真偽は知れない。そもそもレインは妖精の森に極力近寄らないようにしているのだ。なぜならそこには、彼の苦手とする生物が大量に生息しているから。暇を持て余していたにも関わらず、今回の依頼を多少渋ったのはそのせいだった。
とはいえ、妖精だの天馬だのが住む不思議な森だ。100年生きたラミナの一匹や二匹、いてもおかしくないような気もするのだが。
苦手な森に一人で行くのは憂鬱だ。しかしながら、すぐに誘えるような友人がいるはずもないのは事実。
とりあえず様子見に近くまで向かうつもりで、進路を北へと変えようと振り向いた――その時。
「おはよう、レイン!」
元気な女の子の声が響き渡り、淡いピンクの髪が視界に入った。
レインは何事もなかったかのようにそのまま再びくるりと後ろを向き、反対方向へ歩き出す。
と、後ろから足音が追ってきた。
そして、ひょい、とレインを覗き込んだのは、大きなピーコックブルーの目をした少女だった。ゆるくサイドにまとめたピンクの髪が顔の横で揺れ、花びらのように広がったスカートがひらりと翻った。大きな花篭を手にニコニコと笑うのは花売りの少女クラリス。
「ね、何? どこ行くの? 北の方に行こうとしてたよね? もしかして妖精の森?」
愛らしく小首を傾げて尋ねるクラリスは、一言も返さないレインを気にもせず、並んで歩き出した。
彼女は2年ほど前に姉を頼ってティル・ナ・ノーグへとやってきたのだが、今は花売りをして生計を立てていた。街中を徘徊していることの多いレインとはよく顔を合わせ、見つければすぐに声をかけてくる。
「ついてくんな」
「ついてくるなってことは、やっぱり妖精の森に行くんだね? わたしも今から花を摘みに行くんだ。せっかくだから一緒に行こうよ」
籠の中が空っぽのところを見ると、今日はこれから売り歩く花を摘みに森へ行くというのは間違いないらしい。
しかし、苦手な生物が大量に住んでいるあの森に、クラリスと行くのは論外だ。あれが苦手と知られれば、これから一生馬鹿にされるのは避けられない。
「嫌だ」
はっきり断ったはずなのだが、クラリスはそのままついてきた。
「妖精の森はあっちだよ? 森に行くんでしょ?」
「あーもう、うるせぇな」
クラリスから逃れるようにしてそのまま森と逆方向へ歩いていくと、今度は反対側からクラリスと同じ顔をした少女がもう一人、やってきた。
ふわふわとした印象のクラリスとはまた違う、凛とした空気を纏う少女。同じピンクの髪を高い位置で括り、ピーコックブルーの眼差しを真っ直ぐ前に向けていた。
それを見たクラリスは、嬉しそうに手を振った。
「アイリス! 仕事、終わったの?」
「まだ途中。クラリスは?」
「わたしは今からレインと一緒に妖精の森に行ってくるんだ」
「え、レインと?」
同じ髪、同じ瞳、おそろいのチョーカー。
クラリスの双子の姉のアイリスは、妹の隣で齧りかけの林檎を手に不機嫌そうな顔をしている赤帽子の幼馴染を見て、首を傾げた。
どうやら、レインの方がかなり不本意であることに気付いたようだ。
ピンクの双子の姉のアイリスの方は、レインにとって付き合いの長い幼馴染だ。妹が有無を言わさずレインについてきたことなどお見通し。
妹の戦闘力を考慮したとしても、幼馴染の性格を足し合わせたところで多少の不安を覚える。
「レインは何で妖精の森に? 仕事?」
アイリスに尋ねられたが、レインは口を噤んだ。
林檎5個で買収され、妖精の森へ100年ラミナを探しに行くという子供のような理由など、口が裂けても言いたくない。
「そういえば何で?」
同じ顔が二つ覗き込んでくる。
じりじり、と後ろに退くレイン。何とか逃れられないか隙を伺う。が――
鞄の端からクッキーが一枚零れ落ちた。
アイリスが素早くそれを拾い上げる。
「あれ? これってクレイアのクッキー?」
「アフェールに行ってたの?」
「クレイアに頼まれごと?」
最悪だ。
もう誤魔化しようがない。
レインは観念して、ため息をついた。
「100年ラミナ!」
レインが事情を話し終わると、クラリスは興奮した様子で花篭を抱きしめた。
「行く! わたしも一緒に探しに行く!」
「そうね、クレイアの頼みなら私も行こうかな……でも、まだ見回りが終わってないの」
完全に二人ともついてくる気だ。
これは非常にまずい。
焦るレインをよそに、アイリスは腕を組んで考えを巡らせている。
「んー、やっぱり無理かなあ。今日は見回りを外れられないの。ごめんね」
「誰も誘ってねぇよ。お前、騎士団なんだから働いて来いよ」
「でも二人だけじゃ心配だもの」
「何がだよ。つーか、こいつを連れてくなんて言ってねぇ」
昔は同じ目線だったのに、今ではほんの少し見上げる身長になってしまった幼馴染に言い放ち、レインはその場を去ろうとしたのだが、一歩退いたところで壁にぶつかって足を止めた。
いや、壁ではない。
頭の上に影が下りる。
影だけでなく、声も降ってきた。
「先輩、用事があるなら午後、変わりましょうか」
首いっぱいに真上を見上げれば、無愛想な男の顔。
騎士団員であるアイリスを先輩、と呼ぶということはこの男も騎士団員なのだろうか。レインの頭の上に騎士団員の男の顔が乗っている形だ。見上げたレインからはかろうじて亜麻色の髪が認識できる程度だった。
と、現れた男はようやくレインに気付いて一歩下がった。
青の騎士服に身を包んだ長身の青年に向かって、アイリスは首を横に振る。
「いいよ、自分の仕事だもの、私が行く。ありがとう、アレイ君」
アレイと呼ばれた青年は、軽く会釈した。その立ち振る舞いは堂に入っており、どこか育ちの良さを感じさせた。
そしてアイリスは再びクラリスとレインに視線を戻し、腕組み。
「何だか不安なんだけど」
「大丈夫だよ、アイリス。妖精の森にはいつも行ってるし」
「レインと喧嘩しない?」
「それは……たぶんするけど。わたしは悪くないもん、いっつも怒り出すのはレインじゃん」
「うるせぇな、お前が余計なこと言うからだろ」
「うーん、やっぱり不安」
「お前なあ……だからそもそも」
連れて行く気はない、と繰り返そうとしたレインは、アイリスの視線が自分の身長より上に向けられていることに気付いた。
そこには何もない、こともない。
立ち去るタイミングを逃したアレイがその場に突っ立っていた。
「うん、お願い、アレイ君」
「え?」
アレイの呆けた声。
ぽん、とアレイの背を押し、アイリスは微笑んだ。
「気を付けて行ってきてね」
「ええ?!」
さすがに慌てるアレイ。
「なんでそうなるんだよ!」
思わず抗議したレインだったが、完全に無視。
にっこり笑って手を振るアイリスに見送られ、レイン、クラリス、アレイというなんともちぐはぐなパーティは一路、妖精の森を目指すこととなった。