3話 ラエティティア・フルウィオルス
――その姿は、夜闇の中でも輝いて見えた。
不覚を取り、地面に片膝をついた私と、獲物を嬲るように焦らしながら近づいてくる魔女。その間に割り込むようにティアさんが駆け出し、夜空を背にして高く跳んだのだ。私が魔術で生み出した明かりに照らされ、彼女の白い聖服がはためく。
「――でいやあああ!」
そうして移動と跳躍の勢い、さらには全体重を乗せた彼女は、頑丈なブーツによる全力の跳び蹴りを繰り出す。
「おっ、と!?」
しかし見通しづらい夜闇で目測が狂ったか、あるいは寸前で避けられたのかもしれない。彼女の蹴りは魔女には当たらず、間の空間を切り裂くに留まる。
それでも、わずかに警戒は働いたのか。魔女はその場を後ずさり、こちらと距離を取る。
「びっくりしたぁ。そういえばもう一人いたわねぇ。なぁに? あなたも、この魔女狩りの女の子のお仲間ぁ?」
着地し、すぐさま振り返ったティアさんは、拳を構えながら魔女と向き直る。
「……違うよ。ステラとは、さっき会ったばっかり。ほとんど何も知らないよ」
「? じゃあ、どうしてわたしの邪魔をするの? この子に味方する理由なんてないでしょう?」
悔しいが、確かにそうだ。出会ったばかりで大した会話も交わしていない彼女が、私の味方をする理由はない。
「それに、わたしはまだ何もしていなかったのに、この子が一方的に殺そうとしてきたのよ? わたしのほうが、被害者だとは思わない?」
「ティア、さん……! 耳を貸しては、いけません……! 悪意と虚偽で人々を誘惑するのが、彼女ら魔女の手口で……!」
「ふふ、心外ねぇ。あなたのほうこそ、会ったばかりで何も知らないこの子に、自分に都合のいいことを吹き込んでるだけなんじゃないかしらぁ」
「そんな、ことは――ぐ……!」
否定しようとするが、傷が痛んで呻き声が漏れ出す。その隙をついて、魔女はティアさんに笑顔で語りかける。
「ねぇ、あなたもそう思うでしょう? わたしは被害者。彼女は虚言癖のある殺戮者。どちらが正しいか、考えれば分かるわよねぇ? あなたが彼女を護る理由なんて――」
妖しく誘うような魔女の声音。それは溶けるように耳に染み込み、人の心を惑わせる。それを耳にしたティアさんは大きく息を吸い込み――
「――あたしは、難しいことは分からん!!」
――力強く、宣言した。
「…………え?」
私はポカンと口を開けて疑問の声を上げるしかできなかった。見れば彼女を篭絡しようとしていた魔女もキョトンとしている。
「あたしには、どっちが正しいとか分からん! どっちも会ったばっかりなんだから! だから、こういう時は直感で決める! あたしは、ステラに味方する! だってステラのほうがかわいいもんね!」
「えぇぇぇ……」
そんな理由ですか? もうちょっとこう何かありませんか? 思わず少し呆れたような声を上げてしまう。けれど、同時に……。……
そうして私が胸に湧き上がった気持ちに惑う間にも彼女は止まらず、魔女にビシッと指を突きつける。
「あなたも正直美人さんだけど、それ以上に言うことやることが悪人そのもの! 怪しすぎる! それに、先に手を出したのはステラだけど、あなたのほうこそ、ステラをいたぶってから殺すつもりだったでしょ!?」
「あら? バレちゃったわね」
魔女は悪びれもせずに、笑顔で彼女の主張を認める。他の生物への当然の加害性。だからこそ魔女は放置しておけない。
難しいことは分からないと言っていたティアさんも、それをなんとなく感じ取っていたのかもしれない。魔女に向かって決然と拒絶の言葉を投げかける。
「あたしの目にはどう見てもあなたのほうが悪者に見えるよ! というわけであなたの味方はできません! あしからず!」
「残念、フラれちゃった。悲しいわ」
少しも悲しんだ様子を見せずに、飄々と言ってのける魔女。
「でも、じゃあどうするの? あなたがわたしの相手をするというのかしらぁ?」
言葉と共に再び発される圧倒的な魔力。ビリビリと魔覚を震わせるそれに耐えながら、彼女は振り向かずに私に言う。
「……ステラ、ちょっと下がってて」
「ティアさん……でも、神官の貴女一人では……」
水色のショートカットを覆う白のベールと、身に纏う白の聖服。その出で立ちから、彼女がアスタリアの神官だということは察しがついていた。彼女たちは通常、前衛の後ろから法術によって支援するのが主な役割なのだから、こうして一人で敵に立ち向かうなど基本的にありえない。例外もいくらか知ってはいるが……
なのに彼女は、臆する様子も見せずに立ち向かい、私を安心させるように力強い声を届かせる。
「大丈夫。あたしは――」
言葉の途中で、魔女が血の剣を振り上げティアさんに斬りかかる。私は声を上げようとするが、それより早く彼女は――
ギィン――!
「――あたしは、〝こっちのほう〟が得意だから!」
――グローブに備え付けられた手甲で、斬撃を正面から受け止めてみせた。
「へぇ?」
防がれたことに軽く驚き、面白がるような声を上げる魔女。続けて力任せに剣を振るっていくが、その全てをティアさんは両手の手甲で受け止め、逸らし、防いでいく。
(凄い……)
格闘術による防御の構え。それは的確に彼女の身を護っていた。神官で、しかもエルフである彼女が、これほどの技をどこで身につけたのか。
「ふふ、すごいすごい。じゃあ……これは、どうかしら!」
魔女は黄金の杯から血の剣を射出させ、ティアさんにそれを防がせている間に素早く後方に下がる。と同時に、いまだ周囲に散らばる無数の石を魔術によって浮かび上がらせ、彼女に向けて撃ち出す! が――
「《守の章、第一節。護りの盾――プロテクション!》」
ティアさんの祈りと捧げられた魔力に神が応える。神々の奇跡の一端――法術によって、円形の光の盾が前面に生み出され、彼女の身を悪しき魔術から護らんと鎮座する。この術の位階は一節。神官にとって基礎と言えるもの。なの、だが……
(この、大きさは……)
そう。驚いたのは盾の範囲。通常はバックラーほどの大きさになるその術が、彼女が生み出したものは人の背丈をも超えるほどの大盾だったからだ。少なくとも私は、こんな巨大な光の盾を見たことがない。それは殺到する石礫による攻撃を、背後にいる私も含めて完璧に防いでみせる。
やがて石礫が止むと、ティアさんはその場に光の盾を残したまま右側面から飛び出し、射線に入らないよう迂回しながら、魔女との距離を詰めていく。遠距離から術を使う様子はない。盾が使えたのだからおそらく攻撃用の法術も習得しているはずだが、どうして使わないのか――
「ふっ!」
私が疑問を覚えている間に魔女へ肉薄したティアさんは、相手の顔面目掛けて鋭く右の拳を放つ。しかしそれは、先刻癒着したばかりの魔女の左手で易々と受け止められてしまう。が――
「うぐっ!?」
魔女の顔が一瞬苦痛に歪んだ。受け止めた左手に痛みを覚えたのだろう。その理由に、私は心当たりがあった。体内の生命力を身体の動きによって収束させ力に変える『気』の技法。それはこの世界の武術の基礎であり、奥義だ。古くは『精霊』とも呼ばれるその力を込めた攻撃は、魔物や魔族といった魔に属するものに痛撃を与えられることで知られている。さらに――
「《攻の章、第一節。星の瞬き――シャイン!》」
祈りによって生み出された光弾が拳の先からゼロ距離で放たれ……拳を受け止めていた魔女の左腕が、手先から二の腕まで消し飛んだ。
「は……?」
ここまで余裕を保っていたはずの魔女が絶句する。私も驚きに目を見開いていた。なぜならティアさんが放った法術、小さな光弾で敵を撃つだけの初歩の攻撃術は……先刻の盾と同様に、通常の大きさを遥かに超えるものだったから。
繰り返すが、私は見たことがない。本来、拳一つ分程度の規模しかないそれが、人の頭より大きく発現し、余波が尾を引いて流れゆき、もはや光弾というより太い光線のようになって、夜の森を切り裂いていく光景など。魔力の出力が尋常ではない。
「ふっ! ふっ! ていやー!」
「く……!」
勢いづいたティアさんは猛然と攻勢をかける。顔面に、胴体に、無数の拳が叩き込まれる。直撃こそないが、相手に休む間も与えず攻め続けている。それはつまり、ティアさんにも休む暇がないということだが、彼女は息を切らす様子もなく拳を打ち込み続けていて……
(ティアさん……貴女は一体……)
希少なエルフのアスタリア神官。しかも高い練度で格闘術を身につけ、嘘のような魔力を出力し、並外れた体力まで備えた……
「調子に、乗るのも、ここまでにしてくれないかなぁ!」
「ぐ……!?」
わずかな隙をついて繰り出された、魔女の血剣による横薙ぎの一撃。ティアさんはこれも手甲で防ぐが、攻勢が途切れ、その間に素早く下がった魔女は再び宙に浮遊してしまう。
「く……《星の瞬き――シャイン!》」
言葉と共に撃ち出された法術の光線は、しかし魔女からは大きく外れて夜空を切り裂く。
「あはっ♪ どこを狙っているのかしらぁ」
「この……!」
嘲笑う魔女を悔しげに睨むティアさん。その後も彼女は術を撃ち続けるが、一向に当たる様子はない。空中を自在に飛び回る相手を的確に捉えるのはもとより至難の業だ。それなら……
傷はまだ痛む。けれどここまで休めたおかげで、ある程度それにも慣れてきた。これなら、少しぐらいは集中できる。
「すぅー……ふぅー……」
深く呼吸することで『気』を全身に送り込むと同時に、心を落ち着けていく。痛みを堪えゆっくりと立ち上がり、ティアさんが残してくれていた光の盾の外に出て、静かに黒剣を構える。そして――
「……《我が手に集え、風の精――》」
――詠唱を、開始した。




