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迷子

作者: しょっく

 他人に道を尋ねられるのは特技と言ってもいいくらい、サチにとっては日常茶飯事のことだった。決して方向感覚が優れているわけではなく、むしろ苦手としているのに不思議なのだが、老若男女問わず、サチは迷子に頼られる。そしてそれは時も場合も選ばない。

 見知らぬ土地を旅行中でも、サチ自身が迷子中でも。

「スミマセン」

 そして、サチが酔っ払っていようとも。

「スミマセン」

 自分が声をかけられた、と意識したわけではなかった。なんとなく、声がしたから振り向いただけ。

「あの、『コーポむかい』ってどこか分かりますか?」

 どことなくぶっきらぼうな口調で、目の前の少年は言った。

 高校生くらいだろうか。週末、もう夜中の十二時近いというのに、着崩してはいるが明らかに制服らしいワイシャツとパンツ。背はあまり高くなく、女性としては身長の高いサチと同じくらい。体つきも華奢だ。

 どうやら痴漢の類ではなさそうだが。

「はい?」

「『コーポむかい』って分かりますか?」

 聞き返すと、ますますぶっきらぼうな口調で、でも敬語をやめない少年になんとなく好感を持つ。そして、同じく違和感も。

「『コーポむかい』ってアパート名言われてもねぇ…住所分かります? 町名とか」

「いえ……あの、友だちん家なんですけど、遊びに出たらはぐれちゃって。ケータイも忘れてきちゃって」

 ああ、そうか。数語しゃべったら違和感の正体が分かってきた。

 自分と同じく、彼も酔っ払いだ。あるいは、酒ではないかもしれないが。

「うーん、アパート名だけじゃなぁ。この辺りなの? どっちから来たか分かる?」

「全然」

「だよねぇ。結構酔ってそうだもんねぇ」

 思い切って言ってみると、少年はびっくりしたようにサチを見た。

バレていないと思っていたのか…若いなぁ。

笑うと悪いかと思ったが、くすくす笑いが漏れてしまう。

「……分かりますか」

「うん、分かりやすい。でもねぇ、それだけ分かりやすいと交番とかも行けないよねぇ。高校生?」

「うん……高二」

 ややあった間に、高めにサバを読んだのかな、と思う。

「あああもう」

 頭をかきむしった拍子によろける様に、なんだか可哀想になってきた。

「家に帰るとかは? はぐれたから帰っちゃったって電話すればいいじゃん」

「うち、遠いんです」

 何か訳アリだろうか。突っ込んで聞くのも初対面では悪い気がして、サチはスルーすることにした。

 とりあえず、コーポ何とかがどこかは分からないが、ここは公立公園だ。ここを抜けると大通りに出る。大通りに出たらコンビニがある。

「大通りにコンビニがあるけど、そこに行ってみる? アパート名まで出てる地図はないだろうけど、店員さんに聞いてみるとか」

 提案してみると、少年は頷いた。

「ありがとうございます」

「いいよ。別に役に立ってないし。わたしは帰り道だし」

 夜中の一人歩きだ。街灯もある割と治安のいい近道だが、人気のない公園で、酔って気が大きくなっているとは言え、女の一人歩きは心細い。

 サチとしては安全な連れが出来るのは歓迎だった。




「友だちとはぐれたんだけど…すぐ探したかったんだけど、なんか気持ち悪くて、座ってぼーっとしてたんです」

 連れが出来て嬉しかったのは彼も同様らしかった。呂律の怪しい口調で、しゃべりだした。

「まだ気分悪い?」

「ううん、もう大丈夫。だいぶ座ってたから」

 寝てたのかもしれないな、とサチは思った。

「あああ、なんかオレ駄目だなぁ。かっこわりぃなぁ」

 高校生くらいの男の子にしてみれば、イキがって酒を飲んで、挙句に酔っ払って、見ず知らずのOLに世話をかけてるのは恥ずかしいことに違いない。

 女のサチだって、若い頃はそれなりに尖がっていた。だから彼の気持ちは手に取るように分かる。

「お酒は飲んでも飲まれちゃ駄目だよ。まぁ、誰しも通る道だけどね」

 先輩風を吹かせて言うと、少年はなんだか尊敬の眼差しを向ける。駄目でかっこわりぃのはわたしだ、とサチは思う。こんな夜中に八つも年下の高校生相手に威張って、何してんだか。

「おねえさんもお酒飲んできたの」

「うん」

「すげぇなぁ。酔ってるように見えない」

「お酒は体質によるからね。全然受け付けない人もいるし、飲み続けて慣れるって人もいるし……また飲んでみたい?」

 意地悪く聞いてみると、少年はうつむいて苦笑した。

「ううん、当分いいや」

「そうだね。それがいいよ」

 未成年のうちはね、と付け加えるか一瞬考えてやめた。なんだか懲りているようだし、説教するのは可哀想だ。




 公園を抜けると、大学がある。大学の敷地に沿って一本道をまっすぐ歩くと大通りに出る。

「おねえさんは、彼氏いないの?」

「何よ、急に」

「指輪してないし」

 うつむいた時に、サチの指が目に入ったのだろう。

彼氏がいる女はみんな指輪をしているモノだ、と言わんばかりの台詞に苦笑がもれる。いや、この子は彼女に指輪をあげるタイプの男なのだろう。

「いないよ。いた時も指輪はもらったことないんだ」

 二十五歳にもなって指輪一つもらったことがないというのはどうかとは思うが、付き合う男付き合う男、そういうタイプの男じゃないのだからしょうがない。

 サチ自身も指輪を……あるいはそれ以上を望むタイプの女ではなかった。

 少年は黙っていた。何かしゃべりたいことがあるような気がして、サチは黙って歩いた。

「オレ、全然モテないんだ」

 唐突に言われた台詞に、思わずサチは少年を振り返る。

 うつむいている少年の表情は良く見えなかったが、少年の風貌は分かる。

小柄で華奢な少年。

友だちとふざけて酒を飲んでいたけど、気持ち悪くなっちゃう、オトナとコドモどっち寄りかと問われれば、コドモに寄ってる少年。

お姉さま方には可愛がられるタイプだろうけど、同年代の女の子からすると「コドモね」と切って捨てられちゃうタイプかもしれない。

「だから……セックスってしたことないんだ」

 ふむ、とサチは頷く。

 最近の高校生事情は知らないけれど、自分が高校二年のとき、男子で既に経験済みはそう多くもなかったと思う。

だから、この小柄な少年が未経験だって別に特別なことではないと思う。

 けれど、少年にとっては相当なコンプレックスなようだった。

「友だちはさ、みんなシタことがあるって言うんだ」

「えええええ?」

 流石に、声を上げてしまう。

「いやいやいや、高校二年で『みんな』経験済みってことはないよ。女子は知らないけど」

 たいていそういうことは女子の方が早熟だ。

 女子の場合、彼氏が年上の場合が多いということもあるし。

「みんなシタって言ってたんだもん。オレだけシタことがないんだ」

「キミだって好きな子いるでしょ? 好きな子に告ってすればいいじゃん」

「そんなの駄目だよ」

 ああ、好きな子には物慣れた男でいたいってことか…面倒くさいな、少年。

 呆れて天を仰いだサチを、少年は初めて会った人間のように見て、サチが腰を抜かすようなことを言った。

「おねえさん、オレとしない?」

「はぁ?!」

 サチは今度こそ心底呆れて、少年を見た。

 もう格好悪いところ見せまくったから、とことん格好悪くいくことにしたのか、少年は悪びれずにニコニコ笑っている。

「しないよ、しないわよ。キミねぇ、わたしをいくつだと思ってるのよ」

 八つも上だぞ、言えば引くぞ、と半ば脅しをこめて言ったが、少年はニコニコしたままだ。

「いくつでもいいよ。おねえさん、キレイだし」

 モテないって嘘だと思った。

 ああ、それとも高校生くらいじゃ無自覚なのか。

 サチはため息をついた。

「そういう風に女の子に言えば、キミ、モテると思うよ」

「え? させろって?」

「ちーがーう。女の子に、可愛いとかキレイだとかちゃんと言えばいいんだよ。セックスは好きな子としなさい」

 サチはぐっと拳を握り締めた。

「ええぇ? いいじゃん、しようよー」

「しない。だいたい、キミ高二なら十七歳でしょ? そんなのに手出したら、わたし犯罪者になるの」

「じゃ、十八。高三」

「うそつけ」

「お願い、ね? いいじゃん、しようよー」

「駄目。ゼッタイ駄目! 好きでもない女とセックスなんかするんじゃない!」

 少年が息を飲むのが分かって、サチは内心舌打ちをする。思っていたより、キツイ口調になってしまった。

「――ごめんね、なんかキツかったよね、今の言い方」

「――ううん。オレこそ調子に乗っちゃって……」

 大通りまではもうすぐだった。




「一週間前に、別れたんだ」

 格好悪いのは自分だ、とサチは思った。夜中に、高校生相手にコイバナって、しかも失恋話って、お前いくつだよ、と内心自分に突っ込む。

「別れたってのも正確じゃないな、ヤリ捨てられた」

 はは、と苦笑するが、少年は笑わなかった。

「二年前に告って、一回振られてるんだ、好きな人いるって。それがさ、最近またメールとか電話とかするようになって、で二人で旅行に行くことになってさ。言い出したの、向こうだよ? 部屋取ったのも向こうなわけ。一緒の部屋でさ、そしたらスルでしょ。シたら、付き合うことになったと思うでしょ。旅行から帰って、メールしたら『ごめん彼女がいるんだ』だって。馬鹿にしてるよねぇ」

「――おねえさん、キレイだから」

「キレイかねぇ。わたしこそさっぱりモテないよ」

 たまに男に縁があるとこれだ。

 昔から姉御肌のところがあった。プラス、負けず嫌いで頑固な意地っ張りだ。

 可愛げのない女だという自覚はある。

 今回だって、この性格が災いして、都合のいい女として扱われた。ゴネたり泣いたりしないと思われていたし、その通りだった。

 そう、今もこんな失恋話をしているのに、涙も出てきやしない。

「おねえさんは、キレイだよ」

 急に手を取られた。怒ったような口ぶりで、少年は言った。

モテないなんて嘘だと、自分を睨んでいるかのような少年を見て、サチはまた思った。

 滲んだ視界は気のせいだと思うことにした。




 大通りに出ても、少年は景色に見覚えはないと言った。

「困ったねぇ」

 なんとなく手をつないだまま歩いてきてしまったが、明るい大通りに出て気恥ずかしくなったのか、少年はすっと手を放した。

 目指したコンビニ前で、サチは少年を観察してみた。

 ――どう見てもイキがって酔っ払った子どもにしか見えない。中には入れない方がいいだろう。

「ちょっと待ってて。中で、聞いてきてあげる。『コーポ』……なんだっけ?」

「『コーポむかい』……」

 何か言いたげな少年を置いて、サチはコンビニに入った。

 ロードマップを立ち読みしても、流石にアパート名までは出ていなかった。

 売り場からペットボトルの水を二本取り、サチはレジに向かった。

「スミマセン、この辺りで『コーポむかい』ってアパートご存知じゃないですか?」

 茶髪のバイトの兄ちゃんは、さぁ、と首をひねってみせた。

「町名とか番地とか分かんないっすか?」

「ですよねぇ」

 苦笑するサチに、兄ちゃんは不審げな目を向ける。

 お礼を言って会計を済ませ、サチはコンビニを出た。

 少年は手持ち無沙汰な様子で佇んでいる。

 悪い子には見えないのがこういうところだ。最近の子のようにしゃがみこんだりしない。

「お待たせ。――ごめんね、分からなかったよ」

「ううん、おねえさんのせいじゃないし」

「お水飲む?」

 コンビニ袋からペットボトルの水を出すと、目を丸くされた。

「お酒飲んだ後だし、のど渇かない?」

「うん……どうして分かったの?」

「はは、わたしもだし。あ、それおごりね」

 サチは自分の分の水を出して蓋を開け、ごくごくと飲んで見せた。

 少年も蓋を取って水を飲んだ。それこそすごい勢いで、すぐに半分くらいなくなってしまった。

 口の端から垂れた水を、サチはつい見つめてしまった。

「――おねえさん、ありがとう。もうここでいいよ。あと自分でなんとかするし」

 これだけのどが渇いていても、自販機で飲み物も買えなかったんだ。ケータイだけじゃなく、きっと財布も忘れてきているに違いない。

 サチはあらためて、少年をじっくりと見た。

 酔っ払って、無一文で、迷子な未成年。

 放り出せるわけないじゃないか。

「――さっきの公園に戻って、友だち探してみる?」

「――さっきの公園もさ、友だちの家に近いかどうかも分からないんだ。結構あちこち歩いたような気がするし、見覚えもないし」

「じゃ、ウチ来る?」

 少年は目を見開いた。

「え、させてくれるの?」

「絶対しない」

 そこはきっぱり言って、サチは飲みかけのペットボトルを少年に押し付けた。

「持ってて、買い物してくるから。足りなかったら、わたしの飲んでもいいからね」

 身を翻して、コンビニに戻った。

 不審げなレジの兄ちゃんの視線を感じながら、歯磨きセットを手に取る。

 シャツとトランクスを手に取って、ふとガラス張りの向こうに目をやると、少年が慌てて目を逸らすところだった。

 くすり、と笑みを漏らしながら、サチはなんだか胸がざわつくのを自覚した。ああ、そうか。これが欲情するということなのか。

 彼ではない。欲情しているのは、わたし。したいのは、わたしだ。

 据え膳を食ったあいつの気持ちは少しだけ分かった。

 でも、とサチは息をつく。

 わたしは、あいつとは違う。




「お待たせ」

 コンビニを出ると、少年はわたしの水を返してくれた。

「飲まなかったの?」

「うん……間接キスになっちゃうし」

 間接キスを気にする子が、したいのさせろの言うのか、と可笑しくなった。

「おねえさん、本当にいいの?」

「ん? しないよ?」

「そうじゃなくて、オレ、おねえさんちに泊めてもらっていいの?」

 うつむいている少年の肩をぽんと叩いてやった。

「狭いし散らかってるけどね。お風呂に入ったら酔いもちょっとは抜けるし、さっぱりするよ。お客さん用の布団があるから、それ使ってね。あ、歯磨きセットと下着はおごりね。さ、行くぞ少年」

「――ありがとう」

 本当は心細かったんだろう、少年はほぉっと息を吐くとほわりと微笑んだ。

 コンビニ袋とはいえ荷物を女性に持たせないとばかりに即奪うような世慣れた男が回りに多いサチだが、少年はそんな気を遣うことにも慣れていないようだった。

 サチの一人暮らしのアパートへと続くなだらかな坂を下っていく途中、少年はまた「おねえさん」と呼んだ。

「――手つないでいい?」

 迷ったサチだが、これは許してやることにした。

 これだけ。本当にこれだけ。

 自分の心に言い聞かせながら。


ここで終わらせようか、もうちょっと書こうか悩んで、ココまでにしました。

ジャンル「恋愛」にしたんですが、恋愛…とは胸張って言えないですよね…。


読んでくださって、ありがとうございます。

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