11. 迷子のポプリ(1)
大変だ。おなかをすかせた人が店の前に倒れている。
しましまシャツの男の人が、地面に伏せって空腹を告げた――まるで、おなかをすかせた野良ガートのように。
エリンは慌てて店に駆け込んだ。
「どうしたの、エリン?」
血相を変えて飛び込み、カウンターのオーナーに懇願する。
「オーナー、おなかすいた人が店の間で倒れてるの。クレイアちゃんが朝持ってきてくれたアップルパイ、まだあるよね?」
「人? ガートでも、犬でもなくて?」
オーナーは思わず問い返した。
小動物の大好きなエリンが、腹を空かせたガートや犬・猫に餌をやるのは日常茶飯事だ。が、相手が人なのは初めてだった。
エリンは小さな両手をカウンター越しに伸ばした。
「わたしのおやつの分、出して」
少し困った顔をしたオーナーだったが、皿にアップルパイを二切れ乗せて手渡した。
「いいけど……気を付けてね」
「あ、俺も行きます」
慌ててアレイも席を立つ。
つられてフェッロも立ち上がった。
フェッロの指をがじがじと齧って満足げだったポプリは、相手がいなくなって寂しそうにきょろきょろ、少し迷った後、フェッロの後をとことこと追いかけて行った。
「大丈夫ですか?」
頭の横にアップルパイを乗せたお皿を置いて、つんつん、と背中を突いた。
しましまシャツの男はそれに気づいてうめき声と共に顔を上げた。頭に巻いたバンダナからひょろひょろとはみ出た頼りない髪、目の下のクマ、大きな出っ歯。幸の薄さを増長するように、不幸そうな表情で。
「あ……いい匂い」
「どうぞ、アップルパイ、食べてください」
エリンが差し出すと、男はぱっと起き上がった。
「いいんですか……?」
「はい」
エリンがにっこり笑うと、男は震える手で皿の上のアップルパイを手に取った。
おそるおそるパイを口に入れ、ゆっくりと噛みしめる。
「おいしい……おいしいです!」
普段からずっとおなかをすかせているのだろうか、まるで肉のついていない腕が彼の栄養状態の悪さを物語っていた。
アレイはその男に見覚えがある気がして、記憶を辿る。あれは確か、騎士団で――
あいまいな記憶を掘り返すアレイの横で、フェッロは珍しい生物を見つけたかのようにしゃがみこんで男の背中をつんつんと突いている。
エリンはにこにこと笑いながら、残り一つのアップルパイを差出した。
「クレイアちゃんのアップルパイはとってもおいしいんですよ。よかったら、もう一つ」
男は目をうるうるさせて、手にした一つ目のアップルパイを一口で呑みこんだ。
「……でも、ぼくもう行かないと、姐さんに怒られる……」
がっくりと肩を落とした男は、ふらふらと立ち上がった。
幸の薄そうな顔に、幸の薄そうな笑顔を張り付けて振り返る。
「ありがとうございました。アップルパイ、おいしかったです」
後ろから見ているアレイがハラハラするような、よろよろとした足取りで去っていく男を見て、エリンはポケットからするりとハンカチを取り出した。
そして、丁寧にアップルパイを包みこんだ。
去ろうとする男の服の裾をつまんで足を止める。
「じゃあ、持って行っておやつに食べてください」
はっと顔を上げた男は、目に涙を浮かべてエリンから包みを受け取った。
「ありがとう……ありがとう!」
何度も振り返りながら礼を言う男を、ひらひらと手を振って見送った。
野良犬、野良猫、野良ガート。エリンはいつでも動物に対して優しいが、人もまたその対象だったらしい。
一部始終を見ていたアレイは、暴力姉との違いを見せつけられ、感動に打ち震えた。
なんて優しいんだろう。
そう思っても、なかなか照れくさくて口に出せない。
それなのに。
「エリンは優しいな」
え、と思った時には、しゃがんだままのフェッロがエリンを見上げるようにしてそう言った。
「そうですか?」
「うん」
よいしょ、と立ち上がったフェッロは、わしゃわしゃとエリンの頭を撫でた。
「店に戻ろう、あんまり遅いとオーナーに怒られるから」
「オーナーは怒ったりしませんよ?」
首を傾げるエリン。
仲のよさそうなその様子を見て、後ろでこっそりアレイがため息をついたことには気付かなかった。
アップルパイを手に帰路についた行き倒れ男は、珍しく明るい気分で仲間の元へ向かっていた。
普段は酷く後ろ向きな彼だが、今はほんの少し優しさに触れたことで気が安らいでいた――たとえいったん戻れば、またつらい日々が待っていると分かっていても。
「優しくて、かわいい子だったなあ。アップルパイもおいしかった……まだ世の中捨てたもんじゃないかも」
根暗な彼には珍しく、前向きな気分で歩いていると、ふいに足元を駆け抜ける生き物に気が付いた。
踏みそうになって慌てて足を止めると、その生き物は彼の足にまとわりついてきた。
「な、なんですかっ?!」
見下ろせば、淡い黄色のガートが一匹、彼を見上げている。
「ガートくんだったのか。どうしたの、ぼくはきみにあげる餌なんて」
そこまで言って、男ははっとした。
アップルパイの包みをガートから遠ざけるように高く上げる。
「ダメだよ! これは絶対にダメ! ぼくが貰った大事な……」
つられるように、ガートが前足を伸ばす。
「ダメっ」
振り切るように駆けだした男の後を、黄色のガートが追いかけていった。
一方、店の中に戻ったエリンは、倒れこむようにしてカウンターで居眠りを始めていた。
わけあって一日の多くを眠って過ごさなくてはいけないエリンにとって、今日の忙しさは堪えたようだ。ガートの耳がついたフードケープをすっぽりと被って、静かに寝息を立てている。
オーナーはそれを見て軽く微笑んだ。
店で出しているハーブティーは、このオーナーが裏の庭で育てたものばかりらしい。料理やお菓子作りも得意で、エリンが眠れば接客もこなす。エリンが店長ではあるものの、このカフェを経営しているのはオーナー一人だと言っても過言ではない。
おそらく50歳近いと思うのだが、どこか上品な容姿で物腰の柔らかなこの男性がいったい店長のエリンとどういった関係なのか。
アレイはいつも不思議でならなかった。
構ってほしいのか、わらわらと寄ってきたガートの腹を撫でてやりながら、エリンを見つめるオーナーの横顔をぼんやりと見ていた。
それに気づいたオーナーはアレイに向かって首を傾げる。
なんとなく居づらくなって、席を立とうと連れてきたはずのポプリの姿を探した。
「あれ? ポプリ?」
先ほどまでフェッロで遊んでいたはずのポプリがいない。
店内を見渡しても、カフェからつながる庭へ出てみても、ご機嫌なポプリの姿は見当たらなかった。
「ポプリがいない……」
愕然としたアレイに、フェッロが言う。
「そう言えばさっき外に出た時に、ガートが一匹いたような気がする」
「本当ですか?!」
血相を変えたアレイが、フェッロに迫る。
「で、そのガートはどこへ行ったんですか?」
「あのアップルパイについて行ったよ」
アップルパイ。
つまり、アップルパイにつられて先ほど店の前で行き倒れていた男について行ってしまったようだ。
「ポプリー……」
がっくりと項垂れたアレイに、フェッロは首を傾げたあと、ぽん、と肩に手を置いた。
「一緒に探そうか?」
目標、迷子のポプリ。
報酬、もふカフェでケーキセット。
期限、本日中。
クエスト受諾。