00. 眠らない少年
靄がかった街並みが、夜明け前の薄陽にぼんやりと浮かんでくる。人々が活動を始める黎明は、レインにとって唯一の安堵を得る時間だった。
ようやく宵闇が去り、彼もまた『人と同じ生活に戻る』ことが出来るから。
見上げれば、東の空が燃え立つように赤かった。もし幼いころに聞いた俗信を引用するなら、明日は雨だという事だろう。理屈はよくわからないが、夕焼けが綺麗な日の翌日は晴れで、綺麗な朝焼けの次の日は雨らしい。そう言ったのは、もう何年も会っていない、双子の妹だった気がする。
朝陽でブランネージュ城の堅牢な白壁が朱色に染まり、右手の海原に目をやれば、未だ消えぬ月の姿があった。
と、その時、唐突に耳元で甲高い声が響きわたる。
――東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ
条件反射でレインは自らの胸元をばちん、と叩いた。
「うるせぇな、黙れよ」
――つれないね たまには郷愁くらい感じさせてよ
「何がたまには、だ。毎朝毎日毎晩、四六時中じゃねぇか」
シャツにとり憑いた精霊ランカは、レインが一人でいるとことあるごとに話しかけてくるのだ。
それも、自分の故郷だというシラハナの『詩』を披露しながら。
――ちなみに、今の詩だけど 東の空の
「解説もいらねえ。黙れっつったろ」
色とりどりの屋根が視界いっぱいに並ぶ巨大な街は、まるでそれ自体が生きているかのようだ。雨の少ない地方に多い煉瓦造りの家はまるで細工菓子のように積み上がる。
街のあちらこちらから煙が上がり始め、日の出を告げる教会の鐘が鳴る。
活気ある街が今、目覚めようとしていた。
その様子をしばらく観察した後、新緑色の髪を隠すように赤い帽子を目深に被り、レインは立ち上がった。
人と同じ生活に戻るため。
眠りを忘れた少年は、茨の森に囚われた。
耳に響くは揺籃歌。
ゆらゆらゆらと波立つように。
ふわふわふわと揺蕩うように。
呪いをかけた姫君の微睡を覚ますのは、いったい誰?